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◆9.0所感(2号)【無断転載を禁ず】毎日掲載した過去の掲示板の内容を記録したものです。  最新

ストレストいう恐ろしい公害・私害を厳しく検証しよう

山の中に5年住んで今更乍ら気付いたことは、都会で主にサラリーマンとして住む人々の受けるストレスの多さ・ひどさです。公害には、大気汚染・水質汚濁・地下水汚濁・土壌汚濁・騒音・振動・悪臭という典型7公害というものがあります。こういう目に見えない環境汚染が都会人に与える恐ろしい影響が今、注目・論議されるようになって来ました。公害も大きなストレスの部分ですが、その他に膨大なストレスがあることを正しく認識していますか?あまりにストレスが日常茶飯事になっているので、またはストレスに慣れっこになっているのではありませんか?公害も危険ですが、あまりに多い各種ストレスは、日々貴方を確実に蝕んでいるのですよ。ストレスについて次の項目が貴方のストレスになっていないかチェックして下さい。ストレス原因になっているかを、0点:全くなっていない/1点ややなっている/2点ある程度なっている/3点かなりなっている/4点最悪の状況である/で採点し平均点を出して下さい。平均点が高い人は、ストレスを削減しないといけませんから、その中で何が一番ストレスになっているかを探し、そのストレスを@除去するかA改善するかB巧みに逃げるかCうまく付き合うかうまい対処方法を実施して下さい。ストレスにあまり痛めつづけられると、結果として、心身ともにボロボロになってしまいますよ。どちらかというと「ストレスから逃げる・遠ざかる」ほうが懸命な策かもしれません。あまり剥きになってつきあっているのは得策ではありませんよ。ストレスを積極的に回避せよ。善玉ストレス又は必然的なものに限定し、悪玉ストレスを退治しないといけませんね。私は、鴨長明や宮本武蔵、吉田兼好よろしく、山暮ししているおかげで、以下のかなりの部分70%くらいののストレスの排除に成功し、日々ストレスの少ない快適な生活をしているのですから(嘘だと思うならば一度見学に)。
@妻、父、母、兄弟、姉妹、子供、ご近所、親戚、恋人
A社長、部長、課長、同僚、関係部門、部下
B顧客、仕入先、取引先
C空気、水、騒音、振動、花粉、ウイルス
D温度、湿度、雪、雨、風
E睡眠、休息、運動、仕事の多忙さ、養育
F酒、タバコ、博打、刺激物、甘いもの、麻薬
G肉食、偏食、食べ過ぎ、不規則食事
H家の部屋、付近景観、自然有無
I頭、消化器、内臓、目、耳、鼻、口、腕、足、腰、肩、頭髪
J容姿、財産、知力、体力、借金
Kセックス、恋愛、遊び

スパイラルは恐い

デフレスパイラルがこんなに長いこと続き、恐くて、凄いものだとは思ってもみませんでした。即ち、バブルのような「大きな極端」というのは、全てすごく恐い結果になることが実証されたのです。悪性のスパイラルの原因は、大きな偏り・極端に走ることなのです。今回のデフレスパイラルももとは、戦後の右肩上がりの猛烈な高度経済成長(ジャパンイズナンバーワンまで上り詰めてしまった)からバブルになり、それが引き金になって起こったことなのです。高度経済成長は、世界的に素晴らしい・賞嘆に値することではなかったのでしょうか?物事は、例えそれが良いことであっても、行き過ぎると、大変大きな困った問題を引き起こすことになってしまうのです。そう考えると今経済以外にも行き過ぎ状態が、あちこちに、沢山あるわけで、むしろほとんどが行き過ぎている又は益々行き過ぎが進行している状態にあるのです。そうするといろいろな面で今後、順次『深刻な○○スパイラル』があちこちで頻発することになるわけです。経済だけでも大混乱しているというのに、冷静に考えると、ますます日本は、次々に混乱していくことになりますね。これはどえらいこってす。とすると、今やるべきことは、今後各種の大混乱があれこれ多発して手がつけられなくなるという最悪の状況を想定して、今から抜本的に対処法を考えておかないといけませんね。馬鹿で、無能な政治家どもや役人が、もぐらたたきのように出てくるスパイラル現象を一つづつたたいていくのでは、もう問題解決どころか、猛烈な勢いで、どんどん悪化していきパニック・破滅・暴動・狂気・争い等が一挙に発生することがおきかねません。「風が吹けば桶屋が儲かる」という話がありますが、何かが引き金になって連鎖的に問題がスパイラル化し、解決困難になり、次から次へその状況が波及して行き、困難な問題の核分裂・核爆発を起こしてしまうのではないかと思います。こういう結果が起こることは十分考えられます。当初はゆっくりと、しかし確実に多くの大スパイラルの渦の中に引き込まれてしまいそうです。皆さんは、そんなことはおきないと思われるでしょうか?私もそう思いたいのですが、10年も有能(?本当は無能だが)な政治家や学者がやっても是正できないスパイラル現象についてもっと研究し、予防をしておかないと安心して孫子を育てることもできなくなりそうですね。

別荘は、ど田舎や寂しい山中が良い、中途半端やにぎやかな別荘地は無意

私が今の安曇川の山中のログハウスを買うことになったきっかけは、すごい偶然でした。偶然というのは、結果的にうまく行った場合は、凄く感動的なものです。冷静に判断していれば、ひょっとしてこんな寂しい、夜は真っ暗になるような場所は買わなかったかもしれません。不思議に、買う時には、あまり欠点のことについて考えませんでした。それほど直感的に良いところだと感じてしまったのですから。今思えば、正に神がかり的でした。住みはじめて当初、やや寂し過ぎたかなとも思いました。軽井沢のような近所にレストランや買い物ができるにぎやかな田舎が良かったかなと思った時もありました。しかし現在は、当時の咄嗟の判断が非常に正しかったと思っています。過去、私はこういう大きな場面で、幸にも、結果的に案外良い判断をしていることが数多くありました。冷静な判断というより、極めてぎりぎりの判断だったのですが、通常であれば迷うような状況でも咄嗟の判断がうまくできていたのです。人も店も何もない寂しい、ひっそりした場所を選択したことは、私としては、大正解であったのです。多分、今住む場所は、一般的には、あまり人が買わない場所かもしれません。都会→田舎への場合、多くの人は、一般的に都会半分・田舎半分と中途半端な場所を選択するものなのです。一見正解のようですね。よくある例ですが、最初は意気込んで家を買い込んで、田舎暮らしをしたけれど、あまりに寂しく、面白くない、美味しいものも食べられない、退屈だということで、挫折する人が多いようです。だからといって都会が恋しいなんて人には田舎暮らしをする資格がないのです。人間は、総じて中途半端を好む又は、中途半端に逃避するものなのです。だから結局何も得られないのではないでしょうか?
是非、本物の価値ある結果を手にしたいのであれば、田舎暮らしは、自然が豊かで、とびきり寂しい何もない場所を選んで下さい。

ーベル賞受賞の田中さんは多分、癒し系ではない

ノーベル賞受賞の田中さんは癒し系ということで脚光を浴びていますが、東京生まれて京都で長年暮らして来た私には、彼は典型的な京都風の人に見えます。京都の人は、一見癒し系とかやさしい印象を受けますが、意外ときつい人が多いのですよ。例えば道を聞いても聞き方によっては、つっけんどうな返事が返って来る場合があります。怒っているのではないかと疑うようなきついアクセントの場合もしばしばあるのです。あくまで想像ですが、田中さんも、印象ほどやさしくもお人善しでもないと思われます。京都の人は、東京とも大阪の人とは違うのです。私の体験上、京都の会社は、東京や大阪の会社とかなり違います。一言で言うとかなりきつい、すこし悪く言えば陰険・陰湿な一面を持っています。2000年の歴史都市であり、高度な技術・技能社会であり、夏冬の寒暖が厳しく、都市でありながら伝統を重んじ質素・堅実な面があります。私などは、そういう陰な京都が好きだったのです。浮ついてない、深く物事を考える、きっちりしている、・・・・。きらびやかで、騒々しい、落ち着きのない東京や大阪に比べて、老舗風のしっかりした風土が京都にはあります。舞妓さんや芸妓さんなど一見、優しい、柔和な感じがしますが、すごくしっかりしていて、かなりきついのが京都風の女なのです。だから任天堂・京セラ・ローム・村田製作所・日本電産・ワコール・オムロン・島津製作所・京都銀行・・・・等の企業がこの不景気の中、すごく高い利益をあげてがんばっているのです。京都とは、一見すると神社・仏閣・庭園のある風光明媚な古都なんだとしか思われませんが、それは表面のことで、心底には凄い厳しさや我慢強さ、底力、パワーをもっているのです。田中さんが癒し系だなんて、甘い見方です、癒し系の人がノーベル賞なんかとれませんよ。人を外見で判断してはいけません。多分田中さんも京都風できつい人、厳しい人だと思いますがね?まあでもある意味しっかりした人ですし、人間的には素晴らしい人でありそうですね。くれぐれも京の人を甘く見て付き合うとえらいことになりますからご注意を、京都には、それほど気位の高い人が多いですからね。失礼ながら東京大阪の人のようにお人好しではありませんよ。

設備保全同様に、人間保全をしていますか?

企業には5MすなわちMan,Mashine,Method,Material,Mesurement(人、設備、方法、材料、計測:情報)という要素があります。
最近日本の企業が急速に赤字化していますが、その主な原因は人件費です。そのためには、まず儲からない仕事や必要のない人を減らすことが大事です。ところが一方で会社にいる人の能力や仕事の結果・価値を高めるこも大事なことなのです。設備は、高い給与を払って専門の保全技術者を雇い、日々きっちり点検・保全・修繕がやられています。これに対して人については、あまりに放置されていませんか?もっとマンツーマンで従業員の能力・仕事・成果・悩み等を点検し保全しないといけないのではないでしょうか?そういう場合に一番良いのが我々コンサルタントの導入です。社内で人事担当者がやるのも良いですが、一般的に人事担当者は、人事処理はできても、現場馬鹿・現場オンチの方が多くあまり人を直接管理するのは苦手です。その点コンサルタントは、仕事のプロですし、人生やサラリーマンのプロですし、第一従業員があれこれ正直に相談し易いのです。一部の企業さんでは、こういうことに気付きコンサルタントをすでに導入されています。結果は良いようです。人は年間数百万円する設備です。非常に高度な全自動マシーンではありますが、放っておくととんでもない無駄な仕事しかやっていないということが多いのです。機械は動いていれば良いのですが。人は動いていても働いていないと意味がありません。是非、人間保全をやって厳しく指導し、相談にのり、一番金のかかる人という資源を最高の結果を出す、文字どおり高性能マシーンにしあげませんか?そのためには人間保全する最適な人を社内又は社外から導入することです。

金正日の悪魔の経営手法に思う

北朝鮮の拉致の問題が最近急速にクローズアップされ、少しづつですが解決の方向に向き出したことは、非常に良いことです。家族の方々の苦しみを考えると、少しホットしています。しかし北朝鮮の指導者の恐ろしい悪の実態を知るにつけ、想像を越えたおぞましい状況に信じられない思いがしています。日本でも、かつて第二次大戦では、同様な状況にあったのですし、ドイツのヒットラーも信じられないほどの極めておぞましい状況があったことを思い出して下さい。そして共通していえることは、絶対起こり得ないそういう狂気の世界がかなり長期間存続してしまうことです。北朝鮮でも国民は、昔の第二次大戦時の日本のように、ひどい状況に苦しみ、そのひどい状況を影ではすごく非難し、変わって欲しいと切実に思っているのです。しかし一歩家の外に出ると「天皇陛下万歳」「金正日さま万歳(ばんせい)」なのです。そして日本の一流の企業でも、信じられないようなことですが、金正日みたいな社長がいるのです。社員に罵声を浴びせる、電話を投げる、殴る、脅迫まがいのことをする又は取締役に命じてやらすという話はあるのです。特に最近のようにリストラをする場合に、そういう金正日のような経営者や取締役や人事担当者が登場しているのが現実のようです。さてこういうことは非常にいけないことですし、排除しないといけないのですが、一方でそういう悪魔の経営手法というのは、案外歴史的にも、特に戦時下では、効果的な常套手段として用いられて来たのです。織田信長の天下統一の時の部下の操縦法などのひどい・極めてきついやり口は、正しくそのようなものであったと、書物には記されていますね。京都の超高収益企業といわれるいくつかの会社でも、案外そういう悪魔の経営手法を実際に用いていると思うわれるふしがあります。これに対して、組合の力が強く、良心的な大企業においては、徹底した善の経営手法が使われれ来ました。例えば、組合の経営への参画とか労使協調と首切りは絶対にしないとか、内部告発ができるとかいうようなことです。極めて民主的に会社運営されているのです。まあこういう企業のスタイルが高度成長期においては非常に良い経営としてもてはやされて来ました。しかしそういう企業は今現実の姿としては、業績悪化に苦しむことになってしまいました。甘い体質・平和な風土・民主的な風土・大企業病なるものがその原因の一つなのです。私は、いつもはこのような「悪魔の経営手法なるもの」についてあまりお話はしません。勿論推奨も致しません。しかし悪魔の経営手法というのは、企業によって職場によって、管理者によっては部分的ですがかなり用いられて来ているのです。または善的な経営者においても、たまには悪魔に変身し、猛烈に怒り狂気して部下をしかり、殴り飛ばすようなこともあるのです。かつての大経営者とか経営の神様といわれるような人でも個々には結構こういう悪魔の手法を用いていますね。しかし凄い勢いでしかりとばし「お前なんかもう顔もみたくもない」「死んでしまえ」などと言っておいて、分かれてからすぐに、電話をかけて「さっきはわしが悪かった」などと謝るとかいう実話も聞いたことがありますね。そういうのがうまい操縦法・人心掌握法などと言われています。これらも悪魔的手法と善的手法をうまく組み合わせた事例なのです。金正日のように悪魔の経営手法だけでやるのでなく、いわゆる「鞭と飴」方式なのです。さて、コンサルタントとしての私の結論ですが、悪魔の経営手法というのは用いないに越したことはないが、やはり「いつも善人」では経営者はうまく人心を掌握できないことも確かなのです。大企業病にもなりかねません。大事なことは、@悪魔の経営手法であることを知って適正に使うA悪魔の手法と善の手法とだきああせで使うことB悪魔の手法を使うことの弊害(副作用)を十分認識しておくことの三点です。癌を治療する時を考えてみて下さい。善的手法は、『寝る・安静にする・栄養のあるものを食べる・比較的安全な薬を飲む』ことです。しかし悪魔的治療法は、『放射線治療・抗癌材・劇薬・切開手術等』なのです。いつも善的治療だけでは、病気は治るとは限らないのです。悪魔的な治療法も合法的に用いられていますし、敢えて用いないと死に至ることもあるのです。しかしこの際医者が注意するべきことは、過度に悪魔的手法に頼り過ぎないことです。そうしないと、別の意味で結果的に患者さんは、苦しみや副作用や後遺症や死を招くのです。今日本企業は、急速に力や指導力を失っています。必然的に悪魔の経営手法が意識的・無意識的に多く用いられています。私がコンサルタントの立場から言えることは、『悪魔的経営手法をどうぞ用いて下さい。しかし悪魔的手法にのめりこまないで下さい。悪魔的手段を行使する場合は副作用対策も怠らないように十分な配慮をして下さい。』ということです。そういう注意を怠ると、ついつい金正日やヒットラーになってしまうものです。そういうような経営者のいる企業を知っていますが、ついつい理性を失い金正日のようになってしまいますから、くれぐれも十分注意して下さいね。

