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◆9.0所感(6号)【無断転載を禁ず】毎日掲載した過去の掲示板の内容を記録したものです。 最新
| ■430巨大地震が貴方を襲った時、貴方の生活は本当に大丈夫なんですか?是非地震後の自分の姿を真剣に想像してみて下さい |
ここ20年くらいに、巨大地震が連続3つ関西を襲うと言われています。しかもその巨大さは並大抵のものではないそうです。地震がこわいのは、様々な恐怖や困ったことが一度に起きることなんです。関東大地震を体験した私の父がさんざ言っていたことは「地震も恐いが、あとの火災は数倍恐かった」なんです。ところが、そういう厳しい認識をしている人が何故か少ないというのが信じられないことなんです。平和・平和というのも良いのですが「平和ぼけ」「たいしたことないさ」「どうにかなるさ」になっているのです。目を閉じて下さい。巨大地震がある日突然発生します。爆弾でも落ちたようなひどい揺れや地響き、もろもろ、かつて体験しなかった空前絶後のすごい恐怖が襲います。
余震も含めて大きな地震が数十回来るのでしょう。貴方と家族は、食物も水も風呂も寝るところさえもないのです。そういう中で数日余震におびえ、飢えと寒さと恐怖に耐え続けなくてはならないのです。その上、火傷や大怪我をしているかもしれません。そして大半の家が倒壊し、更に津波が襲い、液状化が襲い、火柱の竜巻を伴う大火災が起きます。そしてそれが終わると次々にとんでもない生活上の苦痛がこれでもかこれでもかと襲い続けるのです。貴方の家が1件だけ倒壊したり火災に遭うというような場合であれば、まだどうにかなるんです。ところが貴方だけでなく、広い地域が全滅するのです。貴方を助けたくても助けてくれないのです。阪神大震災と違うのは、ひょっとすると、人が互いに殺し合い、物を奪い合うかもしれないほどひどい状況になるということです。
@倒壊
A火災
B液状化
C津波
D食料がない
E風呂に入れない
Fトイレがない。地べたに糞尿をする
G電気・ガス・燃料がない
H雨風をしのぐ住まいがない(ホームレス)
I衣服・布団・保温ができない
J水が飲めない
K生活用具が全てない
もしこれだけ言っても、まだわからない、信じないという方は、是非滋賀湖西ログ生活総合管理支援センタの村上和隆までお尋ね下さい。いろいろ説明します。
@山の安全な場所にログハウスを建てる(ログは地震で倒れない)
(いざとなればテント生活もできる)
Aそこに生活用具一式を設置する
B可能であればそこに移り住むほうが良い
C地震保険に入っておく
D大事なものは銀行や山の地域で保管する
E食料を山のほうに備蓄する
Fプロパンガス(ボンベ式)にする(薪も沢山ある)
G水は、水道でなく川やタンクや飲み水を確保しておく
H電気はエンジン式の自家発電を装備しておく
Iログハウスには、十分な保管スペースを確保する
J米は備蓄する(地震予知情報により、いち早く山に備蓄する)
K地震予知現象を習得し常時監視する(地震雲・動物の異常行動・インターネットの予知情報)
もっとも「俺(私)は、地震で一切の財産を失い、誰も助けてくれなくても、今何もしない。その時はその時だ」と豪語する方はどうぞご勝手に。でもその時になって「こんな悲惨なものだったのか」とさめざめと泣きなさんなよ!!「ホームレスの人達って可哀相ね」などと冷静に言っている場合じゃないですよ。明日は我が身かもしれませんよ。阪神大震災のあと、あの悲惨さの数倍の悲惨さが明日にも襲うと考えるべきですよ。私も、過去何回も山のログ生活をしなさいという提言をしているのに、真剣に聴こうともしないのですから、あきれます。「私が昔35歳で松下電器を辞めた時、これからの時代は、転職の時代が来る」と言ったら皆に笑われ、馬鹿にされたのを思い出します。昨今、転職は当り前になり、多くの人があわてふためいているのです。地震について、国や県は予知や食料備蓄や津波防止や防災組織など事後対策や一時的対策ばかりに金をかけてやっていますが、私のような根本対策:国民自身がみずからの責任で対処することを推奨していないで、結果的に効果の少ない対策に税金を使っているだけなのです。役人というのは、とにかく頼りになりませんよ。地震でも災害でも高齢化でも就職でも国や役人を頼ってはいけませんよ。いつまでも子供のように親(国・役人)のすねをかじろうとするのは、ヤメロ!環境問題も国や役人のやっていることは私に言わせれば的外れの効果のない税金の無駄使いなんです。
| ■429医者・先生・経営コンサルタント・審査員は、立場を悪用して、絶対に相手を言いくるめてはならない |
ISOの審査を、経営コンサルタントの立場で、これまで何十件と受けてきましたが、どうも審査とはいい加減なものです。これは医者や先生や経営コンサルタントにも言えることなんです。要するに偉い人ほど、十分な説明もせず、自分勝手な言い分を相手に押し付けて平然としてしまいがちなものなんです。医者:「癌です。切除が必要です。」患者:「切らないで直りませんか?」医者:「無理です、どうしますか?貴方のご希望どおりしますが。」患者:「よろしくお願いします」というように、患者はわからぬまま承諾してしまうものなんです。双方どちらにも責任があるんですが、医者も一方的な発言だけで、相手の疑問を掘り起こしてまで相手にいろいろ情報を与えようとは考えてもいません。むしろ、質問すると「煩い奴だ」とばかりいい加減な答えに終始し、「お前さんに何がわかる、俺の言うとおり、うんと言いさえすれば良いんだ」と早く相手を言いくるめ、話を終えたいとしか考えていないものです。役所の受け答えみたいなものです。「教える立場・偉い立場」と「聴く立場・知らない立場」の場合あきらかに前者は、相手をいかに早く言いくるめて、黙らすかしか考えていません。
だからISOの審査を終わって受審の企業のご担当者に、「審査員から指摘された内容を理解できましたか?」と質問すると、「ほとんどわかりませんでした」そして私が確認をしていくと確かに全く理解していないのです。そこでえんえん経営コンサルタントが解説するんです。そうすると、ご担当者は「よくわかりました」と言われるのです。こんな馬鹿げたことがあるのです。よくテレビの健康相談室なんかで「かかりつけの医者がこう言っていましたが、大丈夫でしょうか?」などと質問をする方が多いのですが、実際に診察もしていないテレビの先生のほうが、よっぽど凄くわかるように説明してくれるのです。これっておかしいですよね。「なぜ、高いお金を払って診察してもらっている先生の話が理解できなのでしょうか?」医者に行って、私も同様なことを実感します。非常にけったいなことなんですが、かかりつけの医者の説明は、かえって理解できないことが多いのです。偉い人間というのは、どうしてもっと相手の立場にたって理解できるようにきちんとした説明をしないのでしょうね。その根底には、「俺が正しい、俺の言うとおりにしろ」という基本的な態度が染み付いているからなのです。
@審査基準が曖昧
A審査員のバラツキ
B審査員の能力
C審査の目的を逸脱
D受診側の立場・状況の無視
E初めから、こうだと決め付けている
F対話の姿勢が欠如
G審査員の人間性・人格の欠如
H審査員の経験の巾・奥行きの無さ
I決めた時間内に終わろうとする
J相手に徹底理解をさせようとする誠意の欠如
Kわかりやすい説明能力の欠如
こういうことは医者にもあてはまりますが、偉い人や自分が偉いと思い込んでいる人の常です。国会議員や役人なんかもこの典型です。最近、偉い人と付き合につれて、つくづく、”世の中で偉い人と言われている人”には碌な奴がいないことがわかってきました。最近、患者に対する医者のいい加減な説明や横柄な応対が問題になっていますが、ISOの審査もご多分に洩れません。一般の人は、勇気をもって恐れず、堂々と、権威に対して厳しい目を持って下さい。
@なぜ、どこが不適合なんですか?
AISO規格のどの要求事項に反するのですか?
Bどういう不都合が生じるのですか?
Cその不都合は、そんなに深刻な問題ですか?
D当社は、このやり方で何ら不都合を感じないのですが、それでもいけませんか?
E少し手直しするくらいではいけませんか?
F例えばこういう簡単な是正処置ではいけませんか?
G本格的に是正するとして例えばどんな是正処置が考えられますか?
Hその是正処置によって本当に不都合がなくなるのですか?
Iそんな面倒なやり方は当社では困難です、他にもっと簡単な方法はありませんか?
Jそんな難しい手間のかかることをやらないといけないのですか?そんな面倒なことをISOは要求しているのですか?
Kもし納得できない場合は、「不適合という結論や貴方の説明は納得できません。もっと御時間を戴いて徹底的にご説明下さい」
というようなやりとりを是非お勧めします。子供のように「なぜ」「なぜ」「なぜ」とわかるまで質問攻めにして下さい。高い審査費用を支払っていることをお忘れなきよう。審査員は偉い人ではありません。審査作業員なんですから、ご遠慮なく。医者も代議士も役人も上司も親も先生も同様ですよ。金払っているんですから、彼等は作業員なんですから、納得行くまで質問をしてやって下さい。
| ■428自分の欠点の克服は、ほんの一かけらの勇気なんです。「迷ったら、思切りやってしまえ」なんです。 |
私は、小さい時、かなり欠点が多く、劣等感の固まりでした。頭・芸術性・喧嘩・字が汚い・顔・恥ずかしがり・・・・少なくとも、自分ではそう信じていました。
優越感にひたることと言えば、背が182cmと当時としては随分背が高かったことくらいでしょう。だから人間的にいつもなんかビクビクして暮らしていたように思います。猿と言われ、百姓の出の豊臣秀吉みたいだったんでしょうね。劣等感が自分のエネルギーだったようにも思います。「和隆さんは頭がよくて、良い子で、頑張りやで、気の利く子だ」なんて言われていたんですが、思い切り背伸びをしていただけで、皆劣等感から出てきたものなんです。劣等感を打ち消すためにいつも何だかんだ、とうごめいていたように思います。こういう点も豊臣秀吉そのものだったんです。
@他人の目を気にする
Aビクビクしている
B恥ずかしいがりや
C目立ちたがり
D自分を大きくみせたがる
E落ち着きがない
F自信がない
G常に緊張している
Hくよくよ悩む
I人の倍の努力をする
Jあれこれ工夫する
K優秀でもなく劣等でもない、中途半端
でもこんな劣等感の固まり&目立ちたがり屋である自分は、”無理という車”をやや強引に押しながら、幸か不幸か、少しづつ変身して行けたのです。
その後私を変えた出来事を幾つかあげてみましょう。
@中学校に入り、急に成績が上位になる
Aテニス部の選手として活躍
B高校でかなり成績上位になる
C東京工業大学に見事合格
D自動車部の大学のラリー競技会の運営を引き受ける
E全く泳げないのに海の沖で高い場所から飛び込みができるようになった
F大阪の松下電器に入社東京から単身赴任
G松下電器をある日突然退職した
Hその後あれこれ幅広く新しい分野の仕事を担当
I経営コンサルタントに転身
Jすぐに経営コンサルタントの自営に変更
K人も住まない滋賀の安曇川山中に一人住む
こんなことは、有能な人には、当たり前以下のことですが、東京育ち、知力、体力、経済力、生活力も何も劣等な私としては、かなり思い切ったチャレンジの半生であったのです。そして、折々に「自分なりに清水の舞台から飛び降りるようなことを」やった時のことをあれこれ思い出します。今振り返ってみると「思い切ってやっておいてよかった。しり込みしてやらなかったら、今のような自分は存在しなかっただろうし、自信も生活力もない自分であったろう」とホットしているのです。欲を言えば、もっとがんばればよかったのですが、まあ私のような者には精一杯がんばったように思います。
思い切りやってみると意外にできたのが不思議でした。神様のおかげみたいなものでしょうね。
例えば、松下をある日突然辞めて、親兄弟もいない京都で一人路頭にさ迷った時は、さすが、まいりました。でもなんとか自分で道を切り開くことができました。結果的には随分と自分の幅と奥行きを広げることに成功しました。また海で高飛びこみをした時もなかなか勇気がでず、かなりの時間迷ったのですが、2mくらいの高さから思切り頭からダイビングしました。そうしたら考えていたほど、恐いことではなく、むしろ爽快感が味わえたものです。それ以降は、自慢気に飛び込む私に変身してしまったのです。しょうもないことですが、嬉しかったです。皆様も思切り冒険をやってみて下さい。結果オーライですよ。
経営コンサルタントになった時も随分迷いました。松下・E工業・ロームとかなり厳しい企業体験をして来たとはいえ、本当に企業様に出向いて一対一・一対複数で、指導なんかできるかと不安でした。でもある日「村上先生一人で行って来て下さい」と言われて、いきなり大企業に行き指導を始めました。ものの5分して、これなら楽々行けるという実感が湧いてきました。くよくよ、心配ばかりしていたら多分一生涯経営コンサルタントになんかなれなかったでしょう。
若者の皆様もどうぞ思切ってやってみて下さい。時間はかかるかもしれませんが、努力さえすれば、なんとか道は切り開けるものです。冒険をしないと益々道は閉ざされていきますよ。
私の場合、劣等感と目立ちたがり屋の性格が同居していたのが、チャレンジ精神に結びつき、冒険をし、結果を出せたんでしょう。なにしろ松下電器を辞めた時も、周囲の全員から無謀かつ馬鹿げたことと非難されたのですが、当時、大卒でこんな暴挙をやったのは私くらいのもんでした。暴挙とチャレンジは紙一重ですかね。なにしろ、私の主義は、「迷ったら、思切りやってしまえ」なんです。
| ■427厳しい現実をつきつけられ、想像を絶する事態が来るまでわからないこと |
私も60歳最近、歳をとっていろいろなことが否応なしに理解させられることが多くなってきました。老化・健康・経済・退職・介護・死・・・・・・。最近は、地震災害、首切り、子供や夫や妻が犯罪を犯すなんてとんでもないことが身に降りかかることも多くなってきました。人間というのは、そういう事態がやって来るまでは、「自分に限っては」とか、まだ遠い先のことと安易に考えているものなんです。私の場合の例でも、四十肩とか足腰がガタガタになるとか凄く身体がしんどくなるなんてことは、自分にはおきないと信じていたのです。ところが自分にもやってきました。誰でも歳をとれば100%来るものなんです。ところがやはりそういう事態が来るまでは、わからない・信じないのです。
