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◆9.0所感(4号)【無断転載を禁ず】毎日掲載した過去の掲示板の内容を記録したものです。 最新
| ■日本のどこにもない自然豊かな、昔の風情のある場所を作る |
日本のどこにもない自然豊かな、本当に環境にやさしい昔風の風情のある住環境を作る
今日本は、不景気だというが、どうもやっていることは、
@変り映えしない
A差別化された発想がない
B経済発展や便利主義、科学万能の無味乾燥な世界
C地球は破滅への道を速度を速め、確実に歩んでいる
したがって、日本中どこに行っても最悪の環境で個性のない面白味も何もない場所ばっかりになってしまった。多額の金をかけて、役立たずの何やら村とか、美術館とか競技場や大きな施設等どうでもよい、くだらない箱物ばかり作る。
私の提言:
場所を限定して人間が住むのに理想的な環境のモデル地域を作る。そうして日本中どこにもないような自然を基本にしたゆったりとした生活環境を作る。老若男女の人々が気楽に歩く、サイクリングできる道や野外の運動場所を森や小池や外周路を作る。箱物は、質素でかつ最少に。多分こんなことは、不可能に思われるだろうが、環境の世紀に、こんな不可能なことを実現できないようでは、日本も終わりかもしれません。自然の法則を基礎にした。少なくとも日本の戦後の頃をベースに更に人間性豊かな環境を作りたい。
@公共交通は、無料とする
A自動車も基本的にレンタカーとし、不必要な自家用車は、高い税金をとる
B野外広告を一切禁止
C野外のスピーカーや音楽など一切の騒音を禁止
D誰でも使える乗り捨ての無料自転車
E家は木・土・紙・布製に限定また、建物の外観色を規制
F廃棄物にせず、使えるものは全部回収し修理して再生
G10種類の共同農場及び3つの共同牧場を作る。生ごみの肥料化・ボラテイアで運営
H雑木林や小川、河川をボランテイアで清掃・整備
I他府県の域内への車の乗り入れ禁止
J緑の森の中に、大木の下に家を建設
Kスポーツ施設、サイクリング道(土)整備、舗装道路を半減(レール式)
*その他
・お花畑の群生地をあちこちに作る
・標準の6タイプのログハウス以外の建設禁止
・お互いに先生になり勉強会や技能修得を実施する
・10軒に一つ共同ハウスを作る
・老人の介護所・施設を設ける
・生ごみ、木屑、は現地処理、屎尿は各家庭内ガス利用と肥料化処理
・無害排水は濾過し散水用に使用
・10軒に一つ共同雨水タンク設営
・無地又は白の容器包装の材質・形状等の標準化・統一
・木屑や枯葉で湯沸かし
・太陽光発電・風力発電・木屑や枯葉発電
その他自然法則をそのまま素朴に使うやり方を大胆に取入れることを、モデル作りの基本にしたいものです。
| ■田舎の自然に学ぶ(都会は環境保全に逆行する) |
前にも言いましたが、私は山の生活で食事後の皿洗いは、汚れ水を一端、鍋に受けて貯めておいて、下
水に流さずにわざわざ土のところに、捨てに行きます。こんなささいなことに気付かなかったのですが、密かに「これは素晴らしい、発見だ、感動だ」なんて思っています。
次に都会では気付かなかった点を幾つか思い付くままに、ご紹介します。
@自然原理に反することを平然としていると、永遠に環境は改善されない
A水(川)は、下水ではない
B水(川)は、十分汚水処理できない
C土は、汚水処理する
D土は、有機物を滋養分に変える
E都会は、汚物処理が機能していない
F各家庭の植木鉢は浄化装置
Gごみは資源の無駄使い H都会では、広告・音声・自動車騒音が当たり前になっている
I自然界の基本・原点に戻れ(自然界のしくみを勉強し直す)
J自然界では、有機物は自然が処理する
K都会は、環境保全に逆行している(間違った対策が容認されている)
環境に悪い沢山の自動車を走らすために、道路を舗装し、土を排除し、人が密集して生活するために、コンクリート住宅が増え、暑いからクーラーをがんがんかけ、緑をとことん排除し、貴重な有機物の廃出物は、土に帰さず水に流し、川や湖沼や海は、膨大な滋養分によって肥え・有害物であふれる。科学者は、どんどん便利な機械を必要もないのに、研究開発する。新しい研究開発を実現した科学者は、環境破壊者にも拘わらず、表彰される。正に北朝鮮と変ることはない。そして環境破壊をますます加速していく。そんなことをしていて、何が環境に優しいものか?ありがた迷惑なんだ、この”金正日野郎ども”。
食事後の皿洗いを、汚れ水を一端、鍋に受けて貯めておいて、下
水に流さずにわざわざ土のところに、捨てに行くと、良いことづくめです。特に水質汚濁防止には最高です。
@腐るものは微量でも必ず土に帰す
A腐るものは微量でも水に出さない
B必要なく、無やみに物を燃やさない
C土を水浸透性のない物で覆わない
D地面の面積の3倍以上の緑を確保
E紙と木と布と土で家・構造物を作る
F雨水を常時100%土に浸透させる
G有害物は水・空気・土に排出しない
H腐らないものをごみとして出さない
I公共の交通手段を使う(無料化に)
J物は修理し、おさがり、廻して使う
K戸外で一切音声や騒音を出さない
| ■キーワード「ない」その6(あることはないこと、ないことはあること、豊かな時代には、得ずに、むしろ捨てることが大事) |
金持ちとか、秀才とか、社長とか、・・・そういうものを手にした人を周りの人は羨むものです。しかしそういう人の中に「ああー貧乏人が羨ましい」とか「俺も馬鹿になりたい」なんていう人がいます。私でさえもそういう気持ちが少しは理解できます。
というのは、「手に入れたい」のと「手に入れた」のとは大きく異なるのです。手に入れたのものは、他人が考えるほど、良いものでもないと思うからです。手に入れようとしているうちは、すごく情熱を持って努力するものです。ところが手に入れてしまえば、それがいかに素晴らしく見えても、終わりは終わりなのですから。
「あれもこれもある」とうのは、単純に言えば、「満タンのタンクみたいなもので、もうダメヨ」という状況なのです。ダメなところに更に詰め込もうと頑張るのです。これはつらいですよ。もっと落ち着きなさいな。神様は、「汝は、一生、得続けよ」なんて言ってませんよ。逆に「なにもない」というのは、「空っぽのタンクみたいなものですから、まだまだokよ」という状況です。貴方は満タンのタンクと空っぽのタンクとどちらが良いと思われますか?