人との触れ合い

私は、若い頃から、引っ込みじあんで恥ずかしがり屋で上がり症でしたから、つい50歳くらいまでは、人づきあいが極めて下手で、私のウイークポイントの一つでした。ところが最近、急速に人づきあいが、凄く楽しみになりました。その原因は次ぎのようなものでしょうか?
@経営コンサルタントを自営でやりはじめた
A数年前に妻を亡くした
B山で一人住むようになった
C年齢のせい(59歳もうすぐ60歳)
Dすすんで人と付き合う前向きの姿勢が出て来たこと
関西ISOシニア・コンサルタント・ネットワークのネットワークの方針からどんな人や会社ともネットを結ぼうとういう気持ちが私の人付き合いを加速させていったようです。こんな人付き会いの下手な私が最近では、なんと「人付き合いがうまい」なんて言われているのですから不思議です。妻がいなくなり、山で一人で炊事洗濯掃除をして生活し、自営業をしていると、かなりしっかり自律しないといけなくなるのは当然です。何をやるのも頼れるのは、自分しかいませんし、むしろ子供や他人の面倒を見ることも多くなりますから、そういう意味では、人間的にもやっと自律できたのかもしれませんね?60歳前にしてやっと自律なんて、随分遅いように思われるかしれませんが、案外日本人は、炊事洗濯掃除もできない、何でも奥さんにやらせる、会社ではサラリーマンで会社や上司に頼っている、生まれて以来、ずーっと両親と一緒に住んでいるなんていう人も多いようです。他人から、貴方と話していると飽きないとか面白いと言われるようでないと付き合いはうまく行きませんし、本当の意味で人付き合いから得るものは多くなりません。単に世間話しだけとか魅力のない会話では、いかに多くの人付き合いをしたところで、「おばはんの井戸端会議や一杯飲んでうさばらし」みたいなものでしかありません。そんな付き合いは幾らやったところで、得るものはありませんよ。良い人付き合いで最も大事なことは「自分を磨くこと」でしょうか。人と付き合う前に孤独と真剣に向き合うことも大事だと思います。また心や頭を空っぽにして付き合うことも大事かもしれません。また人生に対し真剣さ真面目さも、案外人付き会いの重要なポイントかもしれませんね。

心を空にしておくことの大切さ

日本の都会人は、いつも心が何かしょうもないことによって塞がっています。だから新しいことへの対応ができていません。ちょうど狭い家のようなものでガラクタがいっぱいで自由にくつろいだり行動することができません。ましてや新しい物事をやろうという気もおきません。もう入りきれないから当然ですね。都会人も朝起きてから寝るまで実に多くの人やごたごたに囲まれ・揉まれ更には、いろいろのストレス(騒音・振動・苦難・寒暖・心労・・・・)にさらされていますから、心にゆとりは全くといって良いほどありません。心はぼろぼろ・疲れ・いやなことが一杯詰まっているのですから、心を更に磨いたり、豊かにすることなど全く無理な話なのです。一杯なところに更に次から次へと又ガラクタやストレスを詰め込むのです。会社を退社したら、酒を飲み、不満・いかり・心配・悩み等々を、その日のうちに吐き出さないともう頭や心が、もうパンク状態で再生能力や創造能力などのゆとりが出ないのです。心身ともに慢性便秘の状態なのです。私のように山中で人と会うことも話すこともなく一日静かな毎日を送っていますと、頭が空っぽ状態ですから、すっきりしており、あまり考えもしないのに、次から次ぎへと良いアイデアや考えが浮かびます。そういう意味で自然の中に住むことの効用は計り知れない素晴らしいものと言うことが出来そうです。都会で頭や心を空っぽにすることは非常に困難なことですが、家の「整理・整頓・清潔」同様に心や頭の「整理・整頓・清潔」も大事なことなのです。本当にわかってもらえてますかな?私が言いたいことは、「良い考えをするためには、考えるより頭を空っぽにすることのほうがむしろ効果的だ、早道だ」ということなのです。この逆説的な対応方を理解して戴けますか?頭を空にすることができれば「恐いものなし」なのです。頭がへドロでいっぱいだと良い考えやアイデアは生まれませんよ。病気(気を病む)には、仏教で言う「空」「無」「静」という薬が最も良く効く薬なのですよ。

女の浅知恵、曖昧さや感情で事を運ばない

女性が社会に大きく進出しています。そういう中で女の人が活躍し、男顔負けの結果を出されています。しかし女の人の一般的傾向として、曖昧さや感情で事を運ぶ習性があって、それが良い方に出る場合と悪い方に出る場合が半ばしているのです。男の場合にも、全く逆の意味で良い悪いが半ばしているのですが。女の方の場合は、感情が主体的であり「これは良いですよ」「皆良いと言っています」「絶対良いです」「すごく売れています」・・・というようなのものの言い方が多いのです。ですから私のような者が「何故良いのですか?根拠は、データーを見せて下さい」などと聞こうものなら、「いや一度試してみて下さい」「必ず満足されますよ」「もし良くなかったら、その場合止めても遅くありません」などという答えが、女の方の場合大半です。女の場合、色気やムードでそういうセールストークで成功するらしく、案外そういうのがうまいトークとされているようです。かなり詐欺的な販売方法の臭いがするのです。また更につこんで質問を続けると、もう立ち往生し、男の勝ちみたいになってしまうのです。要するにつめが甘い方が多いのです。ところが自信のある女の方の場合特に、ヒステリックに自分の正しいことのみを声高に主張し続けるだけになってしまうのです。けっして、「それでは、調査します。分析させて見ましょう。実験してみましょう。明日にでも詳しい説明をさせます」というようにはならないのです。あくまで自分の考えや感情だけで押しまくるのです。そこが現状での、男と女の大きな違い・差異なのでしょうか?逆に非常に珍しいのですが、男顔負けに、論理性や客観性を持った女の方に出会うとすごい感動さえ覚えるのです。曖昧さや感情や直感も大切ですし、否定もしません。経営コンサルタントをやっていても、考えてからご返事しますでは、役にたちませんから、長年の経験知識をフル動因して即刻結論を出し、その場でどんどん相手に提案をぶつけて行くのです。しかしこれは所謂、いい加減さや感情や感等で言っているのではありません。要するに、感情や経験でものを言う場合も、長年の豊富な経験や調査・分析・思考・データー・情報に基づくものでなくてはならないのです。女の方のセンスの良いところは認めるところですが、相手により時により、こういう欠点を曝け出さないように十分に注意して下さい。感情をむき出しにせず、慎重に言葉を選び、冷静で客観性のある話をして戴く能力を是非身につけて下さい。

神に祈るのとはどういうことか?意味のないことはやめましょう

神社仏閣で祈る人をよくみかけます。賽銭をあげて拝む人も沢山います。またお節介にも他人のご健康やご多幸まで祈る人もいます。ところが大半の方がまちがった祈り方をしていると思いませんか?よくある最悪のケースですが、神社・仏閣にお参りをして「家内安全・交通安全」をお願いしての帰り道に事故にあったという話をよく見・聞きませんか?こういう事実から貴方は、「祈るとはどうあるべきか?」を考えたことがありませんか?祈るとは一般に「神様よろしくお願いします」みたいにやっている方が大半ですね。しかしこれでは願いは何も実現しないはずですね。だって神様が一人一人の願いなんか一々聞ききとでけてなんかいないからです。願い事を言って祈れば願いが叶うのであれば仕事なんかせずに一日中神社で祈っていればよいわけですから。ところがそんな馬鹿な人もいないのですね。だからわかっているのですが、何故か祈ってしまうのです。賽銭をあげてしまうのです。大事なことは、自分自身が自力でその願いを実現する主体者、実現することなのですから。、もしお祈りするのであれば、それは、神様でなく誰か人間に頼んで協力してもらはないといけないのですから。もし賽銭をやり拝むのでしたら、助けてくれそうな人に対してお賽銭をやらなければ意味がないのです。ですから正月には、神社でなくて友人・知人にお参りすることのほうが効果があるのです。こんな当たり前のことでさえも理解していない人が多いのにびっくします。神社・仏閣とは、自分の行いを反省し悔い改めることを誓う場所なのですよ。だから拝む時は、懺悔をしないといけません。「私の生活は乱れておりました、今日からは心を入れ替えて炊事・掃除・選択・整理・整頓を真面目にやります。神様に誓います」てな具合でしょうか。賽銭をあげるとしたら、罪の償いとして差し上げるのであって、悔い改めるために勇気と力を下さいということぐらいのものです。けっして神様が何かしてくれるなんて身勝手なことを考えないようにして下さい。過去神社にお参りして良いことが起きたなんてことは、私の場合には、全くありませんでした。貴方の場合はいかがですか?「私は何回もご利益があった」という方は勝手にやって下さい。何もご利益がないのに相変わらず賽銭あげて真剣に祈り、お願いをしている貴方、行く前にまず自分の生活・人生を調査し分析し反省し対策を考えた上、それを実行することを神前で誓うようにして下さいね。なにしろ神様は「自ら助ける者を助ける」そうですからね。

「嘘つき」「誤魔化し」「大袈裟」「その場しのぎ」の生き方を止めて「嘘のない人間」になろう

高齢化や病気の時代を迎えています。環境悪化や大病に苦しむ人が急増しています。そういう中で、私は常々、真剣な日々の健康マネジメントや田舎暮らしを自分でも実践し、他人様にも推奨しています。薬や器具や治療や手術等(嘘の方法・手段)に頼らない生活が一番大切で「基本に帰る」「原点に帰る」「自然に帰る」「自分に帰る」・・・ということを私の残された人生のライフワークの基本にしているほどです。政治家や経営コンサルタント業界を含めて、なにしろ「嘘つき」「誤魔化し」「大袈裟」「その場しのぎ」の多い時代ですので、自分で責任をもって調査あるいは、実証し、確認して、他人に薦める場合も、それなりにキチント説明をしてあげるというのが私の信条です。一度自分が約束した以上は、万難を排して、守ることが大原則です。私の基本ポリシーは、「絶対に嘘はつかない」「いい加減なことを大げさに言わない」「人の期待に背かない」「約束したら守る」なのです。「大袈裟な宣伝」や「駄目でもともとだから、まあ大袈裟に薦めておいて、駄目だったら謝ればよい」というのは極力避けたいのです。そういうことが1回でもあると、人間関係はマイナスに作用してしまうのです。人間関係で一番大切なことは人に嘘をつかないこと、その努力なのです。愛とか親切とか面白いとか利害関係だけでの人間関係は懲り懲りなのです。誠心誠意、嘘のない誠実なお付き合いこそがあらゆる基礎だと考えております。またもっと大事なことは自分自身に嘘をつかないことです。なにしろ現代の人は、悪気もなく、安易に嘘を連発しているのですよ。「多分こうだ」「多分こうなる」というように。是非誠実で嘘のない生活によって、皆さんも本質的に益々楽しい、安定した日々が訪ずれることを念じております。