人間のこのような浅はかな認識は、大いに是正しないといけないなと深く反省しています。良い歳して、未だに、「やってくるまで、認識できない」というような子供のようなことではいけないと思っています。人間は、先のことをきちんと予知認識しておくことが大切なんですね。宗教において、僧侶がよく言われますが、「死」は明日に来るかもしれない、明日にも大病するかもしれない、明日にも巨大地震で大火事になり家屋と財産を全て失うかもしれないのです。「明日のことはわからん、明日はどうにかなるさ」といういい加減な態度では駄目なんです。「明日のことを思い煩うな」ということを言いますが、そのためには、むしろ明日、明後日のことを考えて今日きちんとしておかないと、泣くことになるのです。今後日本は、急速な高齢化を迎え、国や県は、膨大な不良債権や借金をかかえ、巨大地震が3個も4個も同時に起きる等・・・・思い悩むことが山積している時に、明日に備えて今日、予防処置をしておかないと、相当につらい明日・老後を覚悟しないといけません。
私が最近思う事態には次ぎのようなものがあります。これはほんの一角で、もっと沢山の「へー」があるのです。
@歳とると、誰でも足腰が痛む、うまく歩けない、更年期障害が出る
Aあれだけ愛した結婚した相手がうっとうしくなる
B子供を育てることの大変さ
C大丈夫と思っていた会社が倒産する
Dとんでもない事故・犯罪に巻き込まれる
E何かのきっけけで、大貧乏になり、その日のことも困る
F夫や妻が病気し、死ぬ
G身体が弱る、癌や大病をする
Hリストラや窓際族、定年で退職させられる
I精神的に落ち込み鬱病になり、自殺を考える
J巨大地震で一瞬にして全財産を失いホームレスになる
K寝たきりになり・死と向き合う
豊かな時代だからこそ、大きな落とし穴がボコボコあいている。油断していると、落ちるぞ。国も企業も個人も、最近はやりのリスクマネージメントをしっかりやらんといけない。
| ■426最近躁鬱病や自殺者が増加しているらしいのですが、憂鬱になったらとにかくすぐに寝ろ |
最近躁鬱病や自殺者が増加しているようですが、30・40年前くらいから右肩上がりで確実に増加しています。かく言う私も東京から大阪に来て松下電器に入社して間もなく鬱病にかかり、半年ぼうにふった経験をしています。当時はあまり大ぴらにできる病気でなく、苦労もしかなり落ち込みましたが、どうやら2,3年で完治し、結果的には貴重で良い体験になったように思っています。というのは、鬱病になる原因や状況、予防法、強い心になる方法、なった場合の対処の仕方などが理解できたからです。その後、どんなに憂鬱になっても、どうにか修羅場をくぐり抜けて来られました。鬱病になったこと自体を真剣に悩む必要はありません。鬱病も風邪をひいたくらいに考え、適切な治療や対処をすれば良いのです。鬱病の症状は、次ぎのようなものです。こういう症状の場合、鬱病、または鬱病になる可能性がありますので注意して下さい。
@気分が落ち込む
A楽しくない
B食欲が減退する
C眠れない
D自分を責める
E集中ができない
例えば鬱病になっって、かなりひどくなった場合は、、とにかく仕事を離れ、寝ることです。憂鬱になった時は酒を飲む何かをすることより、徹底して寝ることです。1日、2日、3日ずーと寝ても良いのです。ですから憂鬱になったら金曜日に休暇をとり、木曜日の夜から徹底して寝るんです。多分ほとんどの場合、かなり直るものです。それでも直らない場合は、すぐに病院に行ったほうが良いかもしれません。というのは重症だから又は重症になる可能性があるからです。
落ち込んだ場合、あれこれ悩むと、更に事態は悪化するばかりなんです。重度に思い悩む人は、「どうにかしなければ」と更にあせるのです。そういうことによって事態は打開されないで、いよいよ断崖絶壁に立たされたような状況に追い込まれてしまうものなのです。だからひたすら寝ることが一番良いというのが私の元鬱病患者の見解なんです。騙されたと思って今後トライしてみて下さい。不思議と落ち込みの症状だけは緩和するものですよ。頭がパニックっているのですから、一度思い悩むことを中断するんです。効果てきめんです。また食欲の減退や頭痛、吐き気、睡眠障害などのような身体的な症状が出ている場合はまず、寝ることが効果を生みます。
腰痛でぎっくり腰というのがありますが、あれと同じなんです。ぎっくり腰になったら、腰を強く揉んだり、どうにかしようと動き回ったりすると更に悪化してしまいます。ぎっくり腰も3日3晩寝ることです。病院で検査し、何もなければ整体士にかかり腰のゆがみや、開きを直し、更によくなれば、軽い運動により腰の筋肉を強化するというようにステップを一歩づつ踏んで直していくことが大切なんです。
鬱病も全く同じです。精神的に強くもない、かなり弱っているのに、がんばることは無理なんです。強くなるには年数がかかります。歳をとればとるで、今度は新たな悩みが生じます。老人の悩みはある意味深刻なんです、老人はあまり無理をすると打開策を見出せず、自殺に結びつきかねません。
1.落ち込んだ場合は、即座に、とにかく3日3晩寝る
2.気分の落ち込みが直らなければ、医者や信頼のおける人に行く
3.悩みを打ち明け相談し手助けを頼む
4.地道に経験を積み努力する
5.新しいことにもチャレンジし、精神力をつける
6.苦しい体験にもなんとか対処していく
7.なんでも解決・対処できる力量をつける
8.悩んでもどうにもならないことは悩まない
9.事故が起きてもなんとかなるように、後悔しないように様々な予防処置をする
10.きちんとした生活態度・自己管理のできる人間になる
| ■ 425屋根の上に屋根を葺く、後世につけをまわすだけのねずみ講方式やビジネス変換方式の是正を |
今や世界は、グローバル化などと勝手な、スローガンを掲げてどんどん拡大発展(?)していきます。その結果生活の豊さや便利さは、表面上格段に向上しています。しかし良いことがあればあるほど、当然それ相当の大きな副作用が潜在的・顕在的に生じてきます。環境問題・経済問題・教育問題・健康問題・気象問題・食料問題・資源問題など様々な問題が累積的に増加します。特に環境問題は、人類滅亡へと一歩づつ確実に突き進んでいるのです。ところで人類は、これまで何か問題が発生すると、抜本処置を講じることは決してしませんでした。今ある範囲で解決せず、次々にこれでもかこれでもかと対策を講じて、気がつけば新技術や物で一杯の文化を構築してしまいました。
例をあげれば、昔の旅は、少ない荷物で徒歩で行ったものが、今やあれこれ衣類や道具を荷物に入れて大きな旅行カバンをかかえて、自動車・電車・タクシー・豪華なホテル・様々施設がなくては旅行できなくなっているのです。
あれもこれも皆そういう状態になっています。アメリカで大規模な停電がおき、生活がストップしてしまったのです。停電くらいならまだよいようなもので、大地震・大洪水・テロ・光熱水の供給停止・天候異変などがあると想像を絶する弱さを露呈してしまいます。細い柱の上に大きな家を建て続けているような状況なんです。
人類は、問題を次々にビジネスにして更に新たな問題を作ってきたのです。そしてその問題を更にビジネスにして、ネズミ講のようなやり方を平気で繰り返し問題を先送りしているというわけなんですね。
@肥満にスポーツやダイエットビジネス
A病気に薬・手術・延命ビジネス
B戦争に兵器ビジネス
C公害に公害装置ビジネス
D災害にダム建設・河川のコンクリート固め・埋め立てビジネス
E電力不足に石油・原子力発電ビジネス
F人件費高騰にロボットビジネス
G使い捨てにリサイクルビジネス
H交通混雑にアスファルト舗装・高速道路建設ビジネス
I都市集中に高層ビルデイング建設ビジネス
J魚の巨大消費に魚養殖ビジネス
K安価な玉子に巨大な狭い鶏舎飼育ビジネス
皆一見あたかも、前向きのような、賞賛に値するような、発展のような、幸福なような感じを受けますが、結果的に子孫につけを残す、後世につけをまわしているだけのことなんです。=ねずみ講なんです。現代の皆さんは、ねずみ講で大儲けしているだけのことなんです。問題先送り・問題拡大・ビジネス化による誤魔化し・引き返し困難化。
勇気ある人は、戻る勇気をもって、そろそろこういうねずみ講方式やビジネス変換方式を抜本的に是正したいものです。例えば高齢化社会到来ならば、そのまま受け入れればよいので高齢化対策なんかしないほうが良いのです。廃棄物増加するならば、廃棄物を出さないようにすべきなんですが、廃棄物を出すだけ出して、リサイクルなどという姑息な手段に頼って、「これで良し」などと思い違いをするのです。エネルギーの消費を削減した「これで良し」などと自慢気に言うのです。
| ■424今度の選挙は、100点満点ではなかった。利権政治は存続し、国民にとって30点。本物の改革が遅れ、国民にとって更なる損失の上積みにな |
選挙結果は、なんと二大政党の方向になったものの、不幸なことは、与党が、合計で安定多数を占めてしまった。なんとも日本人らしく中途半端な結果でしたね。底上げ政党・出稼ぎ政党・助っ人政党の公明党は発言力を増したのです。公明党がうんと言わないと何も決まらなくなったのです。今度の選挙で勝ったのは自民党でも民主党でもなく、実を言うと「公明党の一人勝ち」なんです。こうなると公明党が、利権政治の改革や行政改革に真剣に取り組んでくれることを祈るばかりです。とにかく公明党の動きに目が離せなくなったということです。参議院選挙で民主党は大勝する工夫と努力を真剣にしないといけませんね。
ノーテンキに民主党の数が40議席を増加したなんて喜んでいてはおられません。なにしろ、おぞましい利権政治ゾンビが生き延びたのですから、今回の選挙結果は二大政党のほのかな明かりが見えてはいますが、この灯は案外すぐに消えるかもしれませんね。投票に行かなかった有権者よ、野党よもっと真剣にやれ。
しかし選挙の投票率が低いのにはあきれます。なんと出鱈目な国民が存在することよ。こういうやからには、高額の罰金をとらないといけませんね。これじゃ、当分は利権政治家や悪徳役人に貴重な税金を無駄使いさせてしまい、その結果は国民に更なる多大なつけを強いられることになるのです。国民は、
@利権の甘い汁を吸う有権者
A利権政治・出鱈目政治に反対する有権者
B甘い汁を吸われても何されても平気な有権者
に分けられますが、このBの人が40%以上もいることが信じられません。40%のうち、少なくとも20%くらいの人は投票に行けるのに行けなかったか、そんなことはどうでもよい大金持ちなんでしょうね。
まあ、改革が遠のくことでこの国の改革は遅れ、少なくはなりましたが、ゾンビ政治家、ゾンビ役人、ゾンビ吸血鬼が生き長らえることになってしまいそうです。
まあ、完全失望をしなくても良さそうですが、国民にとって非常に残念な結果・危機的状況が継続することになったのは言うまでもありません。
でも小泉さんはどうも最近顔色が良くなく、元気がありません。改革が思うように進まないので、相当なストレスになって、心身ともにまいっているようです。私の直感ですが、万一正月あけに小泉さんが、小渕さんのように病気や死ぬようなことでもあれば、大きな政界再編成も起こるかもしれません。政治なんて意外とそういうアクシデントがきっかけで大きく変るのです。普通の人でも、小泉さんの歳は、危ないもんなんです。少なくとも顔色は、極めて悪いですよ。ひょっとして癌ではないのでしょうか?小泉さんという旗印・看板を失えば、自民党は脆くも崩壊することになりそうです。まあ何にしろ、今この国はなにかアクシデントがあれば一挙に国家崩壊なんてこともあるんです。
私の第六感ですが、「えっなんで?」といったとんでもない意外な事態が起きることが、年明けに予想されないとも限りません。最近毎年、年明けには、おどろおどろしいことが起きるのです。油断大敵!!
| ■423利権自民党や役人は大詐欺師集団、税金や郵貯、保険、年金基金の盗賊集団だ。主権者でなく被害者である国民:特に若者はノーモア自民党のために選挙に行け |
利権自民党や役人は大詐欺師集団、税金や郵貯、保険、年金基金の盗賊集団だ。主権者でなく被害者である国民:特に若者はノーモア自民党のために選挙に行け
選挙は9日若者よ必ず選挙に行け。なにしろこの国の状況は、想像を絶する、ひどいことになっている。私が今年60歳になって年金をもらって、恵まれているはずの私でも「こんなものでは、到底老後は無事生きていけない」と実感した。日本では、これからも高齢者の自殺者や病死者の山ができることは間違いない。私も去年までは、こんなにひどいとは思ってもみなかった。59歳以下の人には、多分そういう悲惨なこの国の実感がまだないでしょうが、それはひどいものです。健康保険の高さや医療費や税金の増加を考えると、半分〜2/3の年金は保険や税金に消えてしまうのですよ。、自民党の利権政治家と役人によって天文学的な税金が彼らのふところに落ち、膨大な借金が君ら若者の未来に影を落としている。そして、未だに更なる膨大な借金を積み増すことを止めようとしない。
政界を去った野中や江藤は、実は死んだのではない、墓場の中で多くのゾンビどもと図り生きながらえ、必死にもがいている。小泉さんが力み、いくらがんばっても選挙が終われば自民党の利権政治家=ゾンビどもは、再び息を吹き返し、今回が最後のチャンスとばかり更に自分達のふところに税金を入れる最後の悪あがきを画策している。日本の政治を変えるには、自民党政治に一応の終止符を打たねばならない。もし今回の選挙でも自民党のゾンビが生き延びるようなことがあったら、郵政や道路等々の役人集団や業界団体:ゾンビに群がるゾンビ支援有権者が選ぶことにまかせておいたら、もう二度と日本の未来はないでしょう。「日本は、諦めた、一度地獄を覚悟しよう」ということであれば別ですが。悲しいね。
景気が悪いのは、経営者や労働者達の努力によってどうにかなりそうだが、利権政治家と天下り・出鱈目役人の排除のほうが何倍も困難な課題だ、彼らは北朝鮮の金正日以上に厄介ですぞ。私は、こんなことを20年前から言っているような気がしますが、今度の選挙で自民党が再度政権をとるようであれば、もう私は完全に諦め、もう二度政治のことを口にすまいと思います。絶望しきって、もう政治も国家も頼らず、何とか自分の力だけで生きるように努力するしか道はなくなりそうに思います。そういう絶望の選挙になるか、ほのかであるが光明が見える選挙になるか?それもこれも若者が全員選挙に行くかどうかにかかっている。
ちなみに私は、すでに不在者投票に行ってきました。かなり沢山の不在者投票の方が来ていました。秋の絶好の行楽シーズンですが、雨になることを願ってやまないのは私だけでしょうか?