どちらが良いかは貴方が決めることです。でも満タンのタンクのほうは、新しいものが入れ難いという致命的な欠陥をもつていることをお忘れなく。あまりにも多くのものを持っているからといって必しも幸福ではありませんよ。人間をはじめ全ての生き物は、呼吸していますが、息を吐くから空気を吸えるのであって、もし吸うだけだったら、死んでしまいます。得ることと同じだけなくすことをしないと息が詰まるという理屈です。
空っぽのタンクは、何でもいくらでも入るという利点があることもお忘れなく。何もないからと言って、勝手に惨めだと諦めずむしろ楽しく生きましょう。
私は、どちらかというとあまりないほうの部類でしょう。金も、地位も、美貌も、才能もあまり恵まれてはいませんでした。悔しさ半分・負け惜しみ半分ではありますが、中途半端にあまりなかったために、いろいろ知恵も工夫も努力もしたし、それなりに楽しかったように思っています。
下手に才能や力や幸運があると人間はどんどん多くのものを得るものです。そういう人を羨ましいというのですが、待てよ、得ることは、結果的に、多くのものを失うことなんだと、思えばそんなに羨むこともないでしょう。ないことをもっと楽しむゆとりを持つことにしませんか?最近『癒し』というのがブームになり、盛んになっていますが、癒しとは、「妥協」「捨てる」「バランスとる」ということなんですが、「癒し」が「癒し」にならないのは、薬飲んで、深酒や無理するような間違いを犯しているからです。または意地悪婆さんが、お化けが詰まっているのに重いつづらを選ぶようなものでしょう。得ることに汲々としていると何も得ることはできなとい結果になるのです。癒しとは、基本的に捨てることであって、癒しを得ることではないですよ。もっと「大胆に捨てません?」昔のように貧しい時代ならばともかく、こんなに豊かな時代になったのですから、「お化けのつまった重荷を捨てること」ができるのですよ。豊かな時代のキーワードは、「ない」又は「軽くする」なんです。「捨てる、得ない」なんて贅沢なことですよ。
これで「ない」シリーズは終わりです。
| ■キーワード「ない」その5(あるものより、ないものを探せ、それを商売にすると大儲けできる) |
人間は本能的に「ないもの」又は「ないと認識するもの」を求めます。地位・名誉・女・金が代表的なものです。だからよく詐欺士がやる手は、相手がないものを与える手口です。愛・優しさ・美男・金・地位などを手段に相手を騙すのです。詐欺士は、ターゲットをまず調査と分析をします。この人に無いものは何か?恋人がいないのか、金がないのか、地位がないのか、人のやさしさに飢えているのか、豪華な生活なのか?・・・・
まず初期調査で「著しい不足事項」を突き止めます。つきとめさえすれば、あとは簡単です。嘘でも良いから、それを与えてあげるのです。餌まきです。飢えた魚は、針の先にしかけられた餌に食いつきます。しかしくいついたら最後逃れられなくなるのです。一度得るをそれを失うことを恐れます。針は、ぐいぐいと食い込んでいきます。予想以上の詐欺被害に遭うのは、自分にないものに無防備だから、弱いからなのです。
ということは、商売は、人が「自分にない」と思っているものを見つけたり作り出して、商品やサービスにするのが一番です。ない・欲しい・でも与えてくれる人がいない・これが商売のネタです。今は何も買うものがない、欲しいものはないと言いますが、そうではないのです。ないものはまだ沢山あります。
例えば
@健康・元気Aゆとり・いやしB美・芸術Cやさしさ・人間らしさ
D自然・山川草花E静かさ・きれいな環境Fめずらしさ
G仲間・家族H冒険・アドベンチャーI自己発見・自己形成
Jものづくり・肉体作業K安全・危機回避
昔の物のない時代に較べて、ないものというのは、物や表面的にばかり見ていると、かなり発見困難になっています。だからないものを探り出し、穿り出すような努力が必要になります。でも探せば随分出てくるものなのです。金鉱脈を探すようなものです。
金鉱脈はあるんですが、但し探さないと発見できなのです。「ない」ものを発見し、「ない」ことを意識させれば儲かります。しかし逆に言えば発見した人は、独占的ですから、うまくいけば、大儲けできるわけなんです。科学の世界でも発明発見というのがありますが、「ないものは?」の世界にも発明・発見があるのです。ノーベル賞はもらえませんが、金鉱脈を発見し、当たればそれこそ億万長者になれます。「ないものはないか?」を日々考えましょう。
21世紀の商売のキーワードです。また「ないもの探し」そういう馬鹿げたことを一人黙々とやることを楽しんで下さい。実用新案を考え、大成功する主婦のように、「ないもの探し」を。
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■キーワード「ない」その4(あるうちはわからない、あるものがなくなってはじめてわかる) |
ある・ないなんてたいしたことないと思っていると、さにあらず、「ある」「ない」なんて言葉でさえ、人生にとって、すごく重要なキーワードなんです。ちなみに、貴方は、「何が?」「あるの?」「ないの?」そういうことを真剣に考えたことや意識したことってありますか?