山積する問題を抱える混迷する日本こそ、新事業の宝庫だ

偉い政治家が先日、「混迷する日本が今後どういう方向に行くか政治家の私にもわからない」と言われておられました。その時私は「なんてことを言うんだ、政治家がそんなことをいうようでは、その政治家は辞めてもらはないと、日本は益々駄目になる」と感じました。というのは、混迷していることと、日本がどういう方向に行くかわからんということは、全く結び付かないことなのです。「混迷する→日本の方向がわからん」ではなく私の場合は、「混迷する→やるべき事業が沢山ある→日本の方向が明確だ」ということなのです。今会社をリストラされ、再就職ができないという人が多いのですが、これって、少しおかしいでしょ?だって偉い政治家が「日本が混迷している即ち問題が山積している」言われているんですから。そんなに問題があるのだったら、そういう問題を解決する人も沢山必要になるのではありませんか。「山積する問題=新事業の種」なのです。
高齢化・環境問題・健康問題・気象問題・農業問題・有害物質問題・規制緩和問題・財政逼迫問題・交通事故、混雑問題・精神病問題・株価問題・生きがいある人生問題・教育問題・政治問題・経済問題・・・・・・・・・・・・・・・・・
有能な日本人特に経験を積んで会社を退職された方々にとっては、すごく多くのチャレンジすべき課題があるということなのです。実際にも、いろいろの方面の方々とお付き合いしてみると新事業のネタは、ものすごく沢山あります。事業は探すとか人真似でなく、自ら創造・作り出すものなのです。明治維新には、すごく多くの課題があり、日本人は猛烈な情熱でそれらを短期間に成し遂げて行ったのです。その当時より数十倍の問題が山積している21世紀は、まさしく日本人の活躍する場と言っても過言ではありませんよ。「事業なんて俺にはできっこない」と思っている方は、一度、私のところに来て下さい。一杯、飲んで話でもしませんか?そんなことはありませんよ。事業のネタなんて、ごろごろ沢山ありますよ。貴方がやる気力と情熱さえあれば。

処置対策について:もっと真剣な恒久・抜本処置対策をせよ

題があって、又は、事故や不幸なことがあると、すぐに対処が必要になりますが、この場合の処置対策の仕方がまずいことが非常に大きな問題だということをご存知ですか?事故や不幸自体が起きたことはしょうがないし、悔やんでもはじまらないのですが、大事なのは、起きたことに対する処置・対策のやり方なのです。企業にとっても個人にとっても対策・処置のまずさは致命傷になってしまうのです。失敗や事故okむしろどんどんやってもらって結構です。その失敗や事故を、その後の仕事や管理や生き方に貴重な教訓として活かすかが、人間が成功するか、又は衰えていくかの分かれ道なのです。処置対策には次ぎの4つがあります。
@緊急対策(事故が発生した正にその時、すぐに緊急にする処置対処)
A応急対策(事故が終わって詳しい調査・観察・分析の前に、とりあえずやっておく処置)
B追加対策(その後の調査・観察・分析の結果これもやっておくべきだというかなり検討された上での処置)
C恒久対策(その後更に詳しい調査や施行錯誤を経て、抜本的に最良の方法を完全実施できるように歯止めすること)
処置・対策のうち、皆さんがやっているのは、@かせいぜいAくらいのレベルです。人間は、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のです。そして何度も同じ誤りを繰り返すのです。最近、食品や企業倒産や不祥事や詐欺うまい儲け話にひっかかる等々が次ぎから次ぎに繰り返すのです。「なんで、これって前にもあってひどい目にあったことがあるじゃない」ということばかりなのですが、不思議に同じ誤りが繰り返すのです。その度に「申し訳ありませんでした・厳正に調査の上、再発防止につとめます」と言って頭を下げる経営者や役人が絶えないのです。事故や不幸がおきるのは、人間ですから避けられないことですが、二度と起こさないようにすることは、人間にはできるはずです。まあ少なくとも、3度までは許すとして、4度は繰り返さないようにB・Cのレベルに処置・対策をする習慣やしくみを企業も個人も作ることをお勧めします。ISO9001や14001のマネジメントシステムでも、この点を重視していますが、案外いい加減にされているようです。

男も女も飲む・打つ・買う:酒・博打・女(男)に溺れる

人間という罪深い生き物は高度な頭脳や言語や手足を持ったのですが。これは良い面もありますが、それ以上に悪い面もあるのです。その典型的なことが「飲む・打つ・買う:酒タバコ薬・博打・女(男)」に溺れるということです。私は男ですから男の体験からお話しますが、案外、女も似たり寄ったりの状況のようです。若い頃の男というのは、早い人で小学生くらいからこういう意識が芽生え、特に性的なものの目覚めは案外早いものなのです。ましてや最近のようにテレビや週刊誌が氾濫すると、状況はもっと進んでいるようです。エロビデオ・女のパンツを買う・少女売春・キャバクラ等巷に氾濫しているということです。まあある意味では、こういう手段がもっとひどい犯罪行為を抑制しているという効果もあるようですが?私の言いたいことは、犯罪行為云々ではなく、こういう「飲む・打つ・買う:酒タバコ薬・博打・女(男)」という極めて人間的な欲望が人生を浪費してしまっていることの残念さのことなのです。若い頃男は、好きな女性のことで悶々とすることがあるのです。そしてそれが満たされないものですから、更に悶々としてしまうのです。悶々の解消策が更に悶々を引き出すようなことになるのです。
飲む(酒やタバコ、薬)については、男は禁煙や禁酒の傾向がある反面女がタバコ・酒を飲むようになって来たのです。それはもう目を覆うばかりです。特に、子供を産む女にとっては、非常に問題なのです。飲むことは、行き過ぎると癌や病気の元になります。特に麻薬やシンナーは最悪です。石原都知事が博打を導入しようとしていますが、税収をあげるのは良いことであっても人間の愚かな欲望を目覚めさせ、貴重な人生を浪費することになるのですから、都知事としては納得しても、人間としては最低の施策なのですね。人間は飲む・打つ・買う:酒・博打・女(男)を抑制・自省しないといけません。有識者でも学者でも坊主でも医者といえどもこういった欲望をうまく抑制するのは案外至難の業のようです。逆に言えば例えどんな人間でもこういう欲望がうまく抑制できる人というのは、随分人生を有効に費やすことができるだろうなと思ってしまいます。貴重な資源である自分の人生3万日をつまらぬ欲望を満たすために大半使ってしまっている状況を再認識・反省し、淫らな欲望を抑制するように心がけましょう。特に年齢を経て50歳になったら欲望に振り回されない充実した人生を送るようにしたいものです。「飲む・打つ・買う:酒タバコ薬・博打・女(男)」に溺れるなんて、何人の女と寝たとか大酒を飲むなんてことは、けっして自慢にはなりませんよ。例えば女は美しく・丸く・柔らかく・良い感触で・やさしく・良い匂いのするものですから男が若い頃かなりの時間を女獲得に浪費してしまうものです。一生懸命時間を浪費して次から次へと女を得たとしても決して何も残るものではありません。言い方が悪くて恐縮ですが、一種の女という詐欺にひっかかっているようなものですよ。そんな間違った欲望の虜になることから早く目覚めて下さいね。酒・タバコ・薬・博打も同様ですよ。きれいなもの(魅力てきなもの・好きなもの)には害や毒があることをお忘れなく。

他人と同じ努力をしていてもたいしたものは得られない。若者よ苦労を避けるな

日本は世界一豊かな国の一つになって、若者達は、生まれた時からそういう恵まれた状況を当たり前に思っているために、昔の私達とくらべて、一般的には、苦労やつらさを避ける傾向が強くなっています。しかし、良し悪しは別にして、苦労やつらさというのは、生き物にとって必要不可欠なものなのです。苦労やつらさを避ければ避けるほど、結果的には、かえって、とてつもない大きな苦労やつらさが、必ずそのうち襲って来るものなのです。結果的に苦労やつらい一生を送っても構わないという覚悟が出来ている方は、日常の一切の苦労やつらさを避けても構いません。自然界は、生まれる者は死ぬ・若者も老人に・繁栄する者は滅び・金持ちは貧乏に・健康者は病気に・・・・なるように仕組まれているのです。永遠に、同じ平和な状況が続くものではないのです。もし永遠に良い状況が続くのならば、人間や生き物は苦労しませんし・進化もしなかったはずです。特に苦労やつらさは、生き物を本物の人間にするための”必要不可欠な肥やし・栄養素”なのです。ですから、若者よ、失敗を恐れず、苦労やつらさをどんどん体験し、人間的に成長をして行って欲しいのです。人生は80年生きるとして、たったの3万日しかないのです。この3万日は、貴方に与えられた貴重な資源・財産です。日々を安穏に過ごして、無駄にしてはいけません。日々貴方がやっていることは、良い悪いは別にして、日々・翌日・翌年・10年後・晩年の原因を作り込んでいるのです。日々、一刻一刻、原因をせっせと作り込んでいるのですよ。楽の日々においては、日々苦労の原因を作っていることになるのです。「若い時の苦労は買ってでもしろ」「神よ、我に艱難辛苦(七難八苦)を与えたまえ」なのです。

男よ他人に頼るな自活・自立しろ

私の父は、昨年、92歳で亡くなりましたが、明治生まれで、なにしろ亭主関白だったのです。亭主関白とは、掃除・洗濯・掃除・育児・その他嫌なことは、全部妻にやらせる亭主のことです。要するに、何もできない、子供以下の情けない人間なのです。なにしろ気に食わないことがあると机をひっくりかえす、あばれる、怒りまくるという子供のような代物なのです。そういう父を見ていた私自身はというと、妻が他界したこともあって、今掃除・洗濯・炊事・その他全部やっています。むしろ女以上に家事全般をそつなく完璧にこなしています。ところで最近、私のような男が増えたせいもあってか、世界にかんたる日本の女は、残念ながら、男以上なみに急速に堕落してしまいました。「男女同権」でなく「男女共に堕落」になってしまったのです。日本の銀行や企業同様に、世界一から世界どんけつへと転落のような感じかな?最近では、日本の女を妻にするのはあまり嬉しいこと幸せなことではなくなっています。男以下の女:そういうイメージが日本の女のイメージになりつつあります。田島女史が、テレビで声高に、男女同権を言うのは良いのですが、私は女の地位向上でなく、むしろ情けない日本男児の向上のほうが大事だったと考えているのです。女男同権にすべきなのです。女は、従来通りしっかりしていて欲しいのです。むしろ「男よもっとしっかりせよ」だったのです。私の母なんかは、正しく模範的な大和の母です。母は、観音様のような存在です。母には完璧なまでに尊敬もし感謝もしています。私の姉のレベルまでは、まあ大和の母とも言えますが、その後の世代の女は、もうガタガタになってしまいました。
まあ女のことはさておき、男よ今後は、是非、親元を出て離れ、自分で掃除・洗濯・炊事・その他全部を完璧にやって欲しい。そういうことが男にも要求される時代になりつつあるのです。女の地位や権利は回復された(但し自律性はむしろ低下)のですが、男の地位というか自律性は、一向に改善されていません。明治生まれの父なんかより、更にどんどん悪化していませんか?フリーターなどといって定職も持たず、結婚もできず、目標も夢もなく、何かというとすぐに切れ、だらしない生活を送っている男が多いのです。私の言いたいのは、見かけでなく、本質的に「男よもっとしっかりせよ、男よもっと魅力的になれ、男よもっと強くなれ。」なのです。親に頼り・妻に頼り・会社に頼り・上司に頼り・社会に頼り・・・・はやめて「俺を頼りにしてくれ」みたいな男がいっぱい産まれて、大和男児(戦国武将のような)を復活させてほしいですね。

私は貝になりたくない:パーテイーでもっと勇気と努力で知らぬ人と話そう

パーテイーなるものがあり、参加するのですが、全く知人がいない場合、黙ってご馳走を食べているのは苦痛です。そこでパーテイーには出席しないで帰る人もいますし、知人とだけ話す人が日本では多いように思います。そういう場合、不愉快な思いをすることが多いのです。もっと主催者は工夫をすべきです。最初グループ化し、顔合わせをしてあげるとか、一人だけの人のコーナーを作ってあげるとか、他人と知り会いたい人のコーナーを作るとかしてあげて欲しいのです。「私は貝になりたい」という映画がかつてありましたが、パーテイーでは、是非貝にならないで下さい。また知人とだけ話さないで下さい。折角未知の人と出会える数少ないチャンスなのですから。私も、最近は術を覚えたから、誰とでもすぐに話すことができるようになりましたが、昔は、長いことパテーイーが苦手でした。パーテイーで見知らぬ人に近づくには、事前に質問を準備しておいて、まず質問をすることです。そして3ことぐらい口をきいたら、名刺交換をし、相手の素性から話をより深い部分に進めていくことです。質問の内容の例は、
@お仕事は何ですか?
Aお忙しいですか?
B仕事の状況はどうですか?
C最近の傾向は?
D儲かってますか?
E今何が問題ですか?
Fお住まいはどこですか?
Gお生まれは?
H会社は?
Iお子様は何人いますか?
J最近何か面白いことはありますか?
K最近の政治は今一ですね、どう思いますか?等です。
まあ質問なんて幾らでもありますよ。是非もっと質問を作っておいて、また練習をしておいて下さい。それと私の場合、最初に少し大きな声で適当なことを口走るようにしています。例えば「ええなー」「すごいご馳走ですなー」「ここあいてまっせ」「こちらにおいでやす」とかまあなんでもよいのですが、黙っていると日本人は警戒して心を開きません。なにしろ、自分が慣れ慣れしい人だという感じをもたせることが大切です。また欲張ってはいけません。1人でもよいし、精々3人と話せれば良いくらいの目標で行きましょう。