■422経営コンサルタントになりたい方が最近多いのですが。希望者の相談にも応じます |
経営コンサルタントは、すでに必要な経験・能力を有している方又は高い資質があることが基本的条件です。資格を持っているからとか、大企業に勤めていたからなどだけでは、不十分です。
当初から全部満点というのは無理ですが、私の場合もそうですが、「行ってこい」と言われて経営コンサルタントとして企業様に派遣され、初回から先方様にそこそこ的確な指導ができる人でないと無理でしょう。
そういう意味で一回やってみて「これならいける」という実感を得られるかどうかが鍵になります。何の職業でも1回目は大事ですが、芸人同様コンサルタントは個人の資質の有無しだけが頼りです。芸人も歌や芸を披露して、プロやお客が見て、駄目なものは駄目ですからね。経営コンサルタントも同様です。
ということは、できるかぎり企業での厳しい実務経験がベースにある上に、コンサルをやる場合の入念な諸準備が不可欠です。
そういう点から、経営コンサルタント志望者の方は当社におい出戴ければ、何らかのお役に立つと思います。希望者は沢山おられ、過去かなりの方の訪問を受けています。
基本的に次のようなことを、かなりの時間のフリートーキングの中で確認していきます。いろいろ情報を提供させて戴きますので、その結果、経営コンサルタントになるかどうかは、ご自分で判断して下さい。なれそうか?なれるが準備不足か?今すぐにやるか?・・・・
@経営コンサルタントの経験有無・年数(経験が無い場合は、素質の確認が必要、但しコンサルの経験があっても不適当な方はかなり多い)
A企業での実務分野・経験年数
B出身企業の経営状況、優秀さ
C資格有無(但し資格だけで十分ではありません、必要条件です)
D経営コンサルタントとしての準備・資質
a.指導マニュアル・支援上に必要な資料の有無
b.高度の経営管理能力・経験(大企業の方は、中小企業の経験がないとギャップがやや心配です)
c.観察・分析能力
d.企画・改善能力(柔軟かつ豊富なアイデアがどんどん出ることが肝心です)
e.管理技術手法活用能力(QCDSM・・・かなり広範な知識・縦横な実施能力があること)
f.文書、図表作成能力
g.会話能力・説明能力・説得力(どんな課題・質問にも即的確な回答・提案が可能であること)
h.セミナー実施能力(内容の質と魅力的なセミナー進行ができること)
i.人間性(自分自身・家庭がいい加減では駄目、まず人の手本になるような徳のある人になること)
j.マナー(だらしなく、マナーの悪い方は、まずそれを完全に直すことが先決)
k.パソコン操作(エクセル・ワード・インターネット・eメイル)
E経営コンサルタントとしての風格・実力(面接によって確認)
| ■421「やれない」でなく「やらない」、「効果がない」でなくて「効果を出さない」「道具がうまく使えない」、でもそういう時代になったんかな? |
ISO14001の環境マネジメントシステムを構築し認証を取得する会社は、非常に多くなっています。まだまだ今後増えるのは必至です。ところが、ISO9001も含めて「ISOは、役立たない」という経営者が多いのです。私に言わせれば、「社長さん、貴方が役に立てていない」「役立てる努力を全くしていない」のです。 |
| ■420田舎の食材は新鮮・安い・美味しい。都会の人は田舎のログ生活者より40年で1人暮らしの場合でも5,000万円は損する |
私は、安曇川で4日に一度、町へ買い物に行きます。一人暮らしの私にとって、最近はほぼ食材の買い込みだけなんです。
安曇川では、最近生活費だけですと、最低限で、60,000円/月で暮らせます。
山から町に出るのは週2回くらいですし、近くにレストランもスーパーも何もありませんから、金を使うことも少なくなります。毎日のように買い物する・外食する・出歩くのは都会人の生活習慣病なんです。田舎では週2回で十分になります。また多くの人がいないと寂しいというのも都会人の生活習慣病なんです。食材は京都の半額くらいですみます。京都で買い物すると食費は、1人の場合、最低で月30,000円が余計にかかります。またあれこれ金を使う機会が増加し、+20,000円京都より安曇川のほうが50,000円少なくてすむわけです。
都会で暮らして生活が苦しいという方は是非田舎暮らしをお勧めします。これからは、物価の安い、物質的な快楽にいぞんしないですむ地域に移り住むことが超高齢化を迎え撃つ秘策なんです。
これ以外にも、都会で駐車料金15,000円が田舎ではほぼただ、もし光熱を薪でやれば、月3,000円が節約できますがね。(私は目下検討中です。)
これだけでも70,000円くらいが節約できます。一人暮らしの場合ですから2〜4人家族では、もっと節約できるわけです。
特に野菜は、京都のスーパーの半額くらいですが、新鮮さが段違いです。特に果物は安いですね。近くに畑があリ、地元産で、少々形やキズがある難ものは安いですね。野菜は、都会の場合、物流(輸送・高速道路代・保険料・保管・スーパー)に携わる余計な人に、給与を支払う分高くなり、コストが上乗せされ、しかも物流に最低1日は余分にかかり鮮度が落ちるのです。腐っていては癌の元ですよ。田舎で作られた空気・水・食物は汚染、腐敗した上、高い金までかけて都会へ送られているんです。都会生活は二重苦なんです。
都会の人は、腐った野菜を高く買って食べているわけです。これは毎日のことですから影響は大きいですよ。野菜一人分月30,000円安いとして年360,000円40年で1,440万円の差が出るのです。駐車料金や、質素による節約が月20,000円として年240,000円40年で960万円の差合計2400万円の差があるのです。腐った野菜食べ、汚い空気を吸い、水を飲み、ストレスに晒されて病気になり病院に払う金も田舎のほうが少ないでしょうね。
もう一つ巨大地震においてログハウスに住めば、巨大地震でも安全ですから、一生に一度巨大地震にあい家を倒壊又は全焼させ家財も失うと仮定すれば、2600万円は節約できることになります。これだけでも40年間田舎に住むとして生涯5,000万円の節約になる勘定です。とすれば40歳の貴方が都会の持ち家を売り、500万円くらい追加出費したとしても、山にログハウスを建てて住むことは、利益があるわけです。
たかが「ログハウスの田舎暮らし」なんですが、されど「ログハウスの田舎暮らし」。歳とると収入は限られます。万一巨大地震で家も財産も一瞬にして失うことを考慮すれば、出費が少ない田舎暮らしは、年金が減り、税金が増え、医療費が増える厳しい時代には、是非とも検討しないといけないというわけなんです。ところが不思議にも、私のような計算をする方は、極めて少ないようです。年金が1,000万円減る2,000万円減るのであれば出費を抑えることが何にも増して重要です。巨大地震で、家と財産を失うこともきちんと考慮しておかないといけませんよ。30年以内には発生するとされているのですから。ログハウスは、普通の平坦な場所であれば、地震でも倒れることはなかったようです。「ログハウスの田舎暮らし」を検討しない方というのは、皆さん大金持ちか捨て鉢なんかどちらか?
都会は便利で楽しいということは、田舎の倍くらいのそれなりのお金がかかるのですよ。こういうことを冷静に認識しておいて下さい。都会はムリ・ムダ・ムラも多いのです。それに較べて「田舎は余裕よ!」しかも現代は田舎の山でひっそり暮らしても慣れれば、いわゆる都会的な物質的な快楽はないかわりに、それなりに楽しいものですよ。
「ログハウスの田舎暮らし、なんてそんなもので暮らせるか」という方はご勝手に。
| ■419物事ゴールがスタート、飽きてからが本物のスタートなんだgoal is start.(goal is end.ではない) |
物事は「守・破・離」というようなことをよく言います。何事によらず、今どの時点なんかを確認しておくべきです。マラソンに例えれば、スタート地点、10km、20km、30km、40km、ゴールや春夏秋冬のどこに今いるかというようなものでしょうか。何かやっていても存在する地点によって物事の認識、対応の仕方は当然違うものでなくてはなりません。
ところで、ゴールは終着点というふうに考える人が多いのですが、私は、ゴールに入って初めて、やっとそこがスタート地点なんだと思うのです。しかしどうもゴールに飛び込んだ瞬間に終わったと勘違いしてしまう人が案外多いのです。
例えば学校を卒業した、結婚した、退職したそういう節目をゴールと認識するのはとんでもない思い違いなんです。卒業したらそこがスタート地点なんです。結婚したらそこがスタート地点なんです。
春が来て夏が来て、秋が来て、冬が来る。ところが冬は終わりであるようですぐに次のスタートに繋がるんです。そして一度、終わることで、本物の進化が生まれるのです。朝昼晩も同様です。夜が来ることは、明日へのスタートを意味するんです。「ゴールのないスタート」はないんです。物事というのは、早くゴールしないと、いつまで経っても、本物のスタートが切れないのです。一人前になって始めてスタートが切れるんです。即ちゴールがスタートなんです。ゴールすることは、スタートなんです。こういうことを、是非口癖にしておいて下さい。
世の中には、必要以上にゴールを恐れる人がいますが、ナンセンスです。だってgoal
is start.なんですから。goal and start.goal and
start.goal and start.・・・・・の繰り返しなんです。「冬が来てもう春が来ない」などと考える愚かしい人なんです。
退職して、老人じみて、やることもなく家で粗大ゴミになって、うつ病になるなんて、馬鹿げています。goal
is end.ではありません。
「逢うは別れのはじめ、別れは出会いのはじめ」
| ■418安曇川、長尾の山の中で、春から秋まで、楽しみは土いじりです。 |
安曇川、長尾の山の中で、春から秋まで、楽しみは土いじりです。というか自然と向き合うことしかないのです。都会では、人や物や快楽と向き合うのと基本的には同じことなんです。自然の作り出した木々が腐食して虫が食べ糞をして、醗酵して黒々と隙間の多い健康な土をいじることは楽しいことです。その土に植えたものが花を咲かすことがなんとも嬉しいですね。ところで山ですから、冬場の厳しい寒さに弱い植物は、一年しかもちませんし、手入れが大変です。毎年草花を買って植えても翌年は、また買わないといけないので、大変ですし、自然ではありませんよね。その土地の風土や気候に合わないものを植えるから手入れをしないと続かないという単純な理由なんです。今年から、季節の花を買うのは最小限にし、大半は山に自生する花を植えることにしました。そうすれば、花も喜び、私も楽なんです。そしてそうこうするうちに、なんとなく落ち着きというか、しっくりしてくるような気がしてきました。そういう考え方になってから、この山中での私なりの庭作りの方向が見えてきたように思います。
最近はやりの「超すげー満艦飾のガーデニング」というような、人工的、高尚なものは、都会地域の有閑マダムがやることです。厳しい冬の環境の山では、人間が好きな草花を植えるのでなく、この地に合う草花を主にしていけば良いんじゃないか?無理をして毎年生き死にさせるのは、草花も可哀相ですよね。そういうものを追求していくと、そのうちこの山にマッチした庭というか林とかいう野生味のあるものが見えてくるのではないかと思っています。多分この山中でも、廃棄物の不法投棄や、汚染や温暖化などの環境破壊によって、自然が昔のいきいきした美しい姿を保てず、失っているんではないか?と思ったのです。助けてくれ!!と弱々しく山が叫んでいる声が聞こえたのです。まず今この山に活発に生えているものを中心にして草花を増やそう。専門家がやるような金や労力をかけて、見てくれの良いガーデニングでなく山の自然に少し手を加える程度の素朴なものにしようと考え直したのです。山の土は、健康そのもののです。
<日月火水木金→土>(日から金までによって、土ができ、肥沃な大地に実りがなり、自然が健全に循環する)
ガーデニングとは、狭い場所に、ごてごてすることでなく、素材をそのまま活かすために人間がそっと手助けすることで、「これでもかこれでもか」と人工的にゴテゴテ仕立てることではなく、シンプルなものが良いと思い直しました。例えば、私が死んだ後も、毎年永遠に咲き続けるそういう庭を取り戻そうと考えています。そうでないと寂しいですよね。ところで我が家の前のスペースは、人様の所有地ですが、ログが建っていない空き地が広大に存在していて、小さい林のようになっており、そこも含められますので、都会にくらべてスケールの大きい庭造りができるので、自然を十分満喫できます。広いカンバスは気持ち良いです。小さいカンバスは、幾ら美しい庭ににしても、何かつらいものが残ります。
| ■417この過食・栄養過多の時代 |
戦後、食べ物がない時代に、和食は駄目なもの、乳・肉を基本にした西洋の食事を勧めるようになってきました。ところが最近日本人も肥満児が多くなってきました。かの中国でも肥満児が増加しているとのことです。そこで反省がなされ、
・和食重視
・食べ過ぎの抑制(ダイエット)
・運動
の大切さが盛んに言われ、「なんだ和食は駄目、肉・乳・パンをさかんに勧めておいて、今度はそりゃあかん、かいな」と戸惑ったものです。今や欧米でも味噌・醤油・豆腐や納豆や寿司など野菜・魚中心の日本料理を控えめに食すのが世界を席巻し、健全な食のグローバルスタンダードにさえなりつつあるのです。
同様に食以外にもなんでも沢山が良いのだという風潮は健在です。多くの人と付き合おう、多くのものを買おう、多くの便利を・・・・と「沢山イズベスト」の「大・多・早」思考から脱却できないでいるように思います。例をあげると次ぎのような過食症みたいなものがあります。そしてそういうものは貴方を幸せにするどころか、かえって貴方を蝕むようになってしまうのです。食べ過ぎ・飲み過ぎ・吸い過ぎ・やり過ぎに注意をしましょう。
@過食症
A過物症
B過人症
C過騒音症
D過便利症
E過情報症
F過競争症
G過美症
H過スピード症
I過犯罪症
J過エゴ症
K過贅沢症
「過ぎたるは及ばざるが如し」とは度を過ぎればせっかく一生懸命やったことでもかえって悪い結果をもたらすよいう意味ですが、過ぎると
@古いもので一杯になってしまう
A自由度が少なくなる
B新たなものの入る余地がなくなる
C近視眼的になる。井の中蛙に
Dそれ自身が目的になり、ますます剥きになる
E他のものが目に入らなくなる
F人の迷惑を考えなくなる
G考えが硬直化し、素直さや柔軟さを欠く
Hどうもがいても、そのうちそういうものから抜け出そうにも抜け出せなくなる
I生活習慣病:いろいろな弊害が次から次ぎに発生する
J偏った人間になる
Kヒステリー、熱狂、中毒、依存症
「足って節度を知る」「穏やかな生活態度」「ゆったりとしたライフスタイル」の時代が来ているのですが、どうも日本の政治家は、環境の時代などと言いながら、未だにモット追求(経済発展・高速道路・ダム建設・無益な公共事業・・・・)を止めようとしません。
「欲しがりません、勝つ迄は」とか「働きます、豊かさを得る迄は」から、「もう欲しがりません、楽しみます」にしようと思います。
| ■416中曽根さんよ、あんた最後に醜態を曝した。時代錯誤・徳の欠如していることに、尊敬の念から軽蔑に変わった |
自民党が73歳定年制を決めたところ、最後まで抵抗していた宮沢さんは、承諾しましたが、中曽根さんは、自分の体力や能力があることで強く拒否した。私は中曽根さんを尊敬していたのに、さすがこの態度にはあきれて、軽蔑になってしまいました。その点では、あの悪名高い野中や江藤の引き際のほうが立派ですよ。
年寄りがどうのこうのでなく、長いこと政治や経営をやっていることは、全体的見て甚大な不都合や弊害、損失があるのです。個人がどうのこうのと例外をつけるようなものではないのです。「人は必ず死ぬ」みたいなもので、「わしだけは死なん」などと言っているような幼稚で徳の欠如した人の言うことなんです。むしろ立派な人であればあるほど、全体のことを優先して、むしろ早めに後身に道を譲るべきなんです。自民党との約束がどうのでなく、73歳になったら言われんでも勇退すべきなんです。会社なんかでは今は、実質的に42歳昇進停止・45歳昇給停止・48歳減給50歳退職なんですよ中曽根さん。まあ実力のある人はこれより+5から10歳にはなりますが、そういう有能な人ほど早く転職する人材流動化の時代なんです。
本田宗一郎さんが見事に勇退したことを中曽根さんは、ご存知ですか?中曽根さんは、むしろ定年を65歳にしろというような提案をすべき立場の人なんですが、十分の歳をおとりになっているわりに、分別のない、エゴの塊、自分さえ良ければそれで良いというのが見え見えですよね。老人は、後身の指導及び現役でなく周辺で支える立場なんです。
老人が居座ることは、健全なことではありません。否むしろ大きな弊害があるんです。そんな常識がわからんで「俺は例外だ」などと子供じみたことを言う人とは思いもしませんでした。最低ですよ。自民党自身がもういい加減に、一度総退陣して欲しい状況なのに、中曽根さんは、自民党の中で唯一分別のある立派な長老と信じていたのにがっかりです。もう何をか言わんやです。
野中や江藤さんなどの顔を見たくないのは当然ですが、もう二度と宮沢さんも中曽根さんの顔も見たくないですね。元道路公団総裁の藤井も最低の人間ですよね、あれだけのずさんな経営をしておいて、謝るどころか、北朝鮮の金正日より数段の悪人ですよ。若者政治家よ老人政治家や役人にいつまでももの言わせず、勇気をもって改革して下さい。
| ■415人間や物事は、反対側のものに強くひかれるものは不思議でありませんか?そこに何か秘密があるのか? |
私が男ですから、男が女を好きなのは理解できるのですが、不思議でならないことは、女が女を好きにならないことや男が男を好きにならないことなんです。当たり前のことかもしれませんが、冷静に考えると不思議ですよね。最近ハーフとかおかまという人が出現していますが、こういう人は身体を調べると外見上は、男であるのに身体が女であるようです。ですからやはり女は男、男を女が好きになるということは、真理であるようです。一体反対のものが強く引き合うということには、どういう原理が隠されているんでしょうね。
神様がそういう風に創ったんだというのも正しいことですが、私なりには、「物事や人間は正反対のもの轢かれる」ということです。私が考えた理由らしきものは次のとおりです。
@自分に不足しているものを欲しがる
A一体になれる。合体できる
B衝突・反発がない
C分業・分化していくにつれ、相手にはないが自分にはあるものが更に増えてくる
D正反対のものは互いに引き合う(引力が働く)自分にないものに轢かれる
E動物は、相手に好かれるように自らを飾りたてる
Fプラス同士、マイナス同士にはひきあう力は働かず、反発する
G分業という考え方をすると、互いにより専門化し、相違点が進化し、相違点が強調されてくる
H合体して相互作用することで何らかの生成物や効能、影響が発生する
I例えば、ボルトとボルトは合体できない、ボルトとナットで強い合体が可能になる
Jこの場合ボルトのほうがナットにより数倍強く引かれるように仕組まれる
K異性は、互いに相手を引き合うように本能的に努力し進化する(動物や人間の場合は、どちらかというと、女のほうが男から強く引かれる)
あまり適切な分析ではありませんが、プラスとマイナスを向かい合わすと引き合うということを再認識し、物事を分析し、この法則を活用することは、すごく意味あることとは思いませんか?