ところで言葉っていうのは、本当は、生き物・なま物なんです。ところが、たいていの場合は、言葉が死んでいるものなんです。同じ言葉でも昨日と今日と明日は違うし、場所により、人により、条件によっても、かなり違うものなんです。また言葉を深く掘り下げると一つの言葉でも到底普通の辞書では表せない、無限のいろいろな意味を持っているのです。一つの言葉だけで辞書が一つできるくらいのものなんです。一つ一つの言葉の意味を深く知ることもなく使っているのは、立派なゴルフクラブを持っていても、極めてゴルフが下手な人のようなものなんです。学校では、言葉の意味は一つしか教えませんから、糞の役にも立たないのですね。アアーーー。「言葉の意味は一つ」それが、学校方式、入試テスト流なんだから。話になりません。アアーーー。
話を戻して、「今自分は幸せだ」と思っている方がおられるとします。又は「今自分は不幸だ」と思っている方がおられるとします。しかし更により幸福になったり、より不幸になると「一体本当に幸せであったのか、不幸であったのか」がわからなくなってしんまうことがあります。私は幸せというものは、あれもこれもなくしてはじめて実感できるものだと思うのです。「ずーと幸せな人には、永遠に真の幸せは訪れない」と言えるのです。「子供が幸せだという実感」と「大人が幸せだという実感」と「老人が幸せだという実感」は、同じ幸せでも、かなり異なるものだと思うのです。得ているだけ、そういう中で感じる幸せなんていうのは、ただそれだけのものでしかないのです。
ずーっと健康だった人が、「私は幸せです」なんて言たところで、次ぎの日に「癌になり、あと1年もちません」となっても、幸せと感じるかというと、多分そんなことはなく、「私は、世界一不幸です」と言うのに決まっています。そうだとすれば、昨日までに「私は幸せです」と言っていたのは、単なる感想、勝手な思い込みでしかなかったということになります。
そうだとすれば、本当の意味で「私は幸せです」と言えるのは、得るだけでなく、あれもこれも、なくした人が言わないと意味も価値もない戯言になってしまいます。と言うことは、幸せになる第一歩は、「まず可能な範囲で、なくすだけなくしてみること」が必要条件なわけですね。
あーそうなんだ、日々いろいろなこと言ったり、聞いたりしているが、経験が浅い人間が何言っても聞くに値しないんだ。少なくとも、意識の上だけでも、あれもこれも全部なくしたという心境になることが、まず大切なんじゃないかと考え出したんです。そのためには、私のようなレベルの人間がやれることは、@ろくでもない欲をまず全部すっぱり、捨て去ること、A真面目に生きること、B非常に恵まれ過ぎているという意識を持つことだと思います。私は、立派な修行僧ではないから、今更、全部を失うなんてこともできませんし、するつもりもありませんが、俗世間に住む煩悩を完全に捨て切れない人間として、それに近づくことが必要だと考えています。そうしてある程度「ない」という状況下又は「あり余る状況を否定した生活」のもとで、幸せを実感することが私にできる精一杯の心がけでしょうか。
「あれもない、これもない、こうしたい、ああしたい、不平、不満を持つ」ことは何の意味も価値もありません。あるうちは、欲しいうちは、何もわからないよ。まず、すっきりして、「何でも、いつでも、ありがたい」と思うことが、まず幸せの第一歩、初歩、入門では?
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■キーワード「ない」その3(「人間は、ない状態で生まれる」「ないものを追い求めるのが人生」「しかし、ないものを追い過ぎるのは苦&愚」「ないという意識を捨て、楽になる」) |
人生というのは、本来「ない」状態で生まれる。衣類も食事も住まいも全てがない。だから最初は親が面倒を見る。
それらを得て親離れするために、研鑚を積み糧を得る能力を身につけ、自分でいろいろなものを得ることを覚える。そうこうするうちに、「これもない、あれもない」という思いが膨らんでくる。欲ばりになってもっと、もっとと手に入れようとする。
簡単に言えば、『人生とは、ないものを得る、追い求める』ことだ。
だからそのうち、次々に欲しくなってくる。そうすると、かえって失うもののほうが多くなってくる。あれもこれも得ようと褪せれば褪せるほど、むしろ得ることより大切なものを失うことになってしまうのです。
「得る」が行き過ぎると、反作用として「失う」が多くなる。しょっている重い荷物を更にどんどんふやして、山を登るようなものです。むしろ徐々に軽くしていくことが山登りを楽にするものです。
「衣食足って礼節を知る」というのはそういうことを戒めたものなのです。『人生はないものを得ることだ』しかし、「衣食足って礼節を知る」を忘れるほどに、多くの人は、得ることに狂奔してしまうのです。守銭奴みたいに見苦しい、あさましい人間になってしまいます。より金持ちに、女を、豪邸を、家具調度を、美術品を、宝石を、高級車を、名声を手に入れたくなってくるのです。
あれもこれもと欲張ったところであの世に持って行けるわけでもないし、それほど幸福になるわけでもないのです。とすれば、「ない」という意識を捨てて、「かなり多くのものがある、手に入れた」と思ってしまえ!若いうちはいいとしても、良い歳をして、あくせく、我を忘れて金もうけに目の色変えていることはなくなるはずです。失っていたゆとりが生まれるはずです。
「ない」という意識を「ある」という意識に変えるだけです。心も持ち方だけを変えればよいのです。すごく簡単です。難しい思考も金も人も何もいりません。意識さえ変えれば良いのですから。
意識を変えるだけなのです。「あれも欲しい、これも欲しい」を「あんなものいらない、こんなものもいらない」というように変えることです。
人間には、意識というものがあることを忘れてはいませんか?意識は、人間にとって重要な働きの一つです。意識を自在に操れる人は、魔術師よりもすごい。意識を自在に変えることこそ人間にとってどんな財宝より価値あるものです。
意識によって、人間は良くも悪くもなる。意識というのは恐いものです。ないものねだりの欲張り婆になるか、もうこれで結構と遠慮がちな爺さんになるか?
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■キーワード「ない」その2(自分にない”から”得たい”だけのこと、「ない」ものへの執着を捨てる) |