儲からないにも二つある

「儲からない」という場合、その企業の状況は、二つに分けられます。
@競合が厳しく売り上げが伸びない(差別化された、魅力的製品でない)
Aコスト・生産性や販売力が原因で儲かっていない(差別化された、魅力的製品)

@の場合は、幾らがんばても、遅かれ早かれ、100%ジリ貧になります。
Aの場合は、現在は儲かっていなくても、技術・製造・販売力を強化すれば必ず利益向上が期待できます。
今デフレスパイラルの中にあって、急激な収益不振に陥っている企業は、@型製品が多いのです。@型製品は、見切るか、相当思い切った対応をし、競合他社を撤退に追い込むことが必要です。しかし@型製品は、中国と台頭を考慮に入れると相当の覚悟をしないと将来お荷物になってしまいます。研究開発投資や時間はかかっても、A型製品を開発しないと、企業自体の存続が危ういと考えます。さほど美味くないラーメンを売る店では、競合店も多いですから、ラーメンの美味しさ以外で相当の差別化をできないと生き残れません。やはり圧倒的に美味しいラーメンを作ることこそ、安定的に儲ける早道なのです。急がば回れですね。

経営:マネジメントとは

ISO14001環境マネジメントシステムISO9001品質マネジメントシステム等世界中の企業で、ISO認証取得が活発ですが、取得はしたけど一向に成果が出ない企業が多いようです。経営者の方々が、どうも管理とマネジメントの違いが理解していないようです。右肩上がりの高度成長期、飢え・貧しさに中で豊かになろうと必死に努力する若者で溢れていた時代、新技術が次々に開発された時代と違い今後は、あらゆる面で厳しい状況になって来ます。そういう中で、企業もきっちり経営(マネジメント)をやらないと、単に儲からないだけでは済まされなくなって、倒産する時代になっているのです。そうなると、企業を含め大小を問わずあらゆる組織は、総合的・継続的・システム的なマネジメントが必要になるのです。単なる小手先・個々別々の管理だけでは限界があるのです。昔、日本ではTQC(総合的品質管理)なるものが盛んにやられ日本企業のレベルを飛躍的に高めました。しかしTQCは、要するに「皆さんQC手法を使い改善や管理活動をやりましょう」といったものでしかありませんでした。しかしそれでは、肝腎の経営がおろそかにされる危険性があるのです。高度成長期の経営者は楽でした。需要はいくらでもあり増え続ける。従業員は自主的にがんばっている。そういう中では経営者は、御神輿に乗っていればよかったわけです。実を言うと、そういう人達の大半は真の経営者ではなかったのです。どちらかというと技術者か商売人に毛の生えた程度の人に過ぎなかったのです。政治家も同様に国民ががっばって稼いだ金を使っていればよかったのです。ですから古いタイプの経営者のほとんどは、マネジメントを知らず、マネジメント能力がないのです、苦手なのです、わずらわしいことが嫌いなのです。「がんばれ」と言っていればきちんと動く組織であって欲しいのです。マネジメントの特徴は、
@システム化
A継続的改善
B方針・目標管理
C経営者の関与
D社内監査
E手順化・文書化・記録
F組織体制
G厳格な運用管理
H確実な不適合・是正処理
等でしょうか。このうちどれが欠けても又は有機的に関連付けられなかったらマネジメントにはなりません。健康管理の例をあげると、個別的・思付き的に健康に良いことをやったり、病気になったら直すとか体重と血圧を計る、年一回健康診断をするというようなのはマネジメントではなく、管理の範囲なのです。上場企業のほとんどがISO認証取得しているというのに、企業が良くならないのは、景気やデフレのせいでなく企業のマネジメントに起因していることを忘れてはいけませんよ。経営者の皆様、ISOをもっと真剣に勉強すべきなのは、実は他ならぬ貴方自身なのですよ。

思い切りの大切さ

私のお爺さんは、もともと名古屋で百姓をしていました。明治になって、大阪に出て、淀川の一銭蒸気船の商売をはじめ、沢山の船を所有して、大儲けした後に、思い切り、全部の船を売り払って東京に出て、皮革問屋を始め浅草界隈では、相当幅をきかしたほどの成功をしたのです。二代目は、好調な需要に支えられ業績を伸ばしましたが、女遊びをや芝居をやったりで、やや手綱が緩み、ついに三代目で倒産に追い込まれてしまいました。
どこかの小説のように典型的な出世〜三代目でつぶすというストーリーになってしまったわけです。
三代目がつぶしたことはともかくとして、お爺さんの二度三度の思い切った決断の凄さには敬服するとともに、そういう祖先がいたことを誇りに思っています。ところで、その血をひいたのか?気が小さいわりには、私も思い切った行動をかなりとって来ました。その結果すごくい良い結果を得ることが出来たのです。やはり守りより攻め・思い切りが大事だと思っています。皆様のなかには、私の若い頃ように、気が小さい・頭が良くない・人つきあいが下手・口下手・体力もない・金もないという方がおられるでしょう。でもそういう人ほど、とてもできそうもないような何か大きなことに猛然にチャレンジしてみて下さい。それをどうにかして乗り越えた時、自信が湧きそれが力になるのです。そういう思い切った体験を4〜5回積み重ねると、これはかなり大きな自信になり、人間が変った人のようになれます。是非やって下さい。駄目な人間なんだから、「失敗してもともと」の気持ちが大切です。

デフレスパイラルは、ぽかーんと口を開けて待っているだけでは、状況は益々悪くなるばかり→思い切った手を打て

私の企業の経験では、価格がどんどん落ちていく過程においては、当初は、どの競合企業も凄い努力を注ぐのですが、ドングリの背比べで、飛びぬけて出る企業は案外出てこないものです。そうこうするうちに、価格は更にどんどん落ちていくばかり、幾ら改善努力をしても収益は改善するどころか、何故か悪化するばかりなのです。そうして全企業が皆収益悪化に悩み続けるのです。そして益々価格が暴落していくのです。こういう体験をした人ならば、「こりゃいかん、小出しでなく、なにか飛び切り凄い手を思い切り打たんといかん」ということに気付くのですが、知らない人・体験していない人は、一生懸命努力はするが、他社がやれないような大きな対策を思いきり打とうとはしないものなのです。第三者の目で冷静に見ればわかることが、当事者達には、わからないものなのです。
現在デフレスパイラルの中にいる日本の企業の多くは、どちらかというと、同様に「通り一遍の努力」をしているでけですから、状況は全く改善するどころか更に悪化してしまっているのです。どうかもっと思い切った対策・処置を早期に決断し実施して下さい。そうしないでズルズル今のような、誰でもやるような「一生懸命にやってます」式のことをやっていると、100%、”負け組み”か”共倒れ”のどちらかになります。戦国時代を思い出して見て下さい。応仁の乱以降長い戦国の世が続きます。そして大名どもは、各地で小競り合いをしますが、だれも天下統一を果たすことができなかったのです。そこにとんでもない奴:織田信長が登場するのです。信長が天下統一した成功要因は、誰も考えられない・やれないことを果敢に成し遂げたことなのです。極めて単純なことですが、理性的・合理的・有能な経営者ほどこれができないのです。政治家しかり・役人しかり・銀行しかり・生命保険しかり・造船しかり・建設等の公共事業に頼る古い体質の業界もしかり・農家しかりなのです。刀と槍の戦争から鉄砲による戦争に大胆に切り替えた信長、その後独自の知略を用いて天下統一を成し遂げた百姓出身の秀吉、そして戦国時代の幕をひき、その後300年というあまりにも長い政権を維持する基礎を作った家康に学びましょう。私の見たところでは、どうも今、圧倒的に多数の日本企業は、もがき・苦しんではいるが、負け組み又は共倒れの状況が待っているような気がしています。さあ貴方は、織田信長になれますか?

物質・技術偏重の環境対策に思う。もっと原点・基本的な対策を

環境問題への感心が高まり、ISO14001やゼロエミッションやグリーン購買、省エネ製品等あれこれ対策がされています。しかし、どうもそういう対策をしても今一つ環境負荷は全体として減るどころか増加の一途を辿っています。アジアや中国等の国の生活もどんどん豊かになって来るのですから無理もないことです。こんなことをやっていると、環境対策を一生懸命やっているのに効果が出ず、いよいよ深刻な事態になって行きそうです。今の環境対策は、対策と称してむしろ環境負荷が増えるような感じがします。そこで私の推奨する環境対策のあり方を列挙します。要するに量を絶対的に減らすことが不可欠なのです。もっと原点に帰る、素朴な方法、変えるのでなくゼロ化することが大事です。屋根の上に屋根をひく、更にまたその上に屋根をひくようなことは良い環境対策とは言えません。例えば紙をリサイクルするのでなく紙を使わなくするようなことが大事なのです。省エネ型の空調や自動車を買うのでなく空調や自動車を買わないこと、使わないことが大事な段階に来ているのです。
@空調を使わない。薄着・厚着
A自動車はどうしても必要な場合以外使わない(特に都会で)
B田舎の山(=上流社会)に住む(木の家に住む)
C家の周囲は木や緑を一杯にし、通風、断熱を心がける
D物は修理して使う
E生ごみは土に埋める
F過剰包装は拒否する
G贅沢や使い捨てをしない
H照明は努めて消す。コンセントを抜く。水は無駄使いしない
I過剰なスポーツはやらない
Jコンクリート、アスファルトを避け、雨水を土壌に浸透させる
K缶ジュース、ペットボトル飲料を飲まない

日本人のここがいけない

日本人は素晴らしい能力や素質を持っていますが、どうも最近の日本人はあまり魅力がなくなっていますね。その原因は、日本人の古い悪しき習慣にあるように思いませんか?もっとおおらかで、ゆったりとして、明るく、いきいき、夢や目標をもって、自己主張して、自分流で生きて欲しいですね。そういう人とお付き合いしたらさぞ、楽しいでしょうね。ところが案外そういう日本人は少ない。
@やたらにへりくだる。ぺこぺこ頭を下げる。卑屈
A村社会、県人会、学閥、派閥等が好き、長い者に巻かれようとする。寄らば大樹の陰
Bハード(物)重視でソフトや情報の価値を無視する傾向がある
C人真似・横並びで信念・主義・主張がない。他人を気にする
Dつけとどけ、土産、ギフト、忘年会等々にこだわる
E恥かしがり屋の反面、旅の恥を書き捨てる
F本音と建前が異なる。嘘をつくことが多い
G見も知らぬ人を気軽に交わることができない。シャイ・自信がない
H利害を中心に動く、打算的、誠実さや真面目さが欠如している
I企画力・創造力・開発力が貧弱
Jいろいろな点において、自律していない
K量見が狭い、考えややることが小さい、大胆さに欠ける。やたらに、小さいことにこだわる

人は見ているようで、まるで見てない

人には目があり、優秀な頭脳を持っています。だから物事がしっかり見えているはずです。ところが多くの人間の目は節穴でしかありません。「見よ観よ」なのです。物事の見方には次ぎの5通りがあります。
@ぼんやり眺めている
A見てはいるが、部分的である
Bかなり真剣に見ているがあくまで表面的である
C内容にかなり踏み込んで分析的に見ている
D人なみはずれて相当な意欲と努力を傾け、あらゆる角度から真剣かつ冷静に完璧なレベルで見ている
上司:「ちゃんと見たのか?」部下の答え:「見ました」。ところが上記のように見るといっても5段階の見方があるのですから一概に見たと言っても、ある人はあまり見てはいないのです。同様に「わかった」「知っています」「確認しました」・・・・何ごとも人によって5段階くらいの差があるのです。レベル4以上の見方で見ましたというような理解が必要です。そうしないと、よくある例ですが、「君は見たといったけれど、ぜんぜん見ていないじゃないの」というようなことになり、とんでもない事故や損害を被ることにもなるのです。「確認しておけよ」と言われた場合も人によっては、何もしない人、電話だけで確認する人、ファクスやEメイルも出して確認する人、更にもう一つ別の確認もしておく人など様々です。私の場合には、二重・三重の確認をします。確認といっても随分いい加減な場合が結構あるのですね。大きな失敗を沢山していると「これでもかこれでもか」と慎重に確認するようになるのです。さあ物事を見る場合、自分はどのレベルで見ているのか知っておきましょう。そうしないと見たと思っても見ていないことがあるのです。そういう人の人生は失敗の連続でけっして成功することなどないはずですから、それでよいという人はどうぞご勝手に。