「正反対のものを近づけるとそこに引力・生成物・効能・影響が生じる」
例
・和洋
・今昔
・老若
・町村
・物心
・男女
・火水
・好嫌
・利口馬鹿
・南北
・上下
・温冷
物事の対、相対するものというのは本来強く引き合うという原理を正しく、冷静に認識して、適切にコントロールすることは大事なことでしょう。
ところで、逆に、相対するものが反発する場合もありますが、それは、「可愛さあまって、憎さ100倍」みたいに、本質的に引き合うために、かえって反発するんだと思うのです。引き合うがために間に何らかの障害が存在すると、反発・敵対が増幅するのではありませんか?ボルトとナットを閉める時、ねじ山が一箇所でも破損していたり、異物がはさまったりすると全然はまらなかったり、はずれなかったりするのです。こういうことは、何においても同様です。敵同士は本来大の仲良しなんです。ところがそうなるべきものがそうならない場合は、何かの障害があるはずです。
| ■414現在は過去なんだ、未来は現在なんだ |
高度経済成長の時代は、新幹線のようにひたすら突っ走って来ました。そういう右肩上がりの時代は、過去・現在・未来というより現在がづーっと続くような状況であったように思います。過去を振り返る余裕や遠い未来を見据えるのでなく、ひたすら物につかれたように日々仕事に追いまくられていました。朝会社に行き、懸命に仕事をし、夜遅く帰り寝るの繰り返しで、休みも糞もなかったのです。ところが、最近日本も豊かになり、中国に追い上げられて、経済失速・超高齢化・膨大な赤字などで崩壊状態になっています。
さて今日のこのような経済状況においても、凄い利益をあげている会社があります。また100年200年300年以上の老舗というものも健在なんです。
こういう会社の特徴は、過去・現在でなく、常に未来を念頭においている点です。過去も現在も、終わっているんです。経営の本来の課題は次ぎの時代のことなんです。日々の仕事の中で次ぎの時代の調査・研究・開発に相当の力をかけていないと遅かれ早かれ、中国をはじめ世界中から打ち負かされるのです。高いポテンシャル・潜在力のある日本企業に求められる今後の重要な企業理念は、「経営資源の未来への積極的な重点的配分」なんです。
ところで、貴方も、過去・現在にこだわり、時間や手間をかけ過ぎていませんか?もっと貴方の未来に心や貴重な資源を配分しないといけません。例えば巨大地震が20年くらいの間に確実に起きると言われているのに、予防対策・緩和処置や、いざ起きた場合の対応について対策を講じていません。「過去・現在地震はなかった、だから未来にも地震は起きない。自分はかつて一瞬にして全財産を失うことなんかはなかった、だから今後も財産を失うことなんかはないはずだ」というような調子なんです。企業で言えば、こういうタイプの企業は、一時的に高い業績をあげることはあっても、せいぜい2、30年くらいしか耐えられません。
企業も個人も国家も、より遠い未来のことに十分配慮をしていかないとせいぜい2,30年くらいしか良い状況は維持できなくなっているんです。それが今日本で現実になっているんです。中国だって、有頂天になって過去・現在だけに目を奪われていると、意外と近い将来、中国にも日本より更に悲惨な結末が到来しないとは限りません。人間は過去・現在に有頂天になったり、満足していてはならないのです。明日は過去・現在と全く違っ姿を描く、逆転の発想をするくらいの感覚がないといけないのです。世の中や自然界というものはそんなものなんですよ。平和主義者が言うように平和がくれば永遠に平和であるなんてことはなく、平和を維持することは、戦争の戦い以上のしんどい戦いが必要なんです。現在が平和だからと油断して未来への真剣な対応を怠ると、平和なんかは、一瞬にして崩壊するものです。目下世の中は、かつてなかったような急激な変動をしようとしています。明日を自ら描けないものには、明日はありません。期待に反してつらい、苦しい、嫌な時代が来ているんです。でもしかたないですそういう世の中にしてしまったのは我々なんですから。
| ■412物事必ず飽きる。のめりこみ過ぎるのもどんなもんか? |
互いにすごく愛し合って結婚して、1年もしないうちに離婚したなんてのは珍しくないようです。
私が東京から大阪に来て、京都に住んだ頃、盛んに京都の寺やお庭を訪れたものです。東京の妻と結婚してからもあちこち京都見物の日々でした。東京からも親や親戚が来るたびに、得意気に京都案内をしたもんです。ところが京都の会社で、会社の人に、やれ詩仙堂とか鞍馬寺、赤山禅院とかの話をしても、皆知らんのです。京都の人ですから、さぞかし京都の名所は知っている行っているんだろうと思い込んでいたのですが、彼等にとって京都は寺や庭なんかはあまり感心がないことを知ったのです。「へえー京都の人は京都を知らないんだ」、そして元東京出の私も20年30年と京都に住んだ頃、寺や庭に全く興味がなくなってしまったのです。「えー京都見物、しんどい、自分一人で行ってよ」みたいなことになってしまったのです。寺や庭があってもそれに目を奪われることが全くなくなっている自分に気付いたのです。自分の子供達は、京都生まれ京都育ちですが、京都自身にあまり興味を感じていないようです。
滋賀湖西の人が観光バスに乗って秋の田舎を旅していると、バスガイドさんが、「右手をご覧下さい、なんと見事な紅葉でございます」ところがほとんど誰も見ず、感動の一言もなかったとのことです。田舎の人に紅葉は珍しくないのです。彼等には、都会の高層ビルや繁華街のほうが関心事なんですね。
離婚が多くなったというのも、こういう現象の典型的な一つかもしれません。あれほど好きだった京都の寺社・御庭を鬱陶しくなるんですから。あれほど好きだった人とあっさり離婚するのも、彼等にしてみると、もう愛し終わったのです。結婚式とその後1、2カ月で真っ赤に燃えつきたのです。むしろ、凄く愛し合っていたからこその離婚なんです。出会ってすぐ結婚とか同棲生活などでかなり長い付き合い後の結婚のほうが長続きするというわけです。案外お見合い結婚の場合のほうが離婚が少ないのもうなずけますね。昔写真だけ見て無理矢理結婚させられたなんてのは、案外理にかなっていたわけで、離婚する割合が少ないらしいのです。だって相手を知るかなり長い期間が必要になりますから、そのうち子供もできて、子がかすがいになって離婚するきっかけを失い、生涯連れ添ってしまったというわけです。貴方も貴方の恋人も必ず飽きる、見向きもしたくない時期が99.9%やって来るのであります。21世紀は、恋人や夫や奥様なんかも買い切り(結婚)は廃れ、レンタル時代が来るのかもしれません。だって買いきりだと不要になった時に、捨てるのに手間がかかり、厄介ですから。
人間関係でもなんでも飽きるまでやることが幸せなんか、適度にするのが良いのか考えものですね。離婚は愛し過ぎた結果とすれば、離婚もまた目出度しなんでしょうか?離婚したくないのであれば、他人を愛する、独占しようと思わないことなんでしょうか?幸か不幸か結婚した場合は、一生懸命飽きない工夫や努力をしましょうね。相手との距離を置くとか、自分自身の時間を持つとか、・・・・?でもかなり無理がある困難な課題であることもお忘れなく。
「守・破・離」というか「好・離・嫌」なのかわかりませんが、所詮何事も飽きる時期が来ることを頭においておくべきですね。昔あれほど集めまくったCDや本が溜まって、大人になって、だんだん見向きもされず、無用の長物となり莫大な金をつぎ込んだものを廃棄するようなもんでしょう。商い=あきないということも結構しんどいことのようですね。もっとも飲むこと・食べること・寝ることは、生涯あきませんがね
| ■411「良い加減がいい加減とはこれいかに?」 |
いい加減というのは、出鱈目ということなんですが、文字どおりに読むと、良い加減ですから、きっちりしているという意味にとれます。いつもこの言葉を使う時に何か変だなと思いながら言葉を発しています。適当という言葉もほぼ同様な矛盾を持っています。
@いい加減な奴(適当な奴)
Aいい加減だな(適当だな)
Bいい加減にしなさい(適当にしなさい)
C良い加減(適当)
なんとなく割り切れないながらこの言葉を使って60年続いた今日この頃、何故か「いい加減」という感覚がなんとなく理解できるような気がしてきました。
物事を良い加減にやるためには、本当はかなり真剣かつきっちりやらないといけないわけです。良い仕事をやれる老練な職人になるには10年、20年、30年、40年という年季が必要だと言われています。
・『素人』はまさしく真剣かつ注意深く一生懸命やっています。ところが素人ですからうまくいきません。まあ、いい加減なものになるわけなんです。
・ところが、一方、『老練な職人』は、いともあっさり何気なくやっていますが、素晴らしい出来に仕上がります。
いい加減(一見出鱈目)にやっているのですが、良い加減に仕上がっているのです。
そこで、私流に考えたことは、
@「素晴らしく良い加減の仕事をやるのに、いい加減にやってもできる状況のことを=良い加減と言う。
A真剣になって、一生懸命にやっても良い加減の仕事ができない人のことを=いい加減と言う
正しく相反することなんですが、いい加減とは良く考えてみると、「良い加減=いい加減」なんでしょうか?