私は男です。男ですから、本能として女性への興味は強く、55歳くらいまでは、女性特に美人には目がなかったように思います。若い男の大半がそうなように、女性や美人に関する関心・興味は、異常と言っても良いほど、すごいものでした。しかし60歳の今、冷静に思い直してみると、「馬鹿馬鹿しいし、女が・美人が何ほどのもんや、何でそれほどまでに執着していたのか?神様も随分罪作りだなー」というのが実感になっています。お金も贅沢も豪邸も地位も名声もない人は、そういうものに、すさまじく憧れるのです。それらの唯一の理由は、冷静に考察してみると、その人にそれが「ない」からだけなのことなのです。「ない」の度合いが大きいものほど強く欲望を感じるものなのです。数学でいうと「欲望」は「ない」の3乗・4乗に比例するのです。
神様はどういう機能を仕組んでいるかというと、食欲をはじめその他の生理的要求と同じように、キーワードは「ない」なのです。不足すると強い欲が起きるように仕組んであるのです。しかし満たされる(有る状態になる)と急速に、欲は減退します。空腹を満たした後、排泄した後、セックスをした直後の男なんかを考えればおわかりでしょう?例えば、若い男が女に過剰な興味を持ち、女が男に過剰な興味を持つ理由は、特じ自分にはないものであり、本質的に強い関心・興味・欲望を持つようになっているからなのです。
隣の家や庭が美しく見える、近所のお嬢さんや奥様が魅力的に見える、友人達が自分の数倍有能で素晴らしく見える、・・・というのは、「ないものねだり」という動物本来の心理や本能が強く働いているのです。隣人も友人も他人も自分と同じ又は以下の人の場合が多いのですが。自分には欠けていると意識してしまうのです。食欲は、お腹がすく「お腹に物がなくなる」ということから湧くのです。空気も水もなくなると欲しくなります。
「ない」→「欲」→「満たす」→「満足し、欲なくなる」というサイクルの繰り返しです。だからいかなる美人や美男でも結婚してしまえば、嘘のように、見向きもしなくなることが多いものです。得た瞬間に、強い欲望はゼロ状態になるのですから、人間は、欲を持つのも適当にしないといけないのです。「結婚式が愛欲の最大値」なのです。結婚後は、100%愛欲は、低減していくのです。ある意味では、本能ですから、いたしかたないのですが、本能を管理せず、勝手に放置していると、本能に振り回されて、本物の中毒患者や躁鬱患者になってしまいますから、自分にとって「ない」ものは何だ、「自分はそれに対してどう対応するべきか」ということを冷静な時に、調査分析して中毒にならないように心づもりしておくことが大切ですね。下手すると「ないもの」は、自分にとって大きなウイークポイントになるのです。本能は生きる上で大切な働きではありますが、あくまで自分が主体的に抑制することが大事なことです。テレビショッピングやカタログ販売なんてものは、この人間、特に若者の「ないもの欲しさの」浅はかな心理、本能の弱点を利用しているのです。
だから、冷静に考えると美人や美男子をあれほどまでの努力を払って、追い求めるのは、単純に『自分にない』からという理由だけなんです。「ないから欲しがる」のが人間だということを認識しておいて下さい。ないものへの憧れ、”追っかけ”や”ファン”や”マニア”なんてのも「ないもの追求者」なのです。自分自身が美人や美男の人の場合は、あまりたいした追っかけにはなりません。プロ野球選手や歌手の追っかけ・収集マニア・グルメ追求・金髪茶髪・海外旅行・女性の化粧やバッグや衣服の過剰な購入、・・・彼らは本当に異常ですよね。「なんでそこまでやるの?」もっと冷静に「ないもの欲しさ」という自分の弱点を分析しないといけません。外人の金髪は格好良いですが、「日本人も金髪に」というのは、まさしくこういう意識が作用しています。だってあんなみっともない似合わないことを恥ずかし気もなくやっているのですから。茶髪が似合う人もいますが、ごくごく僅かです。
『”自分にない”から”得たい”』
こういう、本能やからくりをきちんと認識しておかないと、自分にないものは、全て追い求める又は遮二無二追い求めるようになります。子供がよくやるように「正夫君は持っているよ」「皆やっているよ」「あみちゃんも買ってもらったって」というような「ないものねだり」というやつになってしまいます。大人でいうと、ニコチンや競馬やアルコール中毒みたいなものですね。酒・麻薬というのは、悪いと知りながら、自分にない世界の魅力に惹かれてしまうのです。
最近私なりに心がけていることは、他の人が持っていて、自分にないものを求めるのでなく、自分にだけしかないものはないか?という思考を中心にすることと、あまり何もかも欲張り過ぎないこと、何かに執着し過ぎないことです。そうすると不思議に富や美人・美男やグルメを求め、都会生活求め、名声を求めるなんてことが急に失せてしまいました。「ないもの」を追うという本能に振り回されることの馬鹿馬鹿しさを強く実感したからです。それだけのものですが、案外できそうで、できないのです。物真似、他人や権威の価値観、羨望、闘争、人に頼りすぎる、・・・というようなことをキッパリ棄てることが大切のように思います。棄てられさえすれば、清々しますよ。
「求めよ、さらば開かれん」から「捨てよ、さらば開かれん」へ
| ■豊かで便利で、快適な社会に住むと、いつしかそれが当たり前になってしまいます。ところが低開発諸国から日本に来た人は、日本の状況を見て、あまりの豊かさにびっくり仰天するはずです。 |
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金持ちのお嬢様のように、日本人には、有り余る贅沢が、当り前になっているのです。日本人の認識は、かなり麻痺させられてしまっているものなのです。 |
| ■キーワード「ない」その1(棄てよ、されば開かれん) |
| 豊かで便利で、快適な社会に住むと、いつしかそれが当たり前になってしまいます。 ところが低開発諸国から日本に来た人は、日本の状況を見て、あまりの豊かさにびっくり仰天するはずです。 金持ちのお嬢様のように、日本人には、有り余る贅沢が、当り前になっているのです。日本人の認識は、かなり麻痺させられてしまっているものなのです。 今の時代は、@「麻痺症患者」とA「過敏症患者」が同居する社会になりつつあります。どちらも「どんどん得る」ことの弊害・副作用です。「不要なものでも何でも棄てないでとっておく、更に得ようとする」というのがあさはかな人間を、不幸のまま又は更なる不幸へと導いているのです。 @「麻痺症患者」:何事も当たり前で、鈍感になっている人。本来”有り難い”ことでも有り難いと感じない病気の人 A「過敏症患者」:有り余る豊かさに順応できず、拒否してしまい、受け付けなくなって、順応できなくなる人(アレルギー・過敏症・登校拒否・引き篭もり等) 大金持ちの子供は、贅沢が当たり前になって、親が裸一貫から築いた身代をつぶしてしまうものです。親の若い頃のつらい生活を味わさせなかった親の責任なのです。親は、自分の歩んだ人生というものを、自分の子供に対しては活かせないもののようです。親は、幾ら金持ちになっても子供には贅沢をさせてはいけない、贅沢をしてはいけないのです。子供がかわいければ、かわいいほどそうすべきなのです。