先生になって人生の幕を降ろせ

私が先生と言われたのは、昔、家庭教師をしていた時と現在経営コンサルタントをやってからです。コンサルタントになったその日、最初に先生と言われた時の思いは、いろいろな意味で変なものでした。しかしすぐに慣れ、5年もすると、すっかり慣れてしまいました。そして先生らしく行動するようになって来ました。小学校・中学校の先生と違うことは、教える内容がいい加減だと、お金を戴けないという厳しさでしょうか。多分、小中学校の先生は、資格をとって教師になればよほどひどくないかぎり給料はもらえるでしょう。経営コンサルタントは、結果を出さねば本当の意味で先生ではありません。以前、こういうコンサルタントがおられました。その人は企業に行って指導をした際に、そこの従業員から当然「先生」と言われたらしいのですが、その人は、「私は、先生などというものでなく普通の人間だから、先生と呼ばないで、名前で呼んで下さい」と言われたらしのです。何か素晴らしい先生のように思いますが、実は、「先生」と言われて「俺は先生ではない」なんて言うコンサルタントは失格なのです。経営コンサルタントは、正しく「先生」そのものだからです。教えることが商売なのですから。人間はある程度勉強し、厳しい経験を積み・実力を備えて来るとある意味で先生になっているのです。そうしてそういう中でもかなり優れた人が本当の意味の先生なのですが。言い換えれば本当のプロなのです。例えばイチローや松井選手やノーベル賞受賞の田中さん等は、超立派な先生なのです。貴方もそういう意味では立派な先生なのかも知れませんね。人生終盤になったら「先生」にならないといけないのです。経営コンサルタントが先生と呼ばれて、ふんぞり返って、努力を怠ったり、適当なことを言っているだけではいけません。日々切磋琢磨しないならば、先生とは名ばかりになってしまいます。それほど厳しい世界ですが、案外いい加減な先生が多いのです。立派な先生は一握りなのです。
先生=教える人、生徒=教わる人、良い歳をしていつ迄も生徒のままでは情けないのです、一体どんな人生をやって来たのか疑われてしまいますよ。実は、人間は死ぬ時までに「先生になる」ことが本来の目的なのです。さあ貴方は今先生と呼ばれてふさわしい状態ですか?それとも、そうでないのでしょうか?なにしろ人様に教えて役にたったり、感動を及ぼすことが出来る、下世話な言い方をするとお金を取れることが先生の条件です。そういう意味で他人に教えるということは、素晴らしいことなのですよ。人生とは、長い教員養成学校のようなものです。是非皆様も40歳・50歳で必ず、何がしかのコンサルタント(先生)になって下さいね。日々の生活や仕事において他人を教える・導くことの経験・能力も是非磨いて下さい。崇高な先生になるために。

仏作って魂入れず

現代日本人は、戦後、一生懸命あれこれやって来たことは良いのですが、結果的・総合的に見ると、とてつもない大きな努力に対して、必しも良くなっていないことではないかと思います。バブル以降のどたばたを見ていても「行け行けどんどん」であって考え方ややり方がずさんなために、穴のあいた袋のように水を入れても、入れても、底から洩れてしまい、結果的に何も残らないという状況なのでしょう。いわゆる「仏作って魂入れず」みたいな感じなのです。日本というのは、もともと小さな袋であったのでしょう。そこにどんどん大量の水を注いで行ったもんですから、穴があき、なおかつ洩れているのも知らずに、なお水を入れ続けているようなものなのです。千躰の仏を作って得意気にずらーっと並べたところで、皆、魂が入っていない単なる木像であるのと同じです。例え一体でも魂を入れることのほうが大切なのですが。日本人は、必要以上に見かけ・外面を気にし大事にします。内面はどうでも良い、外見が良ければ満足してしまうのです。横並び・護送船団方式・世間体重視なのです。ISO環境マネジメントシステムの構築についても、認証(マーク)をとりさえすれば内容はどうでも良いというのがほとんどの経営者の姿勢なのです。魂はどうでもよい、仏の形さえしていれば良いのです。地道な工夫や苦労を避け、手間をかけず、努力しないで経営マネジメントをやろうとするのです。日本人はきれいな弁当や料理や盆栽や包装が得意です。こういう外見重視の習慣がいつしか、魂や中身を軽んじる傾向を強く植え付けてしまったようです。ひどいのは、土産ものの「上げ底」みたいに中身を外見で誤魔化すなんて最悪な手段さえとってしまうのです。偉人と言われる人達は、誰もが考えもしないような厳しい目標を持ち果敢にチャレンジしています。そういう人達は正に魂をすり減らし、あらゆる苦難と対決し、修羅場をくぐりぬけてやっとの思いで仏に出会った人々なのでしょう。

「自由」は、貴重な資源だ。水・安全・自由は”ただ”ではない

日本ほど自由に満ち溢れている国はありまん。多分、世界広しと言えども、こんな自由な国はないでしょう。自由オリンピックでもやれば日本は、金メダル間違いなし。ところが、平和ぼけの日本人は、この重大な資源を無駄使いしているのです。世界の国々を見てみなさい。皆様ご存知のように、貧困・飢え・戦争・病気・体制等によって極めて悲惨で自由どころでない国が沢山あるのです。貴方がもし、こういう悲惨な国に生まれ育ち、ある日に日本に来たら、多分自由の有り難さをしみじみ実感するでしょう。そういうことを理解すると、自分の考え方や人生が全く変ってしまうでしょう。ところが残念ながら日本人は、水・安全・自由は”当たり前”、”ただ”だと勘違いしているのです。是非、自由なんだから自分の殻や社会の慣習に囚われずにもっと思い切って羽ばたくき、自分独自の生き方を追求して欲しいものです。その点、明治時代においては、封建時代の不自由に満ちた時代に拘わらず、自ら大望を抱いて、困難な事業にチャレンジした多くの人達がいました。ところがこんな自由な時代に殻にこもって、わざわざ不自由になろうとしているんじゃないかと思うほど、いじけた人間が多くなったことは誠に残念ですね。もっと「自由」という切り札を有効に使って下さい。

何でもドブに捨てる、人生さえもドブに捨てる人々、人生は10兆円くらいの価値があるのに

この世で最も貴重なものは、人生=「人が生きている」ということでしょう。ところがこの貴重な人生という資源を有効に使っている人は少ないのです。人生、言い換えれば「時間」はお金以上に貴重な資産なのです。ところが百円、1千円、1万円をドブに捨てる人はいないのに、自分の時間を湯水のようにドブに捨てている人は多いのです。「私の人生は、日々充実していて、実に有意義で価値あるものだ」と胸をはって断言する人は少ないのではありませんか。煙突から出る排気ガスや下水道に流す汚水のように、汚れ・疲れ・すさんだ・腐れ切った日々の生活の結果を日々ドブに捨てるような人生を送っている人が大半なのです。公害処理において、有害ガスや汚水を煙突や下水口の手前で処理し、排出しているようなことを「エンド・オブ・パイプ・テクノロジー」と言うのです。人生についても、大元や根本から有意義なものにするというより、いい加減な刹那的な生き方をしているだけであるために、出てくるものは、腐った・悪臭のする・汚れた有害排水みたいな人生ばっかりが排出されているのです。こんな人生を貴方も送っていませんか?時間(人生)と金を天秤にかけてみると、貴方の場合は金のほうに傾くはずなのです。そんな人生は、「ドブに捨てる人生」なのですよ。是非、根本や大元からきれいな有意義な人生を送って下さい。すぐに改めて下さいよ。貴方の貴重な資源は、今の瞬間もドブに捨てられていませんか?

は人との出会いの場所ショーやセミナー

6−8日、長浜で滋賀環境メッセが開催されました。こういう素晴らしいショーに出かけたことのない人や少ない人がいるのにびっくりします。ショーやセミナーは定期的に毎年とか毎月くらい行かないと遅れてしまい取り残されますよ。そんなことではプロの経営者や研究者や経営コンサルタントやサラリーマンにはなれません。忙しいなんて理由になりませんよ。ショーというものは、少なくともその時々の最高レベルの技術や製品が一堂に展示されているのです。こんな効率によい情報源というものはないのです。是非必ずいろいろなショーに行って下さい。特に若い人は必須ですよ。行くことがまず第一ですが。ショーの利用法のうまい下手でその価値はものすごい差が出て来るのです。出展する立場から来場者の方を見ると、次のように5パターンがありますが、まああまり褒められるようなレベルの人は少ないのです。日本人は一般に質問をすることが下手・苦手です。質問することが恥ずかしいのでしょうかね・又は質問の仕方がわからないのでしょうか?質問なんて簡単ですよ
・これは何ですか?
・何が特徴ですか?
・どういう用途がありますか?
・どのくらい売れていますか?
・どういう点が難しいのですか?
・どういう効果がありますか?
・いくらくらいするものですか?
・なにか欠点はあるのですか?
・その他幾らでも質問はできますよ?
出展する立場から来場者の方を見る次のように5パターンがありますが、まああまり褒められるようなレベルの人は、かなり少ないのです。要するに99%がショー下手な人なのです。
パターン1:(60%)素通りする人
パターン2:(25%)ざっと掲示をながめるだけで通り過ぎる人
パターン3:(10%)中に入ってくるが質問もせずに出ていく人
パターン4:(5%)中に入って来て質問する人
パターン5:(0.1%)かなりいろいろ深く・広く質問する人
ところでショーに来る目的は、次のようなものがあるのですが皆さんはどれとどれですか?
@新しい情報を得る
A新事業のネタを探す
B提携先を探す
C人脈を作る
D同業他社の状況を知る、自社のレベルや課題をつかむ
E基礎的な知識を勉強する
F見学者の感心ありネタが何かを知る
またショーの出展者も案外下手な方が多いようです。
出展者も同様に@〜Eを配慮して出展及び参加しないと意味ありません。漫然と展示し、漫然とブースにいる、いかに自社製品の良さを知ってもらうかを工夫すべきです。また何らかの結果や効果を出すように計画し設営・運用しないといけません。ブースの前に来た時、参加者が瞬間的にこのブースが何んであるかわかるようにしておかないといけません。特に出展者との人脈を作る場所だという認識や目的も忘れている方も多いですね。やたらにお金をかけて広いブースで、ごてごて展示したり、見にくい・わかり難い掲示板を掲げたり、パンフレットを誰彼構わず沢山配れば良いという考えかたでは駄目です。

滋賀環境メッセ開催される

滋賀環境メッセが滋賀県田村の長浜ドームで6日〜8日開催が開始されました。相変わらず盛況で興味深いものです。当社も出展していますので、是非お越し下さい。こういう展示会では私は各ブースに1件づつ入り、まず「これは何ですか?」「一体どういう特徴・効果があるのですか?」「どういうお客様が買われますか?」「価格は?」「原理は?」「売り上げの状況はどうですか?」というようにお聞きし、更に順次たたみかけて質問をしていきます。全然知らない内容の展示についても臆することなく、同様な質問をしていきます。説明者の方も喜んで色々教えてくれます。こうすることで、例えば今回は環境についていろいろな知識を深めていきます。ところが一般の方々は自分で関心のあるブースを除いて積極的に質問をする人をほとんど見掛けません。これって随分下手な展示会の利用法なのです。私はこの「質問をして見学する術」をある会社の社長さんに直接教えてもらいました。それ以降次から次へお構いなく質問攻めにして見学します。出展者はすごく準備をし資料を作り、勉強をしておられます。せっかくのそういう努力に報いるためにも全ブースで是非「この質問攻め方式」で勉強して下さい。環境は今後益々大事になります。幅広く、奥が深いですから是非どんどん勉強し知識を吸収して下さい。皆様恐ろしいくらい環境問題の知識や理解が欠落しているのですよ。そんなお粗末なことでは、地球はやがて滅ぶだけですよ。今日も大学の環境学専攻の学生さんが来られていましたが、やはり質問もせずなんとなくながめて通り過ぎるだけで、勉強をしようとする意欲も能力もなく非常に残念でした。この学生さんだけでなく、ほとんどの見学者は、見学されていること自体は結構なことですが、環境について広く・深く勉強しようとする意欲が著しく欠けているのです。まあ、そういう皆様のお蔭で、私のようなコンサルタントがお金を戴けことにはなるのですが。ああこんなことでええのか?