私は、最近自分だけで、「いい加減」という言葉を、相手の人により意味を使い分けています。老練な人には「いい加減に良い加減を」という意味で使っています。要するにいい加減にやれるということは、すごいことなんです。老練になると、周到な準備、力み、緊張などしなくても、いとも簡単に飛び切り素晴らしい仕事ができるようになるというわけです。それは、長年の苦労・経験の賜物なんですが、そういうレベルに達するには、少なくとも40年は必要だと思っております。悟りを開いた偉い坊さんでも「生涯修行じゃ」と言っておられるのですから、いい加減の奥は、深いわけですね。若者よつらくても我慢して頑張って下さい。本物のいい加減になれますように。
| ■410田舎暮らしはどこでやるべきか、中途半端は、所詮は無意味でやがて飽きる |
先日、JR湖西線の近江中庄の駅近くで、アドミールさんという不動産会社さんが、駅前別荘地といううたい文句で別荘を売っておられました。国道161号線に面した場所なんですが、小高い丘の一体で、木も鬱蒼と茂っており、素晴らしいログが建っており、これは良いなーと思ったものです。実際にも都会の人に人気があって売れているようです。都会の人が田舎暮らしを味わうには、格好の物件でしょう。琵琶湖や中庄の町へも歩いて行けるので山と海と町を一挙に楽しめます。安曇川の長尾の寂しい山中に住む以前の私であれば、多分ここを買いたいと思ったでしょう。でも買わなくて良かったと思っています。
「さすがアドミールさん、都会の人の好みを分析して、良い場所を売っておられるな」、「素晴らしいなー」という余韻を心に残しながら、長尾の寂しい山の我ログに帰ってきました。
そして翌日朝起きて付近を散歩する頃には、「やはり人っ子一人いない長尾の山の中のほうがずーっと素晴らしい」と思い直したものです。ここは、無論、国道なんかがそばを走ってはいないし、駅前でもないし、琵琶湖へは30分くらいかかりますし、人もほとんど住んではいないのです。駅前別荘というのは業者さんには感心しましたが、実を言うと、買う人は浅はかだなと思わずにはおられません。もっとより都会的でない所を選択すべきなんです。欧米では、都会から200km300kmと離れた場所や人っこ一人いない場所に住んで自然と一体になっている方も多いのです。そういう人は、勇気を持っていますし、本当に自然をラヴする幸せな人だなーとつくづく思います。私は、正直申し上げて、中途半端な都会人には、長尾の山中は勧めないでしょう。
駅前別荘と長尾の何もない山中のログハウスとの比較をしてみましょう。
●駅前別荘
@駅に近い
A国道沿い
B琵琶湖に近い
C鬱蒼とした木があるわりに、町にも近い
D国道沿いであり、やや空気は悪い
E井戸水も一年中出る。但し平地であり、水質悪化の懸念がある
F山の中のような夜の怖さがない
G多くの人が簡単に出入りできる。ごみの不法投棄の可能性あり
H静かさの維持が困難、都会の延長
I都会的な雰囲気があり、中途半端
J国道沿いであり、容易に他人が入り込める
K購入金額はかなり高くなる
●長尾の何もない山中のログハウス
@とにかく静か
A人ごみという感じは全くない
B近所に気兼ねしないですむ
C多分都会に比べると数段空気がきれい
D冬積雪があるが、とにかく夏は涼しい、涼風も吹く
Eこういう場所を好む人は、本当に自然が好きな本物の人が多い
F住人が少ないのはすごい良い点(マンモス別荘地は、都会の延長、人は環境悪化の元凶)
G動物、植物、景観も自然を維持し易い
H冬は、凍結防止のために水がとまる
I自然とより濃密に付き合える
J自然が容易に維持できる
K土地が1/10くらいで安く手に入る
私としては、圧倒的に私が住む長尾の寂しい山の中が良いということになります。駅前別荘というのは、アマチュアレベルで本物の田舎暮らしを味わう数歩手前の段階なんです。田舎的な暮らし、都会+田舎暮らしなんです。まあどうしても都会を捨て切れない人にはお勧めということですが、、不便さを甘んじて受け入れて本物の自然に接することができないのですから、中途半端で、なんとも可哀相な人達だなーという気がします。何事も中途半端は、それなりにしか得るものはありません。日本で別荘暮らしをする大半の人が中途半端を好むのも、日本はまだそのレベルでしかないということでしょうか。東京の軽井沢などの都会別荘地は、意味ないじゃーん。物事中途半端はやめましょう。中途半端な妻を選び、中途半端な会社に入り、中途半端な仕事をし、中途半端な生活をし、中途半端にエンジョイしているなんて、田舎暮らしでは是非本格的な自然を求めて下さい、田舎の都会を求めるなんて「ダサイ、ウザイ、アホクサ」ですわ。人間を@:いい加減派、A:中途半端派B:本格派に分ければ案外@とAの中途半端未満の人が圧倒的に多いもんかもしれませんね。本格派は、大変ですからね。
初心者にはよいかもしれませんが、高いものですからあとでまた移り住なんてことはできません。是非慎重に調べ、評価検討して選ぶことを是非ともお勧めします。まあ何ごとによらず慎重に調査分析が必要なようで、くれぐれも一目惚れや衝動買いはやめたほうが良いですよ。ところで、都会に住む貴方少なくとも田舎に住む調査、勉強、資金、準備はしておいたほうが良いですよ。都会に住んで何か得なことでもありあすか?損ばかりでげすよ。
@公害・汚染回避(すげー汚いゴミ屋敷に住んでいるようなもんですえ)
Aストレス回避(とにかく都会ってえーのは、あれこれ面倒なとこだすえ)
B巨大地震対策(構造上ログが倒壊した実績=0なんですえ)
C巨大地震対策(巨大地震が起きようが、地震後の生活の支障は全くないんでございやす、火災、風呂、水、食料、熱)
D健康生活(すげー汚い空気を平気で吸っているんでっせ、有害物質、喘息等、汚染)
E静寂:(とにかくうるせえーんだよ:騒音レス)
キリストさんや仏さんにいくら賽銭やっても、拝んでも何も助けてくれはしませんよ、私は、いろいろな面で、貴方を現実助けることができます。
| ■409人間は、あさり騙される、全てを疑え、現状に大疑念を持て、そして自分自身もかなり嘘つき名人なんだ |
大手の経営コンサルタント会社を経て自営で経営コンサルタントをやって感じたことは、人間はあっさり騙されるということです。犯罪になるかどうかは紙一重で、すれすれのところを狙って人を騙して大儲けをしている人は、沢山います。またそれにぶるさがって多くの子詐欺師・孫詐欺師が誕生するのです。大手の経営コンサルタントは未だに詐欺ぎりぎりのところで商売をしていますから十分ご注意をして下さい。経営コンサルタントなどというものは、電気製品や自動車や野菜などと違い、一見しただけでは善し悪しは判別できません。そこがインチキ大手経営コンサルタント会社の目の付け所なんです。セミナーと称して話しのうまい人に話しをさせる、それを聞いた人は、「すげー、是非うちの会社もみてもらいたい」なんて心底から思わせるのです。実際に派遣されてきた先生は、大企業の窓際族みたいな人ばっかり、押し出しや言うことは大きなことを言いますが、何の役にもたたないどころか、かえって会社を悪くしてしまうような先生が多いのです。そういう事例は大手経営コンサルタント会社出身者に聞くと枚挙に暇がありません。
さてこういう手法は、やがて、詐欺商法やねずみ講というようなものに応用発展し、膨大な被害者を出すことになって行ったのです。多分裏の事情を知らない人は、セミナーで話しを聞いたら80〜90%くらいの人は騙されます。
最近テレビで、霊感みたいなものが盛んに放映されます。詐欺師は「しめしめ、これはいける、霊能士にでもなろう、これは騙しやすい」というわけで、ほんの一握りの類稀な霊媒士を除くインチキ霊能士が沢山生まれるのです。「貴方にには武士の守護霊がついていますとか、貴方には自殺した30歳くらいの浮遊霊がついて悪さをしています」等々です。もし、仮に霊が存在するとして、これが守護例とか浮遊霊だとか、こいつは悪い霊だ良い霊だなんてことがわかる人が巷にごろごろしているわけがないんです。一応疑いはしても、「自分に限って騙されるわけがない」なんて中途半端にしか疑えない人というのもかえって危険ですよ。疑う場合は、まず徹底して疑うことです。恋人ができました。『一目惚れ』幸にも当たった場合は良いですが、多くの場合失敗・大後悔につながります。恋人こそ多いに疑え、疑って、疑って、疑いまくれ。また自分も相手に裸の姿をさらけ出せ、相手を騙すな。
ところがテレビの影響か、自らすすんで騙されるのです。この世の中は、騙すつもりがないのに多くの人が日夜人を騙しているんです。優秀な学校を卒業した、一流企業の社員です、美人です、やさしいです、貴方を幸せにします、貴方を愛しています、・・・・・・・・・・・・・・・・言っている本人が他人を騙していると思っていないところが、実に深刻な問題なんです。まあ現代は本物1偽者99と思えば間違いないでしょう、「人をみたら詐欺士」と思えなんです。トランプでポカーフェイスというのがありますが、一生懸命ポーカフェイスをやっても見破られてしまう人もいれば、無意識にポーカーフェイスで相手を騙す人もいます。人間は、本当に騙そうとするほど、かえって騙せないものなんです。無意識又は巧妙に仕組まれた場合に90%騙されるもんなんです。人の言うことを軽々しく信じる人というのは、どういう人かというと、自分自身で考え、自分の手足で行動する習慣がない人に多いのです。「自分自身をしっかり持つ」ことこそ騙されない秘訣なんです。
嫁さんでも経営コンサルタントでも一番良い方法は相手の周囲の人や顧客の意見や感想を確認することです。経営コンサルタントなんかは、会社の名前やオフィスの素晴らしさや、営業マンの衣服や規模で決めるのは詐欺にひっかかるタイプです。こういう人を詐欺的経営コンサルタント会社は、狙うのです。よく考えて下さい。有能な経営コンサルタントが、大手の経営コンサルタント会社に勤めて、売り上げの10〜20%くらいの安い給与でなんか満足するわけがないじゃないですか。経営コンサルタント、あくまでその先生個人の資質如何ですから、優秀な経営コンサルタントは、当然独立・自営し、売り上げを100%全部自分の収入にするのが当たり前の業界なんです。よくある例が規模の大きさで人を騙すというやり方があります。豪華な食事つき大パーテイーを一流ホテルでやるんです。おばちゃんなんかは100%誤魔化されてしまいます。貴方も人を騙すにはこの手のやり方が効果的な場合があります。なにしろ現代は嘘のつきあいなんですから、嘘をつくこと、嘘に騙されないことが、仕事みたいなところがあります。政治家や役人など頭の良い一見立派な人々が率先してやっているのですから、残念ですね。嘆かわしいですね。
そういう貴方も、意識的及び無意識的に親を騙し、妻を騙し、子を騙し、上司を騙し、友人を騙し、お客を騙し、世間を騙し、ついには、神様や自分自身も騙していることをくれぐれもきちんと認識しておいて下さい。
騙されないためには、社会の全てを疑うことです。政治家の先生と称する人達なんか詐欺士の固まり・集団なんです。国民のためになんか政治をやる人なんか、ほんのひとかけらなんですよ。これ常識。「疑え・疑え・生きていることすら疑え、全てに大疑念を持て」のほほんと能天気に何でも信じる人、救われませんよ。
しかしもっとも悲劇的な詐欺行為は、自分で自分自身を騙しているという昨今の忌まわしい状況でしょうか。
| ■408さりげなく人から言われた一言が気になり、勇気付けられ、反省し、生涯役立つことがある |
私には過去、ふとした時に、人から何か言われて、あとになって何度も思い出すような印象深いものが幾つかあります。貴方もありませんか?
私が今もって、何回も思い出すことの例をあげてみましょう。
@小学校:口数の少ないおとなしい私が、何故かもう一票で、級長に選ばれそこなった時、放課後、先生がわざわざ我が家に来て母に「和隆さんがあんなに人気があるとは思いませんでした」と報告した
A中学校:ある日その日に限って、掃除を適当にやっていたら、先生に職員室に呼び出され「あなたのように成績も優秀な人が掃除をいい加減にやるなんて卑怯よ」とズバッと言われた
B高校:その高校は、女子がとびきり優秀で、男は、せいぜい50番以下末席を汚すというような学校でしたが、「村上お前、今度の試験で8番だったぞ、すごいぞ、がんばれよ、期待しているぞ」その後なぜか校長室に成績優秀な男子3人が呼ばれ校長直々に、激励されたことがあった。
C僕の父・母・特に兄貴はすごいハンサムなんですが、私は何故かそれほどでもないのですが、ある女の子に「お兄さんより貴方のほうが私は好き」と言っていたということを聞いた。なんとなく嬉しかった。
D大学の友達:「村上お前って意外と冷たい奴だな」とズバッと言われた。そんなことはないとは思ったが、意外にそいつの目は、確かなような気がしてしまった。
Eおばあさん:「和隆ちゃんは、本当に良い子、この子は、将来きっと成功するよ」
F長男が大阪府立大学に入り、東京の私の父母に挨拶に行った時に、長男が、私の父母に「僕はお父さんにはかなわない」と言っていたよと聞いた
G35歳くらいの時会社の後輩から:「村上さんの朝礼の話は、面白くて、いつも楽しみです」
H会社の部長:「わからない・知らない・できない」を言うな
I52歳の時、コンサルタント会社で:「村上さんは、すごい営業がうまい」私はこちこちの堅物人間で、かつてそんなこと言われたことがまるでなかったので
J父は、私はいつまでも子供で、頼りにならない奴だと思っていたようですが、55歳の時に、「元のお前の会社(もともとあまり有名な企業ではなかったが、日本一にもなり株価もすごく上がった)は凄い勢いだな、そこで課長やって、経営コンサルタントになったなんて見直したよ」やっと父に認められた確信が持て、どんなもんだいなんて思った。
K「社長:村上君、荷物は着いたか?村上:まだです。社長:宅急便に確認したのか?村上:してません。もうそろそろ来ます。社長:確認もしないでなぜ来ることがわかるのか?村上:先方も昨日確かに出荷すると言っていましたから間違いないですよ。社長:昨日出すと言っても確実に出したとは限らないぞ。村上:何回も確認するなんて失礼ですよ。社長:そうかそれなら俺が電話する。」そこまで言われてやっと私は、電話で確認しましたが、それからは、そういうことが習慣になって必ず早目に確認するようにしています。またこちらから「昨日荷物を出しました」と先方様に連絡するようにもしています。その後そういう些細な確認をタイムリーにしないで、大きな問題を引き起こすした人を多く見たものです。
子供が大きくなってから、ある日「ありがとう」となんて言われることも案外凄く嬉しいものですね。
しょうもないことばかりかもしれませんが、意外にこんなことが印象に強く残り、自分の心の支えになっているもんなんです。裏を返せば、先生・親・兄・友人というものは生徒や子供や弟や友人の鏡として、本人が喜ぶ又は反省する一言を効果的に言ってあげるように努めたいものですね。でも何でも言えば・褒めれば・叱れば良いのではなく、言い方が大事なんです。
・言われた時が良い時であった(人に言う場合時間を選ぶ)
・言われた場所と場所の雰囲気(一概にどことは言えない)
・言い方(何気なく言われる時)
・なんとなく自分もそう思っているのに自分自身では自信がない場合
・相手の精神状況、例えば、あまりあれこれ考えていない空っぽ状態の時に効果的かもしれない
・長々とでなく、例えばすれ違いざま瞬時に言われた時
・相手が自分のことを思って言ってくれた場合
・自分自身も心の中で悪いと思っている場合に、ずばっと言われる
・言われる人による、尊敬するような人からの一言は効くよ(お前には言われたくないというような人からでは駄目)
・言葉や言い方を選ぶ・事前に研究、準備しておく(どう言ってあげたら効果的か検討する)
言われた相手の心にズシーンと来る効果的な言い方を是非工夫してみて下さい。貴方は子供や友人や部下に一生涯心に価値ある一言を刻みつけることができるのです。たかが一言、されど一言。貴方が相手の気持ちを十分思いやり、厳選した一言は、相手にしてみれば、貴方を信頼し尊敬することにも繋がるものなのです。
| ■407自分自身で自分の生き方を納得することの大切さ |
生まれてから学校に進学し企業に入り、いわゆるレールの上を走り、大組識や社会の荒波に揉まれて、長いこと、つらい時期を過ごしてきました。この間確かに、いろいろ勉強というか修行をすることはできたのです。でもそういう過去・現在を今冷静に振り返ってみると、自分の納得する生き方ができていたかというと、私自身については、東京から単身関西に赴任し、転職を何回もし、今は経営コンサルタントを自営し、あれこれ事業を考え、一人山中に住むなど、それなりに自分の意志に従って過ごしてきたほうの人間のように思いますが、人というものは、自分で納得できないままに生活して、納得いかない人生を過ごしてしまうものです。幸にも気付いたとしても、かなり高齢になってから、自分なりの生き方をやっと確立し、納得できたなんて人も多いのです。
歳とって余命いくばくもない時期にやっとだなんて、なんとも悲しいことですよね、「自分は、何のために生まれてきたのか?」ひたすら世の中に合わせて生きてきて、言わば精神的奴隷のように、鎖につながれて拷問を受け続ける一生になってしまいかねません。「俺(私)は、社会にも合わせていないし、我がままに生きている」という人、そんな人であっても、中途半端というのでしょうか、「自分の生き方が素晴らしい」と完全納得してはいない方が多いのです。
自分というものがなく、単純に世の中の価値基準に従って、ひたすら世の中や他人の評価尺度(ものさし)で自分を無理矢理納得させてはいませんか?やれお洒落・やれ裕福・やれ海外旅行・やれ贅沢三昧をしたところで、自分が完全納得する自分の生き方について考えたことも、トライしたこともない人というのは、本当に幸せな生き方をしていると言えるんですかね?