簡単なことなのですが、こういうことができなのです。その点、たいして金持ちでない貴方や私は、むしろ非常に幸せなのです。 もし、どうしても贅沢をするのであれば、内緒で別荘を作って、そこだけは贅沢でもよいが、自宅のほうでは、質素な生活をしないと子供はかわいそうなのです。 大金を持ったら、豊かになったら、その時こそ、『ない』という状況をいかに維持するかが、大切なのです。そういうものを、はっきり分けなくてはいけません。金持ちのお坊ちゃんだからといって、子供を一流私立学校にいれ、高級車で送り迎えし、ご馳走を食べさせ、豪邸に住み、贅沢な生活をさせてはいけないのです。キーワードは「ない」なのです。「ない」ことに戻って考え・行動しないと必ず弊害が貯まり、そのうち爆発します。 過敏症の人は、全く同様に無理やり豊かな社会に順応する必要はないのに、その状況をなんとか維持しようとするために過敏症から脱出できないのです。豊かな都会生活をする人を真似たり、自分もそうしないと損した気になるのは、馬鹿げています。「過敏症」というのはある意味、警告なのです。その警告の意味を自分なりによく分析してみるのとが大切です。「いかにしてこの都会生活、ストレスの多い生活を維持しよう」ということを優先するから問題は解決しないどころか益々解決困難になってしまうのです。例えば化学物質過敏症やアレルギーの人は、「そういうものから遠ざかりなさい」という警告なんですから、素直にそれに従うことを優先して、現状分析をしないといけません。根本的な解決方法はやはり、「ない」又は「なくす」なのです。 「ない」とか「なくなる」といものを「失う・損する・のけ者にされる」とマイナスイメージで捉えるとどちらにしても、良い結果は出ません。宗教家が世を棄て山に篭り修行するように、現代人は、「積極的に棄てる」ことの意義や価値を積極的に考え受け入れる素養が必要なのです。 「ない」こと、「失う」こと、「なくす・止める」ことを恐れない。むしろ「ない」こと、「失う」こと、「なくす・止める」ことが解決のキーワードだという認識を持つことも大事なのではないでしょうか? |
| ■ISOのマネジメントシステムをもっと政治の世界に導入せよISOは現代の必須条件だ |
善し悪しはともかくとして、世の中非常に豊かで便利で快適になってしまった。こんなにまでする気持ちはなかったのだが、結果的に歴史上かつてなかったようなありあまるほどの豊な社会が作られてしまった。良い反面それに数倍する問題を抱えるようになってしまったのです。でも今更後戻りできないどころか、更に経済発展という形で更なる豊かさの追求が行われています。とういのは、実をいうと、もう止めるに止められなくなっているのです。そんなはずじゃーなかったのですが、何故か進み続けないとこけてしまうのです。 |
| ■不正・不浄・不純・不実・不敬・不毛・不備・不忠・不善・・・と決別し自己を磨き直す決意・覚悟しないことには、歩めども、歩めども一歩も前進がない |
| 60歳になって、過去を振り返りますと、なんと、やっと人生の出発点に立とうとしている自分に気付きます。これまでも自分の成長のために一生懸命、ひたすら頑張っ てきたはずです。ところが何一つとして、自己完成に近づいているような実感がありません。むしろ、頑張るほど、どんどん遠ざかるような感じさえしています。悪賢くはなったり、生きる術を身につけたり、人間や世間のどろどろしたことがどうにか理解できてきたぐらいでしょうか。改まってみると、人間としての本質的な成長は、ほんの僅かしかないように思います。一千万里の一里くらいしか歩めていないように思うのです。人様には、「自分も随分大変な人生を歩んできました」なんて言っていますが、改めて考えてみれば、「至らぬ自分だという自覚」がやっと、できたのかと思える程度でしかありません。 子供が親離れできないように、しょうもない欲や思い込みと決別できないのです。舌きり雀という昔し話がありました。欲張り婆さんは、大きなつづらをもらってい家に帰り、つづらの蓋を開けると沢山の化け物が出てきたのですが、正直爺さんは小さなつづらをもって帰り、家で蓋をあけると宝物が出てきたという話です。所詮私ごとき凡人は、中身が化け物で一杯の大きなつづらを背負って人生を過ごしているようなものなのでしょう。重いつづらを汗して一生懸命家まで持って帰るような愚かしいことをやっているのだと思います。化け物しか入っていないと気付いても、その重いつづらを捨てる勇気さえ出ないのです。まず重いつづらと決別しないといけませんし、捨てる覚悟をしないといけないですよね。ところが人間は化け物でいっぱいのつづらに、更に多くの化け物をせっせと、詰め込んでいくものなのでしょうね。強欲ばあさん・じいさん「お化けのつまった重いつづらを捨てよ」改めて言う必要もありませんが、まあ自分の至らぬことおびただしいですね。 @人生の方針・目的がなっていない A物欲・金銭欲・食欲・小欲が多い B闘争心、名誉欲、虚栄心が大きい C自分を掌握・抑制・働かせてない D物事を粗末にし、大切にしない E嘘つく、ごまかす、だます、脅す F自分がかわいい、利己的、けち G悪いとわかっていても改めない H余裕がなく、せっかちであくせく I困難に出会うと元気がなくなる J失敗を恐れ、臆病者、勇気無し Kつまらんことに拘る、縛られる ● 〜60歳は、何もしていなかった ● 60 歳 で、やっと目覚める ● 60歳〜は、初心にかえり、これからが本当の勉強 まあこんなことを思っても、どれだけできますやら?「三日坊主」になるだけでしょうか?まずは、覚悟をしないといけませんんね。 麻薬常習者にやアルコール中毒の人に止めろと言っても止めないように、60歳くらいになって、やっと駄目な自分に決別しようと心に決めるのですから、お粗末ですね。麻薬常習者にやアルコール中毒の人は、まず麻薬や酒との決別が必要なのですが、その決別という第一歩がなかなか踏み出せないのです。下手すると、一生中毒患者であったり、再起不能、身の破滅へと進んでしまいます。 偉い坊さんが想像を絶する修行をしても一生かかることを、俗世間でのうのうと生活している私達には、到底達することのできないことでありましょうが、凡人として大切なことは、麻薬や酒を絶つように、決別というか入門というかそういう瞬間を作ることが、まず大切であると思います。万一、その後たいした境地に達することができなくとも、だらけた自分と決別し、自分を磨く道に入門しようとすること自身が尊いことだと思います。自分を磨き直そうと決意・覚悟をし、入門しさえすれば、あとは死ぬまで真面目に自分を見詰め・高める・清めることを続けるしかないと思います。 修行というのは、終わりのない旅だそうです。これで悟りが開けたという時期が来るのでなく、一生涯続けるけることが本当の修行だということだそうです。 ところで、毎週日曜日朝5時から1時間、NHKで宗教講座をやっています。主に仏教のお話が中心ですが、我々凡人には非常に参考になります。是非毎週、ご覧になって下さい。日本人ですから、私達はなによりも、まず仏の心を少しでも知らないといけませんね。 |