今年・来年は異常なのか?何故かカメ虫が少ない

今年は、琵琶湖周辺の山の全く雨が降らず、山の小川もほとんどひあがってしまいました。しかし自然の凄さはそれでもなおかつ下流に行くと水が湧き出してくるのです。ありがたや、ありがたや。どこかに水を貯えているのですよね。それでも山の涼しさは今年の夏も格別でした。おかげさまで、夏ばてとは無縁で、涼しい夏を今年も過ごすことができました。京都から40分の通勤圏に、こんな快適な避暑地があるんですから凄いですよ。なぜ不動産やはもっと真剣に売らないのか不思議でなりません。素人の私が安曇川の別荘の販売をやりたいくらいです。ということは、実は、安曇川の町(町は京都と同じに暑い)の人さえ、ここの快適さを知らないのですよ。ところで毎年秋になるとカメ虫という知る人ぞ知る臭い虫がいて部屋に何時の間にか入りこみ往生するのです。ところが今年は、何故かほとんど一匹もいない状態なのです。さあこれは何なのでしょうね?わかりませんが、不気味です。あんなに毎年大量に発生するカメ虫が全くいないことが。何かの悪い前触れでもなければ良いが、例えば地震や災害の前触れでカメ虫君やカメ虫嬢は、どこか安全な場所に避難したかも知れませんね。又は今冬は、ものすごい寒波が来るという人もいます。さて結果は来年のお楽しみですが、理由はカメ虫君に聞くしかないのですが、なにしろ非常に異常な事態なのです。まあこういうことも私達山に住む人間にしか気付かないことでしょうね。今後も自然界で異変が起きればこの掲示板で、前もってお知らせします。皆様もそういう自然の異変があればその内容をご連絡下さい。お蔭様で先週から山の小川の上流にも3カ月ぶりに水の流れが戻って来ました。やれやれ、ホッ。

ファーストより、遅さ(スロー)の大事さ

「より早く」ということはどこでも一番大事なことで、例えば、レストランでも頼んだもんのが早く出てこないといけないし、銀行の窓口では早く処理されますし、製品も高能率で生産されることが大事です。全てが、早くないといけないのが近代社会の常識です。ところが常識というのは正しい反面、致命的欠陥も潜在させているのです。要するに『@早くないといらいらするA早いために入念な評価・検証が後回しになるBその結果10年・20年100年後に大きな課題や取り返しのできない被害が生じる(今が大事だ、何か問題がおきても後で考えればよい)』になってしまうのです。これに対し、自然や神様は、気の遠くなるほど長い年月をかけてゆっくり変化を遂行して行くのです。[速さ=good、遅さ=bad]さてこれって凄い危険な思い込みではないでしょうか?貴方の人生もそうです。現代人は、人生さえも速さを求めているような気がしてなりません。「狭い日本そんなに急いで何処に行く」なのです。[人生=急ぐもの]になっていませんか?そのために、時間をかけて考え、企画し、じっくり事を行い、ゆったり味わうことを忘れてしまってはいませんか?『食事も人生もじっくり味わうことが大切』。日本人の早食いの悪しき伝統は、「食べさえすれば良い」の感覚なのです。さあ今日から『遅さ』を生活の基本姿勢にして行く心掛けをして見ませんか?そのためにはまず、脱都会ですよ。都会に住むと『遅さ』の生活は維持できません。『遅さ』は、都会の雰囲気に合いませんよね。まあそうは言っても特に日本人の「生き急ぎ」は直りそうもありませんが。

何事も災害は忘れた頃にやって来る

「災害は忘れた頃にやって来る」と言われますが、忘れた頃にやって来るのは、何も災害だけではありません。何事も忘れた頃にやって来るのです。ということは、『忘れる』ということは恐いことなのです。ですから、改めて「忘れていることが何かを検証してみることが大事なのです。例えば、日本は地震国でありながら地震の怖さを忘れていることなどです?それ以外にも、いかに多くの『忘れたこと』があることか。最近でも、例えばほぼ撲滅されたはずの結核やマラリアがはやっているとか。首切りや就職難、倒産、貧困、物資欠乏、大洪水、水不足、・・・・・等が突如襲って来るのです。そして個人ベースでは忘れた頃にもっと突如、大変な災害・苦・困難が襲って来るのです。そして麻薬や享楽や家計倒産や精神病や自殺に至る人が増えているのです。是非『忘れたこと』を思い出しましょう。「歌を忘れたカナリヤは、捨てましょか」にならないように注意が必要です。そうすることが自分にふりかかるとてつもなく大きな不幸を避ける唯一の方策なのではないでしょうか?心の温かさ・質素な生活・自然・田舎暮らし・不便さ・ゆとり・おそさ・健康・静かさ・・・・・を思い出しませんか?とりあえず、思い出すだけでも良いですから。

自由主義(何でもありー)はすでに限界に来ている

自由主義とは今非常に素晴らしい制度のように言われています。これに対し社会主義・共産主義は駄目だ、無力だと烙印が押されてしまいました。しかしどうも21世紀はむしろ社会主義・共産主義が必要な時代になってくるのかも知れません。「歴史は繰り返す」のです。自由主義も長い歴史の中で永遠に優れたシステムであるはずがありません。否むしろ自由主義というのは、本当のところ実は「悪魔のシステム」でもあるのです。自由→拡大→進歩・発展→汚染・枯渇・汚染→<限界>→破滅になるのです。規制緩和が進むのは良いのですが21世紀は、むしろ新たな世紀や遠い将来を見渡した新たな規制を考える時期なのです。そうしないと例えば@世界人口の倍増A食料不足B更なる汚染拡大C資源枯渇D難病奇病増大E地球温暖化及びそれによる数々の弊害F老人人口比率の急増及び医療・介護費の高騰G種の激減H異常気象I自然大災害J精神の荒廃・・・・・昭和以前の昔は、封建社会等、非常に多くの規制がある規制社会でした。しかしそれによて社会や地球は非常に長いこと、むしろほとんど健全に維持されて来たのです。自由主義によりあらゆるものが自由になってから、生活は豊かで便利で楽にはなりましたが、一方で、根底的な部分では、かつてないほどの規模で『健全性』が失われてしまいました。そして失われた健全性は回復困難又は不可能なものばかりなのです。今や経済さえも回復が困難になっている始末なのです。自由化・規制撤廃大賛成は、良いことではありますが、むしろ真のルール化・新しいシステム化・新しい規制構築が必要なのです。ある部分では、規制を相当強化していかないともう地球はもちませんよ。最近ふと思うのですが、長い歴史にとっては、中国やソ連が頑固に共産主義のままいてくれたほうが人類全体にとっては、良かったのかも知れませんよ。世界中が自由主義(実は悪魔のシステム)に乗ってしまった地球号はさあー、これからが大変なのですよ。

空白・無に戻る効能、私の体験

私は滋賀県琵琶湖湖畔の安曇川山中に、ひっそり全く一人住んで5年になろうとしています。こんな生活をしている人は、目下のところかなり少ないでしょう。当初慣れない頃は、野良仕事ばっかりやっていて、仕事に手につかない状況が長いこと続きました。でも、長年の経験や試練の賜物なのでしょうか、さすが期日がせまると一夜仕事で出来てしまうのです。そういうことで、ほとんど野良仕事に明け暮れる日が続きました。それほど野良仕事は楽しいのです。山の中は人はいませんから一日中、話さない毎日です。そうする日々にふと「ぼけやしないか?」「そのうち経営コンサルタント能力も落ちるんじゃないか?」とか正直心配になった時期がありました。そうこうするうちに、何故か、今年の8月頃くらいから野良仕事と仕事がやっとバランスよく両立し、かつ頭の何かすっきりするようになって来ました。夜も快適に眠れ、朝も6時にきっちり起きられるようになりました。これて何なんでしょうね?不思議でした。都会のけたたましい雑踏の中から全く逆の静かで、一日中誰とも話さえもしない生活への大転換によって3年間くらいは、カルチャーショックだったのでしょうが、4年目にして田舎の孤独な生活に慣れた頃、自然の雰囲気にすっかり馴染み、以前に増して、頭も身体も整理され、すっきり冴え、回転がよくなって来たのです。坊さんが山に篭り座禅・瞑想する場合も同様に初期はかえって混乱するらしいのです。しかしそのうち、頭がすっきりして来てそのうち、ある瞬間「悟り」が開けて来るという話を聞いたことがあります。偉い坊さんほどではないにしろ、それに近い状況を体験できたことは、思いがけない非常に大きな喜びです。私なりにミニミニ悟りを開くきっかになりそうな思いがして来たのです。画家が絵を描いています。そこに都会の絵を描きました。偉い先生に「その絵を山の絵にしろ」と言われて一生懸命直すのですが、”都会の絵”は”山の絵”にはなりません。そうこうするうちに、先生が、都会の絵の代わりに新しい一枚の画用紙を置いてくれました。「え!白い画用紙???」先生曰く「その白い画用紙に山の絵を描けばいいんだ」と言われたとのことです。「なんだ、白い画用紙ならば、すぐに山の絵くらい描けますよ」というわけです。人間というものは、この例のようにいつもごちゃごちゃした絵を描いた画用紙に向かって、それを一生懸命”山の絵”にしようとしているのです。それではよい山の絵は描けないのです。人間は、年齢を経て知識・経験を積んだ後の行き詰まった時期に、3・4年の空白の時期が必要なんだと思った次第なのです。多くの人と付き合い・多くの情報を吸収し、多くの体験をすればするほど、見識は広がると思っていると大間違い、むしろ膨大な衣服を着てしまったように動きがとれなくなるのです、どんどん認識が固定化し、柔軟性が失われてしまうのです。この危険性を是非理解して欲しいですね。困難な事態においては、まず無・空・静・虚・・・に戻ることです。

認識するということの物凄い怖さ

人間の認識というのは非常に不思議です。何故こんな認識の仕方をするのでしょうか。人間という高等動物であれば、もっと認識が縦横無尽、自由闊達かというとそんなことはなく一般の動物とかなり同じレベルの認識しかできてない部分が多くあります。ある場所に生まれ、父母の家庭に住み、そこの社会で成長して行くと、否応無しに与えられた環境で認識をし続けて行きます。動物における「刷り込み現象」みたいなものです。
そしてその環境が大きく変らない限り、人はその認識を持ち続けてしまうのです。あたかも籠の鳥や牢獄に繋がれた囚人のように。鳥かごや牢獄の扉はあいているのに出ようとしません。「出ろ」と言っても出ないどころか、外に出しても籠の中に戻って来てしまうのです。今正に、日本は多くの環境の変化の時を否応なしに迎えて、認識も大きく変えるべき時ですが、政治も経済も認識を変えることにかなり根強い抵抗を示しています。これまで日本は、どんな困難な事態にも2・3年で対処して来たのに今回は10年たっても苦境から抜け出でないでいます。「籠の中から出よ」とあれこれやっているのに頑固に出ようとしません。かなり大きな認識の変化を要求されているので、人間といえども、他の下等動物同様に本能的に拒否反応を示しているのでしょう。そうしてみると「人間も、大きな認識の変化能力はさほど優れていないのだなー、そういうことが案外人間の限界なんだなー、そしてその下等動物的部分が人間をやがて破滅に導くんだなー。」という思いがしています。大きな変革をしようとしても、大きな壁があってなかなか変革が実現しないものなのです。現代は、あまりにも大きな変革をせまる課題が多くなっています。小さく・少ない変化の時代には、そこそこどうにか乗り越えた人類も、もう能力を超えた変革に、なすすべもなくただ呆然と立ちすくむ、或いは、へなへなと倒れ込んでしまっています。「もういいよもう無理だよ、何にも期待できないよ」「俺一人ががんばったところで、どだい無理だよ」「どうせ俺の命もあと何年かだ交通事故や癌になることを考えれば世界がどうなろうと俺の知たことじゃない」「まあいいじゃないの今が幸せならば」。『認識をする→認識が固定するー<大きく認識を変える必要>→でも認識は変えられない→衰退→破滅』認識を固定化することから開放されるには、一度認識という服を脱ぐか又は垢をすっかり落とさないといけない。そのために一番良い方法は一度孤独な状況に戻り、自分自身を空っぽにすること。昔の人がやったように山に一人篭って社会と断絶してみることが一番良いようです。認識を変えるのは困難だが、認識を捨てることはできるように思うのですが、捨てる又は一度きれいになってから、新たな認識を持つことが近道なのかな?

精神復興・地球環境復興・ゆとり復興こそ緊急課題。もう経済復興は沢山

山中で一人生活して4年、なんだか最近身も心も浄化されていくような気分がしています。そういう中で特に強く思うことは、現代人の生活のあまりの豊かさとそれに更なる欲望の強さや強欲さ加減です。「衣食足って礼節を知る」というのは、現代日本人にまさにあてはまる重大な警鐘に思うのです。目下経済建て直しが叫ばれていますが、私は全然ナンセンスだと思っています。精神復興なり地球環境復興なり、ゆとり復興こそ緊急の課題なのです。もう経済復興は沢山です。経済は発展途上国にまかせればよいのです。日本は、21世紀のもっと遠い将来を目指して、新たな文化を率先して開発・創造し、新の世界貢献を果たすべきなのではないでしょうか?殺伐とした都会に住んでいると、ともするとそういう視点を忘れてしまいます。デフレスパイラルより欲望エスカレートのほうが空恐ろしい気がしています。大昔の人類・江戸時代まで人々・戦後の人々・低開発諸国の人々・山でひっそり暮らす人々そういう人の物差しでもう一度自分の生活や人生を見直すことが大切なのです。そうしないと都会人は、更なる欲望と刹那の渦の中に引き込まれてしまい、「本当の豊かさ」でなく「偽者の見せかけの豊かさに」に埋没し、一人で有頂天になったり、がっかりしたりする「躁鬱病患者」のような状況に陥り、つまらん・ある意味罪深い人生を送るだけになってしまいます。そういう意味でも脱都会というか今の生活を一度「御破算で願っては」いかがでしょうか?人間のつまらん頑固さや意固地さ、これって一体何なんでしょうね?