自分に納得する生き方をするために、まず大切なことは、他人や社会のものさしを一度完全廃棄処分することですかね?そのために、ある期間数年間、人やマスコミや有識者との付き合いを絶つことも大切なんです。何も描かれていないカンバスに自由に自分の絵を描いてみるという大人の勇気というか、子供の素直さみたいなものをお持ちになることをお勧めします。
| ■406生態系の少しの崩れは一体大丈夫なのか? |
最近海・山・川・田畑・都会に明らかな異変が起きています。原因は気象の変動及びその原因である環境悪化にあるようです。今年も、生き物の異常大発生の記事が沢山報道されました。山に住むと毎年動物や植物は、同じ状態でなく明らかに年の差異があれこれあります。昨年はあるものが異常に発生した、今年はある生き物が全く出てこなかった。今年はカビが大発生した。・・・そういう異常は、昔から気候の変動とも関係づけられていたことが多かったようです。そしてそういう異常がすぐに元に戻るようなものであれば、「その年だけの問題だった」で片づけられますが、元に戻らず年々ひどくなっていく場合は要注意です。
最近の異常現象は、どうも重大な異常のように思えるのです。地域の住人が長年体験したことのない異変であり、かつその状況が気味悪いもののようです。大きな異変が表面化する前には徐々に異変が発生し出すものです。急激に異変が起きる場合は、それが明らかに大きな問題だと気付くものですが、少しづつ異変が現れる場合、うっかり見逃す傾向があるんです。
地球環境問題は最近あの手この手で対策をしています。その結果、それまで進んできた異常現象が少しスピードを緩めますと、「あー対策の効果が出たんだ、これで問題は解決できそうだ」などと勝手に安易に思い込んでしまうものなんです。病気を手術して、完全ではないが当座の症状が一時的に抑えられると、「あー直たんだ、そのうち、全快するかもしれない」なんて思うのと似ています。ところがどっこい、身体の中では、病巣が急激に進んでしまうなんてことも多いのです。中途半端な手術や治療、対策というのは、かえってやらないほうがましな場合もあるのです。本質的な問題や原因を隠してしまう場合があるのです。異常を異常でないと勘違いしてしまいかねないのです。
問題というのは、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」「災害も時間がたつと忘れ去られる」のです。最近生き物や気象に明らかな異常が連続しているにも拘わらず、人々の意識は、ややトーンダウンしていることが心配です。山の中に住んでいて自然界を観察し、時々都会に出て様々な異常現象を観察している私の場合、その異常さを認識し続けられるのですが、都会や平地に住む田舎の方は、そういう異常さを肌や目で感じることが希薄になっているように思います。最近の「動植物の異常現象=生態系の異常」についてもっと人々は強く危機感を持つべきだと思っています。生態系というのは我々が安易に考えているほど堅固なものでなくデリケートで壊れ易いものです。しかも一度壊れると元に戻すことが不可能になる=不可逆なものであるということを認識しておかないといけません。「とりかえしがつかない」ということなんです。
環境破壊の段階は、まだ回復の可能性がありますが、大気汚染・水質汚染・オゾン層破壊・有害物質過敏症・・・等によって『いよいよ環境汚染の最終段階である、土壌地下水の汚染→気象の変動→更に動植物の生態系の破壊に進みつつあることは、こりゃ大変ですよ』もう対策を幾ら打っても元に戻らなくなるのです。癌になって薬も抗癌剤の注射も放射線治療も効かなくなるのと同じことで、余命1年とか2年ですとかいうような深刻な段階に入ってしまっているのです。さあ皆さん、貴方はどうされますか?
私は、とりあえず、非常に消極的かつ逃避的ではありますが、環境の汚染がかなり少ない山の中に一人で住むことで対応しているのです。こんなことをやる人間は私を含めてごく僅かの人なんでしょう。私には、リサイクルも有害排気ガスの削減や省エネや、有害物質の削減などやってもやっても無駄で意味のない所謂、前向きの対策と称する技術的対応は、一切放棄しています。私は、卑怯で無能で駄目な人間なのです。自分だけ助かれば良いというやつで、山に逃げているだけなのです。皆様のお役に立たず、すみません。あやまっておきます。有能な皆さんは、都会で汚染や異常現象と日々戦って下さい。早く、私も素晴らしい無公害の環境の都会に帰れるように祈るだけです。
| ■405世の中、身の回り全てが鏡 |
「人間というのはなんともいい加減な生き物」ということを歳をとればとるほど益々実感するものです。人間というものは、一生かかって、いろいろな鏡に映る自分を見て、不完全な自分を認識し、是正していくものだと思います。自分を写す沢山の鏡がまわりにあって、いろいろ反省できるはずなのに、人間は素直さや謙虚さが欠落しているために鏡を上手に使えていないようです。
男と女が結婚します。結婚というのは、男の場合は、「奥さんは、子供を産み、育て、家事をやって家庭を守ってもらう便利なお手伝いさんで、できれば美人で自分のことをあれこれ世話をしてくれる人」「自分に都合の良い道具」のように考えてしまいがちです。女も同様に、「旦那は、月給運び、できれば背が高く、格好よくてやさしく、ちやほやしてくれるもの」くらいにしか考えていないのです。日本ではつい2,30年前までは、それが当たり前のように考えれらてきました。欧米流の夫婦同等=お互いが鏡=お互いが切磋琢磨するというような考え方は、やっと最近芽生えつつある程度です。男女に限らず、物事を単純に上下や差別的に考えるのはあまり良いことではなく、実りもありません。『表裏一体』『補完・補足』『鏡』と考えるべきなんです。一昔前の日本の男は奥さんを通じて学ぶなんて姿勢は全くなかったはずです。男女関係以外にもあらゆる場合に、人間は自分を鏡に写してみることができていません。物事には裏と表があるということです。女がいれば男がいる。・・・・・。表と裏で一対なんです。表と裏がバラバラで融合しなまま又は対立しているのでは、実りがないということです。
表裏のように相対するものは、それぞれ別々に存在するものなので、両立が困難な場合が多いのです。自分と反対側のものというのは、自分を写す鏡と考えるべきなんです。相対するもの又は無視しあうものでなく、伴侶・一対のものと見て互いに自分を写しあって、むしろ自分を反省し、高める手だてとすることです。結婚相手を賄いのおばはんとして下に見るのではなく、自分の伴侶・一対のものとして、自分に欠けるものを保有する者として、自分を写す鏡として認識し謙虚にお付き合いすべきなのです。社長も上司も友人も同様です。自分にないものを持つ者として、そこに自分を写す鏡のようにお付き合いすることが賢明であると考えます。注意すべきことは、目の悪い人の場合には、良い鏡が目の前にあっても自分が写らないということです。身の回りのなに事をも、鏡であると認識しようとしない頑固で狭い量見の態度が染み付いているからです。他人や自然や物に向かい合う場合に、それらを自分を写す鏡だという認識で見る姿勢、相手に自分を見るというものは、積極的ですごく自分の成長に良い効果をもたらします。是非トライして下さい。
| ■404物事の区切り・けじめをきっちりつける |
夜寝る時、会社で仕事が終わり帰宅する時、午前中の仕事を終えて昼食事に行く時、食事が終った時、週末、月末、年末等に、貴方はきちんと片付け、けじめをつけて終えるようにしているでしょうか。昔、親から脱いだ洋服や靴をきちんとしなさい。夜寝る時に明日の準備をちゃんとしなさい等、毎日口うるさく言われたことを思い出します。まあそのように言う親が、完璧だったかというと、そうでもなかったのですが。でも私の場合、未だに当時の親の言いつけを守れてはいません。ところが60歳になった最近、例えば、夜寝る前や家を出る場合にきちんと片づけることを努めてやるようになってきました。実を言うと、歳をとると物忘れ・事故・ミスが多発するようになってきて、「こりゃいかん、いい加減にやっているとそのうち大事件や大事故につながる」と悟っただけなんですが。
「終わり良ければ全て良し」と言いますが、確かに各区切りの最後にきちんとしておくとトラブルやムダなことが減ることがわかってきました。会社や学校やお客様のところに行って「あー大事なものを忘れてきた」ということをなくすには、前の日の夜に時間を決めて、一度きっちり始末をし、明日必要なものをきちんと確認しておき、朝ゆっくりできれば、物忘れはありません。前の日にきちんと片づける習慣のない人というのは、とんでもない忘れものによって大変なトラブルを引き起こし、自分ばかりか他人にも大きな迷惑をかけてしまうものなんです。そしてそれによって命を落としたり一生を棒にふることさえあるのです。
最近の私は、明日の準備は、少なくとも前の日の朝から始めることにしてます。着ていく洋服・カバン・持ち物・先方の地図・交通経路・時間などを全て確認、準備します。そして夜になって、さあ寝ようかという時には、毎日、部屋をきちんと片づけます。例えば万一、何らかの原因で水がかかっても濡れないようにしまうとか、万一泥棒に入られても盗まれないようにとか、電気は、もとから全て消す、物を本来の場所に戻すなどです。「貴方のご家庭はいつお客様が来られてもきちんと片付けられていますか?」「私の家は、いつもきちんと片付いています」という方というのは、現在・過去だけでなく、未来にきちんと配慮して気遣いをしている点で素晴らしい資質・能力をお持ちであるということになるのです。「折々にけじめをつけること=明日のこと」をどれだけ配慮しているかでその人の能力が人並み以上か未満かが分かると言っても過言ではありません。
人生や経営や政治なんかで、一言で言えば明日に備えることは最重要事項だと思うのです。そのためには、今日の終わりまでに、日々けじめをきちんとつけることが基本なんです。
若い方は、「そんなわずらわしいことやっておられるかい」ということでしょうが、「やらない」のならばよいのですが、もし「やれない」のであれば貴方は、将来大した大物にも成功者にもなれないはずです。けじめをつけられないものに明日のことなんか語る資格なんてありません。アシタマニャーナ:明日はどうにかなるさは、きちんとけじめをつける人に対してだけ当てはまることなんです。
| ■403「うちの会社の社員はわしの言うこときかんで困っているんや」現象 |
「うちの会社の社員はわしの言うこときかん困っているんや」
「うちの子供はわしの言うこときかんで困っているんや」
「うちのかみさんはわしの言うこときかんで困っているんや」
「政治家や役人は国民の言うこときかんで困っているんや」
かくのように、ご主人は、誰も皆困っているようです。まあご主人自体に問題がある場合も、かなりあるのですが、宇宙・地球の想像主である神様や政治家や役人の利権優先で固められた政治の被害者である日本国民は真剣に困っています。
「神が創った人間どもは、わしの言うこときかんで、とんでもない環境破壊行為をし勝手放題やっている」「国民が選んだはずの政治家は、自分の利益のことしか考えず、役に立たない公共工事によって税金や更生年金の無駄に使いによって膨大な借金を国民に押し付けている」
「親の心、子知らず」「神の心、人知らず」、信仰などと改めて言うまでもなく、創造主である神・親・経営者・国民は僕(しもべ)や子や社員や政治家が思いどおりにならなくて困っているのです。自民党の小泉さんも、本来支持者・支援者であるべき党員が抵抗勢力などととんでもないものに変身し、首相の言うことを全くきかないで悩んでいるんです。業績不振の大手企業でも多くの場合、社員が社長のいうことを聞かないので、リーダシップが発揮できずに思い切った改革が手遅れになってしまっているのです。一体こういう現象が、日本中あらゆるところで、何故一斉に生じているんでしょうか?経営者の言うことを社員が懸命に実行しない、先生や親の言うことを子供が無視する、政治家が国民の要望をきかず、痛みだけを与える、人間が地球環境を破壊する。なんと情けないことでしょう。
原因は、世の中どんどん進歩し、豊かになり、平和になってしまったことにあるんです。目的と結果である実態が整合しなくなっているのです。当初の願いや予想とは反対に、主体者の意向を無視して、バラバラな動きになり、ますます世の中は乱れていき、悪くなっていくのです。その原因は人間が傲慢になっていることです。有り難いことを忘れてしまっているんです。「本来は非常に有り難い恩恵を受けていることへの感謝を忘れているのです」
政治家も役人も社員も子供も人間も皆、有り難さ・謙虚さ・素直さを忘れ、自分が主体者・主人のように錯覚してしまうのです。?物事の原点を忘れてしまうことは、絶対にいけまぜん。
主従関係というといかにも封建的に聞こえますし、行き過ぎも危険ですが、主従という関係が逆転し有耶無耶になると世の中は乱れるようです。特に政治や企業活動においては致命傷になります。小泉さんも首相として、そろそろ、毅然と主体性やリーダーシップを発揮して戴かないと困ります。
でも神様でも、人間どもが出鱈目やっているのをどうしようもないのですから、小泉さんばかり責めるのも可哀相かもしれません。菅さんだったらうまく行くという保証もない、それくらい大変な時代になっているのです、リーダーシップなんてもう前世紀に遺物なんでしょうか?問題解決というより、人間の傲慢さ・怠惰さが蔓延してしまっているのですから。
| ■401野中・江藤・塩じいなど年寄り議員が自主的に辞めることは結構なこと、褒めてあげたい |
今度の選挙は、政権政党が変るかどうかを国民が決める選挙と言われています。是非あまりにも長く政権をとってきた自民党が負けて民主党が政権をとる選挙になって、二大政党の体制に移行し、日本も先進国の仲間入りをする選挙に成って欲しいものです。もしそうならなければ、日本の将来ももう期待薄ですね。小泉さんでは、改革は進みません。進んだとしても、かなりいがんだもの、中途半端なものにしかなりません。そういう中途半端改革は、この国にとって良いことではなく、むしろ、かえって大きな致命傷にさえなりかねません。なにしろ政権が交代しないこと自体が大きな日本の病根の一つなんですから。
今度の選挙のおまけは、前世紀の遺物というか利権の虫というか自民党の無能老人達が止めることになりそうで、これは非常に良いことだと、これに限っては、野中や江藤を評価してあげたいと思っています。企業でも成長している最近の企業の特徴は、年寄り経営者や取締役がいないことです。年寄りはせいぜい60歳までですよ、60歳以上は側面的なサポートや後輩の育成に回るべきなんです。ながいこと政治家としてしか活躍できないのかえって情けない話です。サラリーマンの貴方も是非50歳くらいで会社やそれまでの仕事を卒業する準備をして、早めに後輩に道を譲るべきなんです。
中曽根や宮澤さんが残ると言っていますが、「アホーか」「いい加減にせい」「やめんかい」「あの野中や江藤さえやめたど」率先して手本をしめすべき元総理大臣経験者の二人が、みっともなく未練たらしいのは誠に残念です。国会で居眠りなんかせんで、お前さん達、政治家を止めて、いろいろやることがあるだろうに?または家でゆっくり寝ていろ。特に中曽根さんにはガッカリしましたね。国会というのは将来を担う人々がやるもので、まあ戦争体験者のよぼぼの爺さんが、ご意見番みたいに難しい顔をさらしているのは大間違い、税金の無駄使いというもんだ。政治家の定年は、60歳、特別扱いでも65歳までですよ。会社も同様です。若い者と言ってもかなり老人だが、せめても40歳〜60歳の人に譲れよ。
| ■400失敗というものの意味 |
この世の中、日々、失敗してしょげている人が沢山おられます。人によって、「私って、しょっちゅう失敗ばかりしているの」という人も案外多いものです。未熟な人、せっかちな人、おちょこちょいの人、山師、年寄り、注意散漫な人・・・は確かに失敗ばかりするものです。でも人間は、積極的にやればやるほど失敗するものですから、ある意味では、失敗の多い人は活動的で幸せな人生をエンジョイしているのかもしれません。人生80年くらいの間にいかほどの失敗をするのでしょうか?失敗の多い人生が良いのか?失敗の少ない人生が良いのか?安易に判断はできません。失敗が少ないのは、危険を犯していないからです。かと言って失敗ばかりの人生は、つらく荒れすさんだ人生であることも確かです。
だからと言って、失敗が少ないほうが良いと思い込み、失敗の都度、落ち込んでばかりいたり、次は失敗しないようにしようとすると、益々不毛の人生になってしまいます。失敗するのは、実につらく嫌なものです。でも嫌だからこそ、失敗があった場合に前向きに考え、対処し、むしろ逆手にとって、「災い転じて福となす」ことが重要なようです。「人生なんか所詮は、失敗だらけ」「成功しているのは全くのラッキー」と思えば、気が楽になるというものです。
『失敗だらけの人生ならば、いっそのこと沢山失敗しよう』というような開き直りをしても良いように思いませんか?できるだけ失敗をしないようにという生き方は、後ろ向きで、成長のない、つまらない人生になってしまいます。「少年よ大志を抱け」というクラーク先生は、「少年よ多いに失敗をしろ」ということを言いたかったのだと、私は思います。少年よ年寄りのように「失敗したくない」と思った場合は、要注意ですよ。年寄りになればいよいよ失敗はできなくなるんですからね。若いうちですよ、思い切り失敗できるのは。
失敗することを勲章と思って下さい。貴方は幾つ勲章をとりましたか?