| ■ウンコは、きちんと自分のことは自分で処理する地球上で偉い・賢い奴なんだ貴重な資源でもあるんだ「ウンコは汚い・臭い・見るのも嫌だ、でも一身同体の貴方の分身だったんですよ」 |
「臭いはオナラ、オナラは臭い、臭いはウンコ」ウンコは汚く・不衛生で・臭くて、当然皆様お嫌ですよね。しかしなんでウンコは臭いのでしょうかね?そういうことを疑問に思ったことはありませんか?食べるものは必要なもの、一方、ウンコが必要だなんて言う人はいませんよね。ウンコは、使用後の厄介物・不要物と思っていますよね。ところが、廃プラスチックや廃ガラス、紙屑、廃木材、廃油のほうがむしろ質が悪く、地球環境を破壊する、問題の多い、大嫌われ者なのです。その点ウンコは偉いですよ。ウンコは役にたつ奴ですよ。ウンコは、地域によっては、 |
| ■私の物差し・人生のキーワード |
| 私の日頃、評価・判断・決定・行動する場合の拠り所は、次ぎのようなものです。ご参考になりますやら? きちんとした自分なりの物差しを持つことは大切です。自分の物差しを当てることなく無批判、単純に、リーダーや有識者やマスコミや他人のもっともらしい意見や行動に振り回されないようにしましょう。もっと孤独になって自己を見つめ、真剣に自分と向き合い自分なりの信念を持つこと。人間は弱いものです。だから、よちよち・よろよろと頼り無いなりに、自分自身にあった杖、磁石、羅針盤を持ち、少しでもしっかりとした足取りで人生を少しづつ歩んで行きましょう。 □最高10点、□高い8点、□普通6点、□悪い4点、□最悪2点→12項目ありますから、合計点を1.2で割って下さい。 各項目について、判定は自分なりに、意識として重視しているかどうかで、判断して 下さい。やや甘くても結構です。 @多くの旅立ち:J → □最高□高い□普通□悪い□最悪 A自律自信自活:I → □最高□高い□普通□悪い□最悪 Bバランス重視:B → □最高□高い□普通□悪い□最悪 C自然法則遵守:N → □最高□高い□普通□悪い□最悪 D徹底的差別化:D → □最高□高い□普通□悪い□最悪 E感性情感重視:E → □最高□高い□普通□悪い□最悪 F誠実誠心誠意:S → □最高□高い□普通□悪い□最悪 Gチャレンジ心:C → □最高□高い□普通□悪い□最悪 H整理整頓清潔:C → □最高□高い□普通□悪い□最悪 I多くの大後悔:R → □最高□高い□普通□悪い□最悪 J質素倹約工夫:S → □最高□高い□普通□悪い□最悪 Kマネジメント:M → □最高□高い□普通□悪い□最悪 総合点 ?点 私の場合は、総合点85点でした。 50点、60点くらいならかなりましなほうですよ。 |
| ■貴方の住環境の場合は、何点か?きれいな環境か? |
| □最高10点、□高い8点、□普通6点、□悪い4点、□最悪2点 各項目について、判定は自分にとって気分が良いかどうかで判断して下さい。 @空気:□最高□高い□普通□悪い□最悪 A 水 :□最高□高い□普通□悪い□最悪 B騒音:□最高□高い□普通□悪い□最悪 C景観:□最高□高い□普通□悪い□最悪 D 緑 :□最高□高い□普通□悪い□最悪 Eダスト:□最高□高い□普通□悪い□最悪 F温湿度:□最高□高い□普通□悪い□最悪 G密度:□最高□高い□普通□悪い□最悪 H 風 :□最高□高い□普通□悪い□最悪 I臭い:□最高□高い□普通□悪い□最悪 総合点 ?点 安曇川長尾の私の場合は、総合点100点でした。 ちなみに当社京都事務所の場合は、総合点26点でした。50点、60点くらいならかなりましなほうですよ。 |
| ■極上の生活をしませんか?衣食を卒業し住及び環境の充実を、そのためにまず、都会主義を捨てよう |
今日本は、実に豊かで便利で快適になりました。例えば着るもの、食べるもの、電化製品、買い物、遊び、情報、・・・・。しかし肝心なものが最低のレベルであると思うのです。兎小屋と言われている家及び住まいの周囲の環境です。それは、その他の全ての素晴らしさを帳消しにしてなお余りあるものだと思っています。言い換えると、肝心なものを犠牲にして、次元の低いものの快適さを享受しているということです。最近は、それほど犠牲にしなくても極上の生活環境を手軽に得ることができる(広い家で住環境の良い場所がある)のに人々は、思い切れていないのです。 |
| ■5月3・4日に湖西の高島町で大溝曳き山まつりがあります |
| 3日は夜、4日は11:30に曳き山勢揃いから巡行が実施されます。場所は、高島町の日吉神社です。高島町観光協会の「大溝まつり曳き山巡行”曳き手で活躍」というイベントが4日にあります。参加費500円、申し込みは、観光協会0740−36−8135FAX0740−36−8159 Eメイル:village@lily.ocn.ne.jp です。参加者氏名・連絡先住所・電話参加コース:Bコースで申し込んで下さい。JR高島町9:55分集合です。先着30名ですから、お早めに、駄目な場合は、一般人として見物されたらいかがでしょうか?私も当日は見物に行くつもりです。どちらにしろ高島駅に9:30分〜9:55分におります。日吉神社というのは立派な神社ですし、高島町は万葉の時代から昔は、日本海交易の物資や技術の中継基地として栄えた場所ということですので、それなりに見るべきものがありそうです。京都の祇園祭りにはないものがあるかもしれません。私もはじめてなのでわかりませんが?まつりでは餅まきや地酒のふるまいもあるとか? 14時に終わりますから、よろしければ安曇川の長尾山中の我が家にもお立ち寄り下さい。自動車ならば30分くらいでいけます。 |
| ■「現在・過去・未来」貴方は何処に生きていますか?過去に生きるのが最高なんですが?何故人間は、未来に生きようとするのか? |
人間は、当然、現在に生きてはいますが、現在に生きること自体、ある意味大変で苦労が多いですよね。 |
| ■後悔という名のすごい師「後悔は厳しい師匠に見えるが、実は心暖かい親です」 |