日本も大きな転換期そういう私も高齢化の入り口で大転換の時期になり、いつの間にか「いつ何時、死んでもよい覚悟」もしないといけない時期になっているのです。そういう中で若い頃は大して疑問に思わなかった当たり前と思われたことが、あれこれ疑問になって来るのです。これって良いことなのでしょうかね?今回は、「平和主義」や「人命尊重主義」についてです。これらは、疑う余地もないような当然のように正しいことのよう
に思えますが、そこに大きな落とし穴があるように思うのです。平和も良いのですが、はたして安易に断言し
てよいのでしょうか?
@国民が平和ボケする(生き物は常に危機下に緊張状態で生き長らえるものだ)
A危機感がなくなり、危機に備えず、危機に弱くなる
B平和であり続けることで、その反動でかえってその後大戦争が起きる(マグマがた
まる)
C戦争や争いというものは、自然界や動物界では日常茶飯時起きるもの
だからといって戦争を推奨しているのではありませんが、平和を唱え過ぎる又は平和ならば問題なく人類は幸せになるという思い込みは危険ですよ。また「人命尊重主義」についても声高に人命尊重を言う人がいますが、そういう人にかぎって肉・魚・鳥が好きであったり、ビフテキが大好物とか活きづくりが好きとか魚つりが趣味、魚を見た途端に「美味しいそう」なんて平気で言われるのです。「一体あんたの人命尊重って何なの?」と文句を言いたくなります。そんなに人の命が尊いのならば、肉・魚・鳥の命も尊いはずですよ。人もその他の動物も、命の尊さに変りはないのですから。彼らも捕まり殺される時、人間と同じくらい恐怖とつらさと激痛を味わっていること又折角もらった一度だけの人生(?)を絶たれるのですよ。人命尊重主義者は「動物は痛みを感じないとか動物は人間に食べられるために生まれて来るんだ、感謝の気持ちで殺し食べればよいのだ」などと自分勝手なことを言うのです。要するに自分がたまたま人間だから人命尊重と言っているに過ぎないのです。身勝手なのです。もしその人が牛や豚であったならば牛命・豚命尊重を声高に主張するはずです。そして人間の命はどうでもよいなどと言うかも知れませんね。
私の言いたいことは、誰もが当然正しいと考えていることが、あくまで人間の身勝手から人間が自分の利権保護のために言っているということです。利権政治家や公務員の天下りが非難されていますが、人間も動物も皆基本的に自分の利権を最優先に保護するものなのです。人命尊重を言うのは勝手ですが、実を言うと皆きれい事に過ぎな
いことをお忘れなく。本来動物界の最高峰に君臨する人間のあらゆる身勝手さがひょっとすると地球を破滅させるかもしれないのです。天に向かって唾を吐くと結局は自分にふりかかってくることも知らずに。

「テメーなんて人間じゃねー」でも、そう言うあんたは一体何者なの?

すごい悪党をなじる時に、よく芝居などに出て来るのが「テメーなんて人間じゃねー」という言い方なんですが、一体そういうことを言うあんたは何者?と聞くたくなるのです。その人がもし「私は人間です」と答えたとしたら、更に「それなら一体人間ていうのは、どういう者なの?」「あんたが人間だとしたら、たいしたことじゃないな」「あんたがもし人間だとしたら、相手の悪党とさほど違わないんじゃないの」と言いたいのです。人間なんてものは、所詮すごく罪深い・不完全の代名詞みたいなものなのですから。性善説というのがありますが、あれは絶対嘘なんです。人間は神様じゃない不完全な代物なのです。「人間じゃねー」なんてのはそう悪いことだとは思えないのですが。「罪深い人間でないというならば、むしろ良いじゃないの」と言いたい気もします。悪党も人間だし、善人ぶっている人もまたほとんど同程度の人間なのです。だからと言って「おめーなんか神様じゃねー」というのも少しおかしいしね。多分相手は、「そうだよ俺は人間よ」なんて切り替えされそうですね。だけど本当は「おめーなんか神様じゃねー」のほうが本当のところ正しいのですがね。だからどちらにしろ「テメーなんて人間じゃねー」というのはなんとも中途半端なのですね。以上、神様になりきれていない:いい加減な人間の一人である私の意見というか疑問でありました。

分析手法とは(皆さん使っていますか?)

EやVEやQCにはいろいろな分析手法があります。ところで分析とは何でしょうか?答えようとすると意外に簡単には答えが出て来ませんね。分析とは「分類する」「数値化する」「整理する」そして「比率を見る」「変化を見る」「比較する」「ワースト3を見つける」等のことです。分析手法の3つの条件は
@わかり易い
A簡単で使い易い
B問題が明確になる
ところで分析手法を使わない人も結構いるのですが、それでよく仕事が出来ますね。ひょっとすると仕事していないの?
分析手法をあげてみましょうね。皆さんは、幾つ知って使っていますかな?
・IE
工程分析・動作分析・動作経済原則・時間測定・VTR分析・運搬レイアウト分析・稼動分析・ラインバランス分析・JIT
・QC
特性要因分析・パレート分析・相関分析・散布図・統計解析手法・抜取り検査方式・信頼性分析・FMEA・ISO9001・ISO14001・ポカヨケ・TPM
・VE
機能定義・機能整理・機能評価
・アイデア
ブレーンストーミング・利点欠点列挙法・ゴードン法・シネクテイクス法・NM法・特性列挙法・4つの関
・目で見る管理
看板方式・アンドン・水スマシ・5S・ゼロ段取り・省人化・稼働率・人離し・U字ライン・1個流し・表示板・標準作業票・平準化・多工程持ち・ひっぱり生産・立ち作業・さらし首・赤札作戦

男が女を見る時外見に70%こだわってしまう(男にとって、これって情けない話)

私が若い頃を思い返すと、美形の映画俳優や美しい周囲の女の人に勝手に片思いすることがしばしばありました。なにしろ女を見る時にほとんどまず外見だったのです。多分これって私だけでなく、男の90%以上はそうでしょう。例えばすごく心の優しい女やすごく有能な女やすごく細やかな女や家事がきっちりできる女がいたとしてもそういう女が美人でなければ絶対にその人と付き合おうとすることはなっかたのです。年齢を経た今では、さすがそんなことはなくなりましたが、しかし女の外形を重視してしまう男というものは一体何者なんでしょうか?と思ってしまうのです。多分何かの理由で神様がそういうようにしてしまったのでしょう。これって何も人間だけでなく動物や魚や鳥にもありそうですね。しかし人間の場合、他の生き物とレベルが違うのですから、外見重視のこのへんな癖を直さないといけませんよね。多分この妙な癖はなくしてはいけない何らかの理由があったのでしょうね。それは多分種を保存するために神様が苦労して考え出した知恵なのでしょう。しかし子孫を維持するためだけであれば、高度な知恵を持つ人間は自らの理性と教養によって外見重視という考えを是正すべきなのでしょうね。そうしないと外見は良いが中身の薄い女と一生付き合うという不幸な副産物というか副作用に悩まないといけなくなりそうです。女の人もこういう悲しい神様の考えた方式にどっぷりつかって、外見だけを磨く悲しい習性を改めなくてはいけませんよ。そうしないと男は子供を作るためだけに女を求め、子孫さえ出来てしまえば、全く一緒にいる意味も価値も感じなくなり、単に料理人・掃除人・子育て人としての女としてしか貴方を認識しなくなるという不幸な事態になるのですよ。そして女出度く、離婚へゴールインするのですよ。アーメン

社員は動いている(働いていない)(稼動率より稼働率)

5%以下の利益しか上げていない会社のほとんどは、部長クラスから末端の従業員まで朝出勤してから晩帰宅するまで、動いているが、働いていないという状態であることが多いのです。社員は「俺がこんなに働いているのに会社は給与をあげてくれない・昇進させてくれない。・・・」と愚痴をこぼすのですが、実を言うと大半の人は働いているのでなく半分は遊び半分は動いているというのが実態です。嘘だと言うならば一日中一人の社員の横に付き添ってその仕事ぶりを観察して見なさい。社員は動いているだけということが実感できます。というのは私のようなかなり働いているほうだと自負する者でも,正直言って精々1/3ぐらいしか働けていなかったと思うのです。そして周囲の社員を見ているとそれ以下の人がいかに多かったかということを実感していたからです。最近の甘い若者なんかは多分平均的には更に動いているだけの人間が多いと思いますよ。役所の窓口なんかを見ていると、正に10%くらいしか働いていませんよ。日本の社員は時間に対して給与をもらっています。働き(結果)に対してではないのです。確かに格付けされ社員の間に給与差はありますが、極僅かで、実態を反映しているとは言えません。今私は自営していますが、自営者の場合、動いているだけでは、金は稼げません。働かないと駄目なのです。サラリーマンと自営者のこの差が真の能率差なのです。その差で評価すると自営者とサラリーマンの平均の能率差は多分2倍から5倍くらいになるでしょう。幾ら早く、能率良く動いても(本人は働いていると思い込んでいますが)働き(結果を出すような仕事)をしていなければ、むしろ会社に来て損失を生産しているということにもなりかねません。この際人事公課や業績評価をサラリーマン型から自営者型に大幅に見方を変えないといけない時期に来ているように思いませんか?社外や他の人に頼んだら幾らで出来るというような厳しい尺度で、個々に基本給与べースを決め、その仕事の質や量が上がらない限り給与は据え置き、または年一回の交渉にゆだねるべきだと思います。もしその給与で不満の場合は、退職されてもしかたないぐらいの心構えや開き直りが経営者には必要になります。働いても動いているだけの人にも、困難な仕事の人にも簡単な仕事の人にも年齢や勤続年数が同じだから同じ給与などという古い、大雑把かつ甘い給与体系では今後の厳しい競争に勝てませんよ。

完全自動化・無人化は必ずできる

「先生、うちの会社では無人化や完全自動化はできません。」「これこれこういう事情がありまして」「やって見ましたが成功しません」という会社の方がおられます。そういう会社に限ってあまりに簡単な製品で完全自動化が素人にもできそうな感じなのです。なぜなんでしょうかね?自動化に限らず「昔私の会社ではこんなことをやってうまく行きました御社でもやって見られたらいかがですか?」と言うと「いやうちでは無理ですよ」という答えが凄く多くがっかりするのです。これでは、コンサルテイングになったものではありません。他社の差別化するための提案をあれこれしても皆「うちはできません」なのです。しかしすごい困難な目的に「チャレンジして成功した会社にいた者にとっては、「絶対にできる」と思うのですが?どうもそういう方々にとってはとてつもなく困難らしいのです。私のいた会社も不良は多い、人は多い、生産リードタイムは長いで機械は人が絶えずついていないと駄目、不良が多いので沢山の検査を行う、それでも市場クレームは減らない、しかも製品は、誰が見ても超難しいものです。それでも社内で設備を開発し、改良を加え、現場できっちり管理・改善を行うことで最終的に無人化に近い形の生産になったのです。夜間はごく少ない人員で黙々と機械が製品を作り上げるまでに至ったのです。一日・一年でできることでないことは確かですが、何でもやればできるもんだと感じたものです。
多分完全自動化ができないものなどないのです。是非挑戦して欲しいものです。勿論できるように技術力や体制を構築しないとできないことは言うまでもありません。
ところで生き物というのは神様が作ったのでしょうが、皆機械に例えれば完全自動機です。そして原始的な生き物から人間のような超高度な自動機まで神様は開発・設計・製造してしまったのです。そう考えると完全自動化なんて超簡単ですよね。

予の辞書にjは不可能という文字はない

ナポレオンは「よの辞書には不可能という文字はない」と言ったとのことですが、昔飛行機も自動車もブルドーザーもコンピューターもない時代のこういうことを言えるというのが凄いと思います。それに引き換え現代人は「自分の辞書には不可能という文字ばかり」というふがいない人間が多いように思います。何かというと「そんなことはできません」「そんなことは知りません」という人が多いのです。特に日本人は、チャレンジ精神がないのです。私の子供の場合もほんの少し面倒なことを提案すると「そんなのいやや」「でけへん」という答えが口をついて出てくるのです。なんでこんなことになってしまったのでしょうね?昔の人にくらべ不可能なことなどなくなっているはずなのに、老若男女を問わず「でけへん」なのです。又は一向にやろうとしないのです。例えば「田舎暮らしは素晴らしいですよ、貴方もどうですか?」に対し帰ってくる答えは異口同音に「貴方だからできるのよ」「うちはそんなことできっこない」なのです。「田舎暮らしってどう?」「どうやったらできるの?」「予算は?」とかそういう質問はありません。今の日本の閉塞感は案外こういう「難しいこと面倒なことは、でけへん」現象にあるのかも知れません。ナポレオンの時代にくらべ可能な条件は飛躍的に高いくなっているというのに何故現代の日本人「でけへん」なのでしょうかね。「こりゃいかんは」「小泉はん、あんたがんばってもあかへんで」「皆困難なことはでけへんと言ってるでー」トホホホホ。「不可能・困難・つらさなんでも来い、受けて立ったるで」という人はいないのか?

テレビ番組や新聞に思う。もっと精神的に豊かな教育番組を(NHKは教育に特化せよ)

テレビ番組や新聞を見ていると殺伐としたもの、エログロナンセンスが大半です。番組も低俗なものも多く目を被うようなものも平気で放映されています。いかに視聴率が上がるからといてそういう傾向は是正すべきです。人殺し・だめ政治・会社倒産・会社の不祥事・強盗・警察官の不祥事・政治家の不祥事・俳優の結婚離婚・殺人事件物のドラマ・殺人型時代物ドラマ等々が圧倒的なのです。そしてもっと教育的なものや劇・文化・芸術・落語・漫才喜劇・田舎暮らし・健康・病気対応・人間の成長・世界の暮らし・経営・管理技術・生活の工夫・地球環境問題・宗教・個人の活躍等々大学等でやるべき教育的な内容の比率をもっと高めて欲しいと思います。俗悪番組や報道を全部なくせとは言いませんが、比率を逆転して欲しいですね、特にNHKは費用は全て税金でまかないニュース等は民放にまかせ、教育番組に特化すべきなのです。民放でやっていることをNHKが横ならびにやっているのでは国民の支持は得られませんよ。実際に最近そういう動きは出はじめてはいますが、まだ不十分のようです。しょうもない公共投資でなく国ももっとそういう心の公共投資をすべきだと思います。私は今の大学の大半を廃止し、テレビでやるべきだと思います。大学は不要、通学も必要ない、学費もいらない、だれでも教育を受けられる、大学入試なんてナンセンスで馬鹿げたこともなくなる、先生の質や講義の質は上がる、テレビですから教え方もすごく多彩でわかり易くなります。そしてむかし私たちが大学の講義をほとんど受けずにマージャンや部活ばっかりやっていた弊害がなくなることが最高に素晴らしいことではないでしょうか?