| ■399人を見る時「長所を良いこと、短所を悪いこと」と単純に見るのは極めておかしい |
例えば、貴方が結婚相手を探す場合、まず容姿や顔など表面的なことや長所を第一にする人が多いのです、その次は収入や頭の良さやセンスややさしさなんかを見て行くわけです。例えば、「この人は、頭が悪い、病弱、貧乏、きついなど」と評価をすると、そういう人は、即刻駄目、不合格と断定されてしまうのです。受験や入社試験でも同様です。「こいつは頭が悪い、顔が不味い、体力がない、センスが悪いから、是非こいつを採用しよう」なんてことは、絶対にないのです。でも待てよ、「一体良い・悪い」と勝手に決めていますが、なんの根拠があるんでしょうか?と言いたくなるのです。だって頭が良い・顔が良い・収入が多いそういう人が必しも人生において成功したり幸せになるかというと、必しもそうではないのですから。美人や秀才が100%全て極上の幸せをつかむということもないのです。否むしろ反対の結果になる人も多いのです。
「長所=良い、短所=悪い」というのは極めて愚劣な思い込みなんです。「美人屁もすりゃ糞もする」というようになにも美人や秀才が何から何まで良いと思い込むのは、猿以下の発想なんです。「良いから良い」みたいなガキの発想なんです。本物の人間や大人の発想というのは、美人とか秀才とか金持ちとかやさしいとかセンスがある、若い、ピチピチなどという一面だけで人や物事を見たり、評価しないものです。
『人間は、どうも、人間未満』みたいなところがあるのです。『人間の格好をしていますが、人間になりきれていない』そんな生き物なんです。浮遊霊みたいに、どうでもよい怨念みたいなものを追い求めて一生フラフラフラフラさ迷い、浮遊し続けるもんなんです。その根本原因は物事を上辺だけ、いい加減にしか見ないからなんです。人間は、お世辞や褒められることが大好きなんです。「豚もおだてりゃ木に登る」んです。逆に欠点を指摘されようなもんなら即絶交になるんです。自分の欠点を言ってくれる人こそ貴方の鏡なんです。人の欠点にこそ人間の本来のものがエッセンスが奥深く潜在してるのです。長所なんてものは、”歯車が正常に動くような”当たり前過ぎて面白くもなんともないつまらんものなんです。欠点にこそ人間本来のものがあるのです。長所はだし殻、欠点こそだしそのものなんです。ところが肝心のだしを捨てて、人間は、だし殻のほうに、強くこだわるんです。というのは人間なんて欠点の固まりみたいなものだからです。人間には、長所なんて本来存在しないものなんです。蜃気楼みたいなものを長所と見間違っているだけなんです。
貴方は自分自身をよくよく観察したことがありますか?または観察してもらったことがありますか?一体自分をどう観察されますか?「客観的に自分の観察なんてしたことがない」でしょうね。是非自分を観察したいと思う方は、鏡役の人を見つけてその人のところに出向いて、洗いざらい貴方のことを話して下さい。「貴方をまじまじと観察し、貴方は、こういう人ですということを回答してくれるでしょう」、まあ貴方の鏡になってくれるということです。洗いざらい貴方をさらけ出す勇気のある方は、それなりに適切な鏡役の方を見つけて下さい。貴方は自分を知らない。だからあれこれやっているようで、実際のところ貴方は、単なる操り人形のようなもので、自分の意思によって主体的に動けてはいないのです。固定観念や世間の常識みたいなつまらんもので動かされているに過ぎないのです。「あー可哀相な貴方」「自分自身のことがわからない」なんて。大事なことはよく写る鏡を見つけること、または自分の目を良くすることです。鏡というのは、多くの苦労を積み努力し、実質的に立派な人とかそういう人が身近に得られない場合は古人や本を鏡とすることができます。しょうもない占い師の言うことを軽々しく信じてしまうのです。占い師というのは、「口からでまかせ」なんです。大半が言葉巧みな詐欺師なんです。くれぐれもお金を払って巷の占い師なんかの言うことを信じることだけは止めて下さい。本物の鏡役の人は違います。貴方が洗いざらいさらけ出したものから貴方はこういう人なんでは?と問い掛けてもらって貴方は自分でその答えをご自分で考えてみて下さい。ともかく貴方は、鏡役の人の助けを借りて、ご自分で自分の観察結果の答を出して下さい。
良く写っる鏡があっても、自分の目が曇っていては何もなりません。まず自分の、既成観念を全部捨てて下さい。自分のしょうもない長所などというつまらんものにこだわらないで下さい。長所・短所という勝手な識別をかなぐり捨てて、裸の心になって自分を見詰め直すことです。貴方が更に自分を知りたくなった場合は、次の段階は、都会や人ごみや文明などという”魔可怪しげな世界=伏魔殿”を思い切り捨て去り、人が住まない山:自然に自分を置くことです。なにしろ、社会・組織・マスコミ・有識者・既成観念を捨てないことには、何も始まりません。もし貴方が「美人・美男子、優しい人や高収入の人と結婚したい」などという次元の低い、つまらんことを考えるうちは、まあ救い難いですね。まず、そんなどうでもよいことは、早くあっさり捨てなさい。
そんなつまらんことで頭が一杯程度の人には、何を言っても無駄無駄無駄・・・・・無駄です。
| ■398成長の時代から成熟の時代へ『変わらない・変えられない』では駄目 |
日本は、バブル崩壊後長い期間経済の低迷を続けています。しかし当然もう日本には、かつてのような成長というものはあり得ませんし、あってはなりません。また高度成長を必死に追い求めてきた我々世代は、その結果大きなひずみや深刻な課題の後処理をしないといけないのです。なにしろ過去の生き方から大きく変えることが大事です。
政治も、しゃにむに成長を進めてきた徳川末期のような自民党を与党からおろし、新たな政党に政治改革をなんとしてもやってもらわないといけません。なにしろなんでも【変える】ということがキーワードです。変らない、変えられないというのでは、幸せを維持できず、問題を更にこじらし、致命的な結果をもたらすことになってしまいます。高齢になっても相変わらず若者のような無理を続けるようなものです。この10年多額の税金を無駄に使い、刺激さえ与え続ければなんとかなるという思いつきだけのお粗末な子供だましの対策だけをやってきたのです。ですから益々悪くなったのも当然の結果なんです。小泉さんは、「改革なくして成長なし」と言っていますが、私は「真剣な改革なければ破滅する」なのです。「成長から成熟へ」という視点が大切です。日本超高齢化社会をマイナスと捕らえず、有能な人間が高齢になっていることを、むしろプラスに捕らえて成熟に向かって量より質、時間や金、物より心、精神の充実へと転換をしていくことが大切です。またまた成長(より多く、早く、安く)をでなく、成熟(より本質的なものの追求)へ。
貴方も役人や政治家や駄目会社の経営者の悪口を言ってばかりいないで、あなた自身は大きく変わろうと新たな行動を起していますか?
『貴方は、高度成長期のように
固定観念や既成概念に、ひたすらこだわって、
自由な思考と行動を妨げられ、又は当然のように殻に籠もって、
なんとなくうごめくだけだったり必死にドタバタしている人を見て
素晴らしい生き方だとお考えになりますか?』
| ■397自民党の末路、徳川末期同様、国民は積極的に維新改革を後押しなくては、国家自体が崩壊する。国民よ勇気を持て、賢くなれ! |
自民党もいよいよ最後が来たようです。修羅場と化したドタバタ自民党総裁戦も終わりました。無意味で馬鹿げたものでした。「最低です。こんなお粗末な政治家が世界一二という日本を率いる人達だと言うのですから情けない」
対立候補の3人は自民党の今おかれている厳しい状況がわかっていないのも不思議です。彼らはもう全く国民の理解を越えた、わけのわからん名だけのろくでなし政治家であるこを露呈してしまいました。
小泉さんが総裁に選ばれるのは予想通りとしても、自民党は、徳川末期のように、大きくきしみながら崩壊しつつあるのですから、民主党にとってはここぞとばかり切り込みをかけるチャンスなのです。菅対小泉の論戦はご存知のように、菅さんの完全勝利に終わりました。そろそろ理工系の東京工業大学出身者のような人が国民による国民のための政治をきちんとした体系に基づいて理詰めでやっていくことが必要になっているのです。やれ永田町だ・利権だ・族議員だ・派閥の長だなどと暴力団組織まがいの非論理的な動きは止めにして欲しいものです。
小泉さんは自民党員ですから自民党の党首として無理を承知で一応がんばっていますが、言うことを聞いていると、自民党なんだか革新党なんだかわからない、歯切れの悪い、どっちつかずの苦しい答弁が目立ちます。もちろん亀井静香が総裁になっていたとしたらば、自民党は国民の支持を得られず、あとかたもなく即座に崩壊したでしょうから、どっちにしろ自民党というのは実質的には、すでになくなっているのも同然です。どちらかというと亀井静香が総裁に選ばれたほうが結果的には自民党長期独裁政権を早く崩壊させられたのかもしれません。
”小泉=中途半端”なんです。格好の良い・女好みの安倍官房長官もある意味、国民特に女性に対する誤魔化し役なんですね。困りましたねこんな策で国民を結果的に騙すのは。小泉は「困った・困った・あー困った」だけなんです。リーダーシップ発揮なんて期待は、限りなくゼロです。望むらくは「神風」よ吹けしかないのです。今後、勢いを得た民主党は、錦のみ旗を掲げてとんどん攻めまくるだけです。末期の徳川家を思い出せば、徳川家の内部分裂、革新派と守旧派が対立しもたもたしているうちに将軍も指導力を失い、ある時、それまで力のなかった薩長軍にアッと言う間に打倒されるのです。徳川の中の勝海舟をはじめ革新派の意見は薩長の考えとほぼ一致していたのです。否むしろ坂本竜馬をはじめ薩長軍の指導者達は、徳川方の勝海舟に教えを受けたようなものなんです。
正に今の自民党もその有様で、小泉もこのままでは、自民党守旧派および野党と国民、マスコミから総攻撃を喰らい、自分の思い通りの政策は、落ち武者同然の野中やぶれかぶれの抵抗勢力の自民党残党に行く手を阻まれ、惨憺たる惨めな姿になって、結果的には、いつか民主党に政権を譲るはめになるはずです。
そこで、世界一賢明であるはずの国民が、決断し、今度の選挙で民主党に政権をとらす方向に行くかどうかがポイントです。不幸にも、万一自民党が政権を維持した場合この3年か4年は幕末末期の混乱・戦乱状態だけがやたらに目立ち、歴史上実りなき時代として記録されてしまうことでしょう。国民がはたして本当に賢明であるかが今度の選挙によって問われそうです。国民も混乱に乗じて一緒になって「改革反対(尊王攘夷)」などと言い争っていると、いよいよこの国もそろそろ本当に駄目国家になってしまいそうですね。
改革とは、まだ余裕の残されているうちにやることが鉄則で、その余裕すらなくなってから革新をするとかえって結果は惨めなものになってしまうのです。今回の選挙は、そのぎりぎり最後の時期になりそうです。
| ■396山暮らしやハイキングで気をつけること。山は都会ではない。とんでもない危険は潜んでいます |
最近、毎日庭の栗が落下しますので。朝晩拾っています。二面を包丁で切り、電子レンジで3分チンすると、簡単に美味しく食べることができます。ところで、昨日栗を拾っていますと、私めがけて栗が落下して手にグッサリと刺さってしまいました。一瞬激痛が走りました。すぐにはずして、血を吸い水で洗いましたので、どうやらすぐに血も痛みも治まりました。
まさか栗が正確に手をめがけて落下し、きっちりつき刺さるなんて思いもしませんでした。山では、こういうことが案外あります。
私の場合も過去、蜂にさされたり、崖からもんどりうって転落したこともあります。思い切り枝に頭を打ったことや、とんでもない大きな枝がドサット目の前に落下したこともあります。
例えば、時期と場所によって蛇や蜂も油断していると危害を加えられますから、今まで大丈夫だったから今度も大丈夫的な感覚でやっていると、とんでもないことになるのです。特に山の中では緊急事態が起きると誰も助けてくれませんから注意して下さい。皆様もハイキングなんかと称して山に入る場合は、例え安全そうな場所でも十分に気をつけて下さい。
@石や木につまづく、木や枝で打撲・切り傷、下手すりゃ死ぬ
A熊・蛇・猿・いのしし・鹿
B蜂(さされたら口をつけて吸出し・水で洗い流す)
C栗や柿など実の木の下(栗が手に完全につきささって針が何本も皮膚の中に入ることがある、顔や頭でも大変です))
D坂道での滑落、路肩が崩れる
E急激な天候の変化
F道に迷う
G急激な霧の発生
H急病
I木や枝が折れ落下
J崖崩れ
K強盗、行きずり暴行・殺人
なにしろ土・坂道・木々のある自然の場所は、くれぐれもハイヒールで帽子も手袋もせずたかがハイキングだからという気分で入り込まないことです。歩きの場合でなく自動車で山に入る場合も雨や風の強い日や、雷や霧の日は止めたほうが無難ですよ。嵐のあとすごく多くの巨木が倒壊し大きな枝や石が落下し散乱しています。崖も崩れます、虫や獣や恐いおじさんも出没しますから。
| ■395物事の反対は、必ず起きる |
表裏一体、あざなえる縄、災い転じて福となす、・・・物事には必ず両面があります。不幸な人もいつまでも不幸ではなく。幸福絶頂の人がいつまでも幸福である保証はありません。否むしろ、自然法則「良い状況の後には、99%悪い状況がやって来る」ものなんです。この当たり前のことがわかっているのに、人間は良いことのみを追及し、一喜一憂するのです。良いことがあって笑う時、浮かれすぎず「次は悪いことが来るぞ」と覚悟すべきですし、悪いことがあったら、「次は良いことが来るぞ」とがんばりましょう。
@平和の後には戦争が来る
A幸福の後には不幸が来る
B好景気の後には不景気が来る
C健康の後には病気が来る
D若さの後には老いが来る
E幸運の後には不運が来る
F上昇の後には下降が来る
G平穏の後には天災が来る
H成長・発展の後には衰退が来る