| 誰の意見も聞かない頑固な人でも、後悔には勝てないようで、大概の人は、ひとたび、これが訪れると、土下座しひれ伏すのです。「私が間違っていました。多いに反省しました。今後は二度としないように、おきないようにします」てなもんです。『後悔』というのは、先生でも親でもお坊さんでもないのに、偉そうにもしていない、むしろ嫌がられているのに、実は、それほど偉大な師なのですね。 そうであれば、『後悔先生』『後悔大明神』と崇め奉って、神社を建て、お守りにすればその御利益や霊験あらたかなのです。しょうもない神社の御札なんてのは、高いお金を払って、ぶる下げていても、絶対に御利益はありませんよ。この世で最も偉大な師こそ誰あろう『後悔大明神様』なんですよ。『後悔大明神様』の霊験とは: @後悔、先に立たない A後悔するなでなく、後悔しろ B後悔しないという後悔をするな C後悔こそ、偉大なる師 D後悔すると、必ず改める E沢山後悔すると、成長する F早く後悔したほうが成長が早まる G遅い後悔は、最悪な結果を生む(膿を早く出せ) H大人と子供の違い=どれだけ多く・どれだけ大きな後悔をしたか I沢山後悔するほど高い目標に到達できる Jいろいろな後悔が幅を広げる K後悔は厳しい師匠に見えるが、実は心暖かい親 「後悔」=「航海」かもしれない。大海原に漕ぎ出す一艘の小船、嵐にも寒さにも暑さにも故障にも海賊にも飢えにも出会うがそれらを乗り越えて目的地に到達することが大事なんだ。船出しない船では航海(後悔)もないが得るものもない。 |
| ■知識・理屈よりも感性や情感を大切にしたい |
| 我々、戦後世代の特に男達は、経済大国や豊かな生活を目指し、一心不乱に頑張ってきました。 そのおかげか、どうも物事を理屈や知識で考えたり判断する傾向が強いのです。そのために、どうも理屈っぽく、知識にがんじがらめに縛られてしまっています。そのせいか日本男児は高齢化を迎えて益々元気や艶や魅力を失っています。まあ戦後の日本は、それでも良かたはずですし、私もそのおかげで随分勉強し、それなりの豊かな生活を手に入れることもできました。しかし今後もそうかというと、もういい加減に、旧来路線を真剣に、変えないといけないように思うのです。乱世や戦国の世が終わると武闘派は、そのままでいると、平和な時代には無用の長物となり、疎んじられてしまうことがあります。同様に現代は、知識・理屈派よりも、今後は感性・感情派がはばをきかす時代になろうとしています。理屈と感情の関係はどういうものでしょうか?人間は、豊かになろうとします。しかしいつまでもそういうことを追求していると、豊かさそのものをゲットするよりも豊かになるためのひたすら努力すること自体が目的化し続けてしまうのです。 知識や理屈は、戦後学校教育が主体の時期には、感情よりずーと崇高な存在のように思っていたところがありました。一方感情を主体にしたり、むき出しにして表現したり物事を言うのは、どうも場に馴染めない雰囲気があったものです。ところが世の中が知識や理屈で充満し過ぎて、その結果かえって、世の中がある種乱れているような状況においては、もう知識や理屈ばかりでは、物事がうまく行かなくなっているように思えるのです。 教育改革ということが叫ばれていますが、更に知識や理屈に偏重した勉強中心、試験の成績・進学中心の教育が更に強化されないように願っています。もっと日本古来の情感を大切にしたものこそ取入れて欲しい内容であるように思います。例えば、1月くらいまたは1週間でもよいから田舎で暮らし田舎の学校で勉強するというようなものなど何しろ人間には豊かな感情というものが基盤にあるんだということを教えてやって欲しいと思います。私の場合は疎開によって埼玉の山の中で1年くらい暮らしましたし、その後も湘南の鵠沼のおばあちゃんの広い家で毎夏過ごして自然に接したことは情感を磨く良い場になったと思っています。 私は、これだけ科学が進歩した時代においては、バランスをとるという意味においても、人間の感性とか感情を取り戻し、全面に出して、物事の善し悪しを人間という生き物を基盤にして判断するほうが理屈や科学一辺倒による大きな間違いが是正されるように思うのです。ところが、知識や理屈というのは数値化しやすい面を持っていますが、感性や感情というのは科学化・数値化しにくい面を持っています。したがってめまぐるしい現代では、効率よく処理できず、まどろっこしくて、人々の賛同が得にくいのです。どちらかというと、今後はあらゆる面において、男性的な思考や行動から女性的(特に日本女性的)な思考・行動への移行が顕著に見られて来るのではないでしょうか?自然豊な日本式の質素な住まいで、清掃が行き届き、何気なく生け花があしらわれ、物静かにゆったり振る舞う:日本女性の優雅さ・おっとり・謙虚さ・物静かさ・羞恥心・・・・といった感性が現代においてこそ素晴らしいのではないでしょうか。男の私でも、そういう感性に今、改めて憧れます。 本来人間が人間たるゆえんは、コンクリートの家でクーラーをがんがんかけ、ジーパンはいて、物が一杯に取散らかされた部屋で、テレビを見ながら菓子を食べまくり、ああーだこうだと理屈を並べ立て、論争するような殺伐としたものではなく、豊かな感性や感情や優雅さやゆとりではないのでしょうか?現代には、ふさわしくないように思って、感性や感情をこれまでのように抑制し続けていると、社会は、どんどんゆがんで、どうしようもないほど非人間的な方向、ついには、人間崩壊の方向へと突き進んでしまいそうな気がしてなりません。科学や理屈をあまりにも重視し過ぎて、善し悪しを判断するのでなく、人間の感性をもっと尊重すべきではないでしょうか?そうでないと、人間が可哀相というか、それこそ人格無視・人間無視のような気がしてなりません。 最近テレビで、外人の女が「日本人らしくしましょう」なんて言っていますが、実際に外人のほうが、日本のそういった良さを見抜いて、そのうち、寿司や豆腐や納豆が外国に普及したように、日本の感性が外国ではやることになるのではないでしょうか?外人が着物を着て、障子と畳の部屋に生活し、生け花やお茶をたしなみ、ご飯に味噌汁や糠づけなんかを作っているようになるかもしれませんね。日本は、本来伝統的に感情や感性を重んじる国であったはずです。都会文化・経済発展重視が中心になった頃から、そういう日本古来のものが、ほとんど失われてしまったのは残念です。さあ、感性や豊かな感情を取り戻し、艶やかで優雅な落ち着きとゆとりのある人生を取り戻したいものです。 まあこういうものも、あきれはてたフセインや金正日同様な政治家や役人や教育者達に期待するのは、無理・無駄ですから、皆様自分で取り戻しましょうね。 |
| ■「東京浅草生まれの人間がなぜ一人、湖西の安曇川の山中に暮らしているのか?不思議だ、でもこれが自分の旅なんだ。」と今日感じた |
今日、日曜日に高島町の観光協会主催の(0740−36−8135)の歩こう会に参加して来ました、56名の方々で、私くらいの年頃の、特に女性の方が多く参加されていました。高島町の周辺の古墳や城址のある小高い山を巡り5時間かけて散策しました。山の道は、きちんと散歩道に整備されていて、桜や沢山の花が植えてありました。すごく気分の良いコースでした。是非一度ご参加下さい。次回は5月4日(日)10:05JR高島駅集合で、大溝曳き山まつり参加費:500円です。道すがら土地に関する説明があり、万葉以来の湖西の歴史の一端に触れることができました、湖西というのは万葉の昔し、商業・経済において、日本の中心地だったらしいのです。というのは、当時は、朝鮮・中国からの貿易や新技術の導入が盛んで、日本海から高島や安曇川が経由地として、京都をはじめ各地に物資や技術が輸送されたんだそうです。その中心地が高島町あたりで、近江商人の大元の発祥地であったようです。その後、琵琶湖を渡り対岸の東側の近江八幡や長浜に近江商人が渡っていったそうです。 |