病む人・国・会社に[がんばってね」は禁句、「基本に返り、徹底して直しましょう」

病気の見舞いに行って日本人は別れ際に「がんばってね」と、つい言ってしまう。同様にどんな場合も「がんばてね」が挨拶代わりになてしまっていますね。しかしこの「がんばってね」は戦後の物資欠乏の時代の名残なのです。今これほど豊かな時代には全くナンセンスな挨拶なのです。「おはようございます」もおかな挨拶になっているのです。今はむしろ「およそうございます」なのですよ。皆さん夜更かしし行動し朝も太陽が上がっても寝ている生活をしており、「おいそがし」くはあっても、けしてお早くはないのですよ。「ありがたい」も同様です。今はあまり物事の有難さというのを実感しない時代なのですよ。まあそういう意味では「はやく太陽があがるとともにおき沈むと同時に寝る」とか「本当にありがたいもっと倹約しよう」とかすれば良いのですが、全く逆の方向へ突き進んでいるのです。しかし手当たり次第「がんばってね」だけは是非やめて欲しいとは思いませんか。むしろあまり「がんばらない」ほうが地球や社会や個人にとって幸せになりつつあるのですよ。でも挨拶だけはなぜか「がんばってね」になってしまうのです。「ガンバ大阪」というサッカーチームがあるらしいのですが、「ユッタリ大阪」にすべきなのですよ。「多忙」とは心を失うことらしいのですが、単純にがんばればがんばるほど心を失い、人生は落ち着きのない、自己を見失った人生や日々の生活になってしまうものなのです。明日から「ゆったりとね」「ごゆっくりに」「心しずかに」なんて挨拶にしたいものですね。少なくとも「がんばってね」だけはもうやめましょう。「ありがとう」は本当に「ありがたい」ことにもっと感謝し、地球環境保護のためにももっと節約で質素な生活を心がけましょうよ。最近良いことをやるのに結果が悪くなることが極めて多くなったとは思いませんか?また「良いことが必しも全面的に良い結果をもたらすだろう」とは考えにくくなって来ました。特に人間が良いと判断する基準が利己的なものが多くなり、人間が痛みを感じず、苦しむことなく、または従来の状況を回復することにこだわって対処しようとするために、全体的なバランスを無視し、ますますアンバランスの度合いがひどくなり、もう是正の限界を超えてしまう事態が増大しています。どんどん対策を打てば打つほどデフレスパイラルが増大し、不良債券が増大しているように、バランス維持が極めて困難になっている状況です。経済問題だけでなくあらゆる分野でアンバランスな状況が生じ、赤信号がともっているのに、まだ道路を渡っているような最悪の状況に陥っているように思います。「あまり悲観的にならないように」と言う方がありますが、21世紀は、地球や国際社会は、かつてない更に厳しい状況に突入していることは事実です。「楽観的になることのほうがむしろ危険な状況」なのです。楽観・楽観・楽観でどうやら次々に難局を切り抜けることが出来ると「次も何とか切り抜けられるはずだ」と思うのが、あさはかな人間のしがちなことなのです。物事には、「循環」や「平衡」や「復帰」という現象が必ず起こります。すなわち同じ状況が永遠に続くことはあり得ないことなのです。自然のしくみ(自然界のマネジメントシステム)はそういう厳格なもので構築されているのです。これだけ、贅沢の限りをつくし、出鱈目なことをやっておいて「楽観」をまだ続けているのは、ちょうど体力のある元気な人のように、ある日突然、癌や心臓病や脳卒中になって寝たきりになり、苦しんだあげく、最悪の状態で死ぬようなものなのです。どうもそういうところが、マスコミの悪い影響で責任感のない人が軽々しく「そんなに悲観しなくても、日本は世界一です。そのうちまた経済は成長路線に戻る」なんてことを言ってしまうのです。もちろん、あまりに悲観し過ぎてパニックになることはいけませんが、その反対に楽観することは、それ以上に大きな危険リスクであることを、ゆめゆめ忘れてはなりませんよ。肉食に偏重して成人病が増加したように、偏重、偏り、アンバランスが際限なく加速すると、もうそこは破滅の世界がパックリ口をあけて待っていることになってしまうのです。これからは、[良いこと=良い]という式は必しも成立しないことをよくよく念頭において下さい。[良いこと=悪いこと]にもなりかねなくなっているのです。その状況はスパイラルのように益々深刻になってしまうのです。デフレというのは物やサービスが安くなるのですから素晴らしいことなのです。しかし物事には限度というのがあるのです。これ以上寿命が延びる・医療や介護や安価に得られる、平和が続く、新発明をする、世界中の飢えや貧困が解消する、経済発展する、今以上に便利になる等々・・・はむしろ最悪の結果を生じることになるのです。「良いことも度を越せば悪になる」(栄養の取りすぎは病気の元)なのです。これ以上「良い事だからやりましょう」とか「より良くしましょう」とか「悪いことは全てやってはいけません」というのはむしろ危険ではないでしょうか?「皆様大いに悲観しましょう。」「悲観を心穏やかに受け入れましょう」「大いに悲観することにより、楽観しましょう

歌を忘れたカナリヤ(日本人)は捨てられようとしている
最近ほとんど歌われませんが、昔「歌を忘れたカナリヤはどこぞに捨てましょか?」と言ったような童謡がありました。今の日本がまさにそういう状況になっていますね。カナリヤがピッピッーとかわいらいく・美しくさえずることを忘れることなんてないはずですが、中にはさえずりができなくなった鳥がいるのでしょうね、多分そういう鳥のことを哀れんで歌ったものなのでしょうか?日本人もかつては「ジャパンイズNO.1」「ジャパンアズNO.1]とか言われていたように本質的に勤勉で真面目で有能な民族であったはずです。しかし今日では、例えば、子供の育て方や料理・掃除の仕方さえいちいち教えないとできない人が増えています。事ほど作用に深刻なことは、会社において経営ができない経営者や管理や指導のできない管理者やきっちり働くことのできない従業員が非常に多くなっていることです。もっと深刻なことは政治のできない政治家、手術のできない医者、指導のできない先生、家庭をきりもりできない主婦、市民を守れない警察官等々が増加していることです。高齢化も大きな問題ですが、歌忘れのカナリヤ族で埋まって日本列島は島ごと捨てられそうな気がしませんか。長年の平和ぼけや贅沢な生活三昧がもたらした結果なのでしょうね。軽々しく「平和が大切」というけど「過度の平和は破滅にもなる」こういう物事の恐ろしい側面をけっして見逃してはいけませんよ。最近歌を知った中国やインド等々のカナリヤは実に良い音色で盛んに鳴きはじめたらしいですよ。いやいや、きたない音色又はさえずりを止めた日本カナリヤはもう捨てましょか?
企業も国ももっと主体性・独自性・責任性を持ちましょう

  経営コンサルタントをやって色々な管理手法をお教えしたり、システムを構築したり、診断・指導をさせて戴くのですが、どうも企業様に基本的に欠けている重要な要因があるように思います。先生に色々教えてもらった、システムも作ってもらった、しかし一向に成果があがらない、従業員の動きが鈍いというようなことが特に最近の日本の企業や役所では目立つようです。昔高度成長の時は、そんなことはなかったように思います。少々わからんことがあっても自分なりに使い込み、工夫・改善し遮二無二、結果に結びつけていったように思います。今中国の会社の状況がそのように非常に積極的だと聞いています。中国の従業員は解放・改革路線にのってからというもの一生懸命勉強し、自分が自分がというムードが充満しているらしいのです。今日本に欠けていることは、国も企業も個人も『主体性・独自性・責任性』だと思われませんか?例えばISO14001の認証取得を受けた、しかし効果があがらず、手間ばっかり食うと言われる企業さんが沢山があります。しかしこれらの大半は導入時に大企業やいい加減なコンサルタントに指導をもらい役にたたない、手間ばっかりかかるやり方を受け入れてしまったからなのです。当社の場合は、そういう欠陥を生じないようにシステム構築をして差し上げるのが真のコンサルテーションであると考えていますが、大半のコンサルタント会社又はコンサルタントはそういう力量や誠実さをお持ちでないのです。ただ有名だからと言ってコンサル会社を選んでしまったり、事前に自ら十分な調査や検討、評価をしなかった経営者や貴方の会社にこそ問題があるのです。ISO14001は、自主的にシステム構築し、きっちり運用さえすれば良いのであって、必しも高いお金を払って、外部審査機関による認証を取得し、それを毎年維持する必要はありませんところが皆横並び、物真似をする結果、皆同じ失敗を重ねることになるのです。またISOは現状の管理や改善をベースにそれをきちんと整理し、きちんと運用することがねらいなのに、不必要なこと、ISO規格が要求もしていないことや欲張ってあれもこれもやろうとする企業さんが多いのです。また運用にあたって経営者や取締役・管理責任者の関与が著しく欠けており、放りぱなしであるケースが目立ちます。その結果、日本企業はどんどんISOの認証取得をしていますが、あまり企業の成果や成長に結びついていないのです。ところが、「ISOは役立たない」「ISOは会社にとってマイナス」だなどと大きな間違った発言が飛び出のです。「ISOは素晴らしい道具であって、これなくしてよく経営なんてしているな」というのが私の実感です。ISOを導入して役に立たない企業はむしろ企業に問題があり、経営者や従業員にもっと本質的な問題があるのです。それは日本人が最近急速に失いかけている『主体性・独自性・責任性』だと断言します。      数々の不祥事や国や役所の対応の遅さ・お粗末さも同様だと考えるのですが、いかがでしょうか?なにをやっても『主体性・独自性・責任性』に欠けている場合は絶対にうまく行かないどころかむしろ弊害が生まれるのですよ。政治・経営・結婚・就職・家庭・仕事全て必要なのは物真似や横並びではありませんよ。物真似はかつてはうまく行きましたが、現在及び今後の日本では、むしろマイナスにマイナスに作用するのです。   

日本に欠けていることは、国も企業も個人も『主体性・独自性・責任性』だ

  経営コンサルタントをやって色々な管理手法をお教えしたり、システムを構築したり、診断・指導をさせて戴くのですが、どうも企業様に基本的に欠けている重要な要因があるように思います。先生に色々教えてもらった、システムも作ってもらった、しかし一向に成果があがらない、従業員の動きが鈍いというようなことが特に最近の日本の企業や役所では目立つようです。昔高度成長の時は、そんなことはなかったように思います。少々わからんことがあっても自分なりに使い込み、工夫・改善し遮二無二、結果に結びつけていったように思います。今中国の会社の状況がそのように非常に積極的だと聞いています。中国の従業員は解放・改革路線にのってからというもの一生懸命勉強し、自分が自分がというムードが充満しているらしいのです。今日本に欠けていることは、国も企業も個人も『主体性・独自性・責任性』だと思われませんか?例えばISO14001の認証取得を受けた、しかし効果があがらず、手間ばっかり食うと言われる企業さんが沢山があります。しかしこれらの大半は導入時に大企業やいい加減なコンサルタントに指導をもらい役にたたない、手間ばっかりかかるやり方を受け入れてしまったからなのです。当社の場合は、そういう欠陥を生じないようにシステム構築をして差し上げるのが真のコンサルテーションであると考えていますが、大半のコンサルタント会社又はコンサルタントはそういう力量や誠実さをお持ちでないのです。ただ有名だからと言ってコンサル会社を選んでしまったり、事前に自ら十分な調査や検討、評価をしなかった経営者や貴方の会社にこそ問題があるのです。ISO14001は、自主的にシステム構築し、きっちり運用さえすれば良いのであって、必しも高いお金を払って、外部審査機関による認証を取得し、それを毎年維持する必要はありません。ところが皆横並び、物真似をする結果、皆同じ失敗を重ねることになるのです。またISOは現状の管理や改善をベースにそれをきちんと整理し、きちんと運用することがねらいなのに、不必要なこと、ISO規格が要求もしていないことや欲張ってあれもこれもやろうとする企業さんが多いのです。また運用にあたって経営者や取締役・管理責任者の関与が著しく欠けており、放りぱなしであるケースが目立ちます。その結果、日本企業はどんどんISOの認証取得をしていますが、あまり企業の成果や成長に結びついていないのです。ところが、「ISOは役立たない」「ISOは会社にとってマイナス」だなどと大きな間違った発言が飛び出のです。「ISOは素晴らしい道具であって、これなくしてよく経営なんてしているな」というのが私の実感です。ISOを導入して役に立たない企業はむしろ企業に問題があり、経営者や従業員にもっと本質的な問題があるのです。それは日本人が最近急速に失いかけている『主体性・独自性・責任性』だと断言します。      数々の不祥事や国や役所の対応の遅さ・お粗末さも同様だと考えるのですが、いかがでしょうか?なにをやっても『主体性・独自性・責任性』に欠けている場合は絶対にうまく行かないどころかむしろ弊害が生まれるのですよ。政治・経営・結婚・就職・家庭・仕事全て必要なのは物真似や横並びではありませんよ。物真似はかつてはうまく行きましたが、現在及び今後の日本では、むしろマイナスにマイナスに作用するのです。