I儲かったの後には損が来る
J楽の後には苦が来る
K建設の後には破壊が来る
今の状況が良い時に人間は喜び・傲慢になり・悪い状況を忘れ・油断するものなのです。貴方は今どちら側におられますか?必ず99%裏側が次に来るんですよ。いい気になっていてはいけませんよ。
謙虚
誠実
素直
監視
是正
予防
備え
準備
保険
緩和
が大切ですよ。今の日本は戦後、表道を歩き続けてきました。今後少なくとも50年は裏道を歩くんですよ。これ以上表道を歩こうなんて絶対に考えてはいけませんよ。念のため。でも表街道なんてたいして面白いもんではない。裏街道・裏道にこそ本物の人生があるんだぞ。裏街道を悠々と楽しむことのできる人、例えば、すごい苦しみにあっても豪快に笑い飛ばす奴ってすごい幸せなやっちゃで。現代人は皆、高速道路や表街道をスポーツカーでぶっ飛ばす、他人の目だけを気にする規格品みたいな人間ばかり。「つまらん、つまらん、お前はつまらん」
| ■394つらさを知る者は、優しさを知る。寒さを知る者は温かさを知る |
超恵まれた時代に生活する現代の人間は、幸せや優しさを求めるわりに、自らのつらさ体験が極めて少ないものです。幸福を求めるわりにつらい不幸をなめたことが少ないのです。何故か、「つらい体験のない人ほど優しさや幸福を求めるもんでございます」。
だから、幸福ややさしさを常に求める人や強く求める人には注意しないといけません。というのは、そういう人は、つらさや深刻な不幸をあまり体験していない人である場合が多いからです。つらさや不幸をさんざ体験し尽くしてきた人というのは、幸福や優しさなどを安易に「欲しい、欲しい」と求めないものなんだそうです。かなりの程度、貧乏を味わった人は、意外にも「金欲しい」とは言わないのです。金がなくてもそこそこ、どうにかするもんなんです。そういう意味で、金や名誉を欲しがらない人というのは強いんです。例えば金や物や贅沢に目もくれず、厳しい修行を終えた僧は、金欲しいとは言わないものです。中途半端な人だけが、「あれも欲しいこれも欲しい」と言うもんなんです。坊主の場合そういう人のことを、所謂「生臭坊主」と言うんですが、宗教界でもこんなやからが、ごろごろいるのが真実らしいのです。
どういう分野においても、そういう中途半端な人というのは、永遠に真の幸福を手に入れることはないのです。すなわち、普通の人・中間層・中流的な人は、一見良いようで、永遠に本物を手に入れることができない中途半端で可哀相な人達なんでしょう。そして人間は、恋人や結婚相手を選ぶ場合に、そいう中途半端な人間を、自分勝手に心底優しい人だと勘違いし又は騙されて惚れてしまうのですが、実を言えば、本物のやさしさを持つ人なんてそうざらにいないことを認識すべきなんです。1万人に1人くらいでしょうか?本物の優しさを貴方に与えてくれる人を望むのであれば、顔や収入や学歴よりもその人がどれだけ厳しい体験を味わってきたか、また今後も味わう意志を持っているかを検証しないといけないのです。上べの甘い言葉や手品師顔負けのテクニックだけの優しさによって人の優しさを評価し判断するのはとんだお門違い、子供じみているというものです。こんな当たり前のことはおわかりでしょ。まあ安物の偽優しさを受けることで人生を終える可哀想な人達が多いんです。
常日頃、安易な状況又は中途半端なつらさばかりの中で暮らしている人は、永遠に、しょうもない幸福や優しさや金なんかを求め続けるのです。「人生に、求めること、求めるものがあることは良いことだ」なんて言っておられないということですね。本当のところ、あまり良くないことなんです。若者というのは、経験も浅く当然未熟ですから、あれもこれもと求めますが、それはそれで、いたしかたないことですが、よい歳をした人が若者同様である場合は、その人は軽蔑すべき状態なんです。
修羅場というようなすごい不幸や貧乏を味わった人、味わっている人というのは、一時的には死ぬようなつらい時期があるのかもしれませんが、ある意味、本質をつかめる可能性を持ったという点では、すごく幸せな人なんです。
四六時中「欲しい、欲しい」と言っている中途半端な人というのは、死ぬ間際まで「欲しい、欲しい」と餓鬼のようなことを言い続ける哀れな人になる可能性があるのです。
昔偉い方がいて、「我に艱難辛苦を与え賜え」と言われ、そのように厳しい修行を自分に課したという話を聞きましたが、我々凡人はそこまで行くのは無理でしょうが、せめても爪の垢を煎じて飲み、中途半端な人生の怖さを理解して、例え半歩一歩でも真っ当な人生に近づけるように日々心がけたいものです。
| ■393日本人が新規事業に積極的でないのは何でだろう? |
日本人が新規事業に積極的でないのは、かなりな事実であるようです。新規事業の話をしても乗って来る人は、ほとんどいません。戦後一貫してやってきた教育が、高度成長期で、存在する課題を勤勉に処理して行けば良い時代には、日本人の能力は存分に発揮できたのです。しかし素晴らしいかったはずのこの日本型の学校教育が21世紀に本格的な新規事業をやっていく場合には、障壁になりかねないのです。冒険魂の欠けた教育を受けた日本人ですが、最近の日本人は恵まれ過ぎや景気の後退、高齢化のお陰で、何事も「先すぼみ」の思考になっているようです。なんでも「いっちょやったる」的な「先広がり」の思考や行動様式に思い切り切り替えていかないといけないように思います。そうしないと笛吹けど踊らずになってしまいかねません。
@アイデアが出ない。出そうとしない、出ても貧弱
A他人がやっていることの真似に走る
B勇気がない、失敗を恐れる。又は事業の困難性を知らず、考えが甘い
C技術はあっても、営業や経営の経験が乏しい
D恥ずかしがりや、殿様商法になりがち
E他人の協力を得るのが下手苦手
F自営した経験に基づく自覚や能力がない
G汗水たらし泥臭くやろうとしない
Hまず一歩、身の丈に合わせ少しづつ始めようとしない。いきなり派手にやってしまう
I町を歩く、調査する、人に聞く等市場ニーズを集めない
J普段行動する世間が狭い
K逆に思いつきでエイヤーでやってしまう
「日本人も多いに新規事業をやろうよ」言っても日本人のこういった根本的な能力の欠如が是正されない限りは、今後益々欧米人に取り残されそうですね。もっとも従来型の、きめ細かい物真似型や改善型の事業はやはり日本は強いでしょうが。
事業には、
@アイデア
A技術
B営業
C経営
D資本・資金
が必要ですから、一人でやるのでなくネットワークを組んでやることも不可欠の要素です。くれぐれも一人で全てをやろうとしないようにして下さい。でもまずは、独創的なアイデアを出すこと、最初の一歩を踏み出すことですよ。そうしないと何も始まりません。
| ■392、9月29日の安曇川山中は |
9月29日の安曇川山中は
9月29日の安曇川山中、あいかわらず、住人は私だけ、「静かさ、ひざし、秋風、山一人」
@日差しは柔らか、日中最高でも18℃
A今年の夏は湿気がひどかったのですが、今は湿度もかなり低い
B秋風が軽い音をたてて一日中吹いている
C自生のみつ葉・大きなみょうが沢山、食べきれない
D山は栗だらけ、庭の栗が風で落ち続ける、朝昼晩食べる
E栗は底面と平らな面をまな板の上で包丁で切り、電子レンジで3分、固かわは簡単にとり、渋皮こと食べる。これなら簡単
Fぎぼし、萩、薔薇などの秋の花が咲く
G山歩き、野良作業するのに、汗もかかず快適な時期
Hどんぐりが今年は多い年で、一日中夜中も絶え間なく落下する。来春芽が出てしまうので要注意
I午後から夜にかけて急激に冷える晩秋なみ、暖かいものが欲しい
J夜は、寒いので冬なみの体制で布団をかけて寝る
K朝は14℃かなり寒い、動物も冬支度みたい、大変ですね
来年は、いも、きゅうり等を作りたいので、きちんと、土づくりはじめようとしています。薪ストーブがあるのですが、今まで使いませんでした。今年は12月1月に、室内で薪を焚こうと考えています。そろそろ薪作りしておかないと
芋が安くなってきました。落ち葉で50分くらいかけてやる焼き芋がすごい美味、無茶苦茶うまいんですよ。そんじょそこらの不味い焼き芋とは違いますよ。そろそろ落ち葉の時期、いよいよ時機到来、でも落ち葉掃きも大変です。
| ■391信仰でも事業でも全ては掃除から、掃除が基本、掃除くらいきちんとできない人間に立派なことはできない |
山の寺の坊さんが、掃除をしている光景を良く見受けます。一体なんで、修行で忙しいはずの坊さんが、あんなに時間をかけてまで掃除をするんでしょうか?山の中放っておいても枯葉は枯れるし、あれまでやらなくでも適当にしておけば良さそうなもんです。我々凡夫の想像に反して、真剣に修行をしようとする場合、掃除というものの意味はいろいろな点で大きいのでしょう。
坊さんの修行の大切なベースは、何はともあれ、既成観念を捨てることだと思います。事業でも何でも、あらゆることに共通することではありますが、既成観念は障壁やマイナスになることが大いにあり得るのです。
まず、無想というか、無念というか、脱力というかそういう状態に自分を保つことから始めないといけません。そういう場合あれだけ静寂な山の中でも更に夢想無念になるためにも掃除というものは有意義な作業のようです。たかが掃除と言いますが、100人にやらせれば、それぞれ掃除のやり方や出来栄えは100色です。「こいつは素晴らしい掃除だ」なんてのは案外少なかったり、全然いなかったりするものです。特に最近の人に掃除をやらせようものなら、目を被うばかりの魂の抜けた、ずさんな掃除しかできません。たかが掃除ですが、そういう若い人の姿を見るにつけ「これで良いのか?」と愕然とし、大袈裟かもしれませんが、この国の将来を絶望してしまうのです。多分、真剣に掃除に打ち込めないまま、箒は、ゴミを掃くことなく、上の空で、どうでもよいことを、あれこれ考え考えやるんでしょうね。
かく言う私も案外綺麗好きのようで、最近、隅々まで家を点検してみると、カビがはえていたり、埃や汚い場所がかなり発見されます。私も魂が抜けていたのですね。そこで最近きちんと掃除をするように心を改めるようにしています。「家の掃除」「会社の職場の掃除」くらい完璧にこなせない奴は、何やってもいい加減で、駄目だと思っています。やっとそういうことに気づき出しました。遅いでしょうか?御免なさい。貴方の原点はまず身の回りの日々の清掃からですよ。几帳面とか言うことでなく、人間として、最低限の基本要件なんです。
掃除ができない人は、あらゆることが掃除同様に管理されていないために、あちこちに、ほころびがあって、必ず大きな不幸が見舞うものです。覚悟しておいて下さい。貴方が、それなりにきちんとした覚悟ができていれば構いませんが。
| ■386五又は七回に分けて暮らす。休みを入れる。間を入れる |
何事も一度にするのは、意外と無駄・無理・邑(ムラ)が多いものです。例えば、人間は食事を五回に分けていませんか?「私の場合は、三回です」と言う方でも朝・十時・昼・三時・夜の五回に分けているのが普通なんです。しょっちゅう食べているのも困りますが少ないのも内臓に負担をかけるのです。物事全て左様に五回(ものによっては七回)に分けることをとり入れると効率的かつ良い結果が得られます。連続して一挙にということを考え直してみて下さい。
例えば、寝るのも夜だけという方がいますが、無理に一回寝る主義に合わせる必要はありません。一回主義は、かなり無理をしているのですよ。又は無理がきく人しかやってはいけませんよ。
例えば夜目が醒めることがあったら、一度30分起きて仕事や体を動かして再度寝ても良いのです。特に年寄りにはお勧めです。是非一度やってみて下さい。もともと睡眠というのは深い眠りと浅い眠りを繰り返すもんなんです。そうです。眠りにも実は、本来「五回の法則」が仕組まれているんですね。眠れないんだったら一度起きて、軽い歩きとストレッチをやるほうが良いのです。本格的な寝返りみたいなもんですよ。「真夜中に起きるなんて?」「昼寝するなんて」というような固定観念は無意味ですよ。山登りのように寝ることも疲れ仕事なんです。一時的に起きるのは、休むようなもんなんです。ところで眠れないと「えらいことだ」と悩む人がいるそうですが、もし「寝られないんだったら起きる」これが常識なんですがね。
@食事(朝・十時・昼・三時・夜)
A眠る(早朝・昼・夕方・夜・深夜)
B勉強(早朝・午前・午後・夕方・夜)
C排尿(日に7回)
D運動(毎日少しが良い)
E思考(休んだ時に良いアイデアが出る)
F家事(毎日仕事を決めて少しづつ)
G仕事(連続は、1〜2時間が限界)
H人生(0、25、40、55、70)
I旅行(鈍行の旅、あちこち途中下車)
Jセミナー(50分が限界10分休む)
K会議(せいぜい30分以内)
| ■385結婚相手に巡り遭えなことを嘆くことは無意味だ |
俳優といわれる人でも、案外結婚できない人がいるらしい。その本人が、嫌な奴なのか、又は高嶺の花なのかどっちかでしょうが、よくわかりません。人間というものは、自分にふさわしい相手を見つけることは凄い困難なことのようですね。「私は美貌、金もあり、教養も、やさしさも、・・・かなりあるほうなのに、なんで私に誰も近寄ってこないんでしょう?」なんていう人も、案外沢山いるようです。「帯に短し、タスキに長し」なんでしょうかね?
でも、友人や恋人が沢山いて、その中からこれぞと思う人とゴールインした途端数カ月、数年で離婚する人というのもまた多いらしいのです。物は考えようで、相手に巡り遭わないこと=悪いことと短絡的に判断しないことです。相手がいない=自分に合う人がいない。それならば待つか調査や努力を続けるしかないと思うほうがよいと考えます。そして、その上でもし良い人が見つけられなければ、「それはそれで良し」とすることです。何も無理してまで相手を決め結婚する必要はありません。自分自身が自分でも納得の行く人生をきちんと送っておられれば、それのほうが随分大事なことではありませんか。「自分に何か欠陥があるんではないか?」と思う人の場