| ■都会人=10ki man、(10のkと1のi)てこれなーに |
| 10のキッチンと1つの居間ではありません。 都会の状況をもじって「10ki」と書き表してみました。一体これは何でしょう? −−−−−−−−−−−−− 1k:汚い(空気) 2k:汚い(景色・景観) 3k:汚い(川・水) 4k:臭い 5k:混雑 6k:危険 7k:けたたましい・うるさい 8k:金・金・金 9k:糞暑い 10k:コンクリートジャングル 1i:いらいらする −−−−−−−−−−−−− 都会人(10ki man)は、このように、いらいらしながら、10のストレスに日々耐えているのです。 どれも不必要なもの・有害なものばかりなのですが、10ki man達は、あたかもそのストレスを必要かつ大事なもののように信じているのでしょうか? 一体そういう多大の代償を払ってまで、都会に住む理由は、何なのでしょう? 都会に住んだその結果、得るものは何なのでしょうか? 病気・犯罪・多忙・断絶・事故・悩み・自殺・喧嘩・詐欺・麻薬・売春・・・・ 天秤ってご存知ですか?右の皿に都会、左の皿に幸福をのせてみて下さい。 左に大きく傾いているんですよ?単純なことですが、そのような事実を、まず理解した上で、なおかつ都会に住むのならば構いませんがね?でも麻薬にのめり込んで、禁断症状を恐れ、拒否している、人生の敗北者みたいなものではないのですかなねー? 田舎に移り住むなんてのは、大変なことには違いありませんが、勇気をもって決断しませんかね?やってみれば、3年ぐらいで、「田舎は良い場所・住家」ということが理解できますよ。もし、理解できなっかたら、その時には、しょうがないから「10ki man」に再び戻れば良いじゃないですか? ほんの少しの勇気を出そうよ。「えっ?勇気は出ないって?」「そうか、そうなのか?残念だなー」 「都会10kiは、一体全体何を得る場所なのか?」「それとも都会10kiは、人間の幸福を捨てる・埋める場所(墓場)なのか?」考え直す時期が、そろそろ間近に、来ているのです |
| ■ISO14001ではなぜ何でもかんでも記録を要求するのか?(ISOここがわからない:その7) |
環境マネジメントシステムで、重視することが幾つかあります。 |
| ■山に一人で住んで勉強したこと:「無いこと・困ること・不便なことから教わる」 |
今自宅は滋賀県安曇川、事務所は京都市伏見ですから、都会と田舎を行き来きしています。都会のほうは、つくづく便利です。また冬は、山に比べると非常に温暖です。(夏は、10度も暑い)それに対し山の中は、近所に人はいませんし、当然、商店や歓楽街や交通手段もありません。もっとも現代では、想像するほど大きな不便はありません。むしろかなり都会に近い生活さえできています。しかしやはり冬は寒いし、水が出ないし、何か買うこともできない、トイレは汲取りですし、やはり不便なことも多いのです。 |
| ■現代社会に生きることへの疑問、国際化・グローバル化・都会文化はそんなに良いことか、政治家や役人は気違い集団ではないのか?もうノアの箱舟しかないのか? |
今世界は、グローバル化を良いことのように提唱しながら、けっして良い結果が得られていませんし、将来の見通しも暗くなるばかりです。一体何が起きているんでしょうか?地球環境は益々悪化するばかり、経済も教育も医療も社会保証も災害対策も平和維持も何一つよくなっていません。グローバル化とか国際化とかが素晴らしいことのように声高に叫ばれてきましたが、はたして本当に正しいかったのでしょうか?
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| ■猿真似も人真似も同じレベルのことか? |
| 人がつまらんことをやることを「それは猿真似だ」と言ってあざけり笑ったりしますが、最近は、人間も猿とそんなに変わらないのではないかと思うほど堕落しきっていませんか。人真似も猿真似の域を出ないのではないかというのが、現代人に対する最近の私の評価や印象です。政治家・役人・赤字を垂れ流している経営者・学校の先生・坊主皆、猿以下の行動が目立ち過ぎませんか? お猿さんが、最近の人間を見て「人間のやることだけは真似ないようにしようね」なんて言っているかもしれません。ひょっとしてテレビで物真似や声を真似る番組を見て喜ぶ私達も猿以下なのかもしれません。謙虚さをすっかり忘れて「人間様は万物の霊長」だなんて威張っていると、とんでもないことになりそうです。人間というのは、成功すると、そのうち態度が大きくなってしまい。尊敬を受けない人、軽蔑に値する人間にと簡単に堕落して行くものです。現代人も、豊かな生活や享楽的な生活に有頂天になって「人間は偉大なり」といい気になって、高慢の極みになっているかもしれません。幾ら成功しても、大事なこと、失ってはいけないことは、「謙虚さ・素直さ・誠実さ・質素さ」です。 ところで、過去の自分を振り返ってつくづく「人間は素晴らしい・完璧だ」なんて頭から信じ込んでいたことに気づき、唖然としているのです。確かに、人間は高い能力を持ってはいますが、「高い能力を持つ=立派な生き物」という考え方は、大いなる勘違いだということに気づき出したのです。ちょうど高価で立派なパソコンや電気製品が全く使いこなせないまま埃をかぶっているのと同じなのです。人間は、大量のほこりをかぶった、しつこい汚れのついたパソコンみたいになっているのです。いかに高性能でも、正しく機能していないものは、低い性能のものを正しく使いこなすより、劣るものでしかないのです。 例が適切かどうかわかりませんが、美人にあこがれて結婚したが、とんでもない嫌な女だったり、家事一つ満足にできなかったり、幼稚な精神の持ち主であったということが、案外よくあるそうです。美人だからということだけで周囲の男性達は全員、「あんな素晴らしい女性と一緒になりたい」などと羨望の眼差しを降り注ぐのですが、実態は、とんでもない”まがいもの””くわせもの”であるということが多いようなのです。 現代人も猿以下だと思うのは、これらの最悪美人さんの場合の連想からも沸いて来たのです。見掛け倒しの文化・詐欺的ごまかしの文化、そういう中で生きる人間自体も、どんどん猿以下になってしまっていませんか?SF小説のようにそのうち猿が人間にとって代わるかもしれませんよ。 「お猿さん」でなく「お人さんやで、あいつらアホやなー」なんて軽蔑されたりして?猿真似はどちみち大したことではありませんが、人真似のほうが甚大な危険を伴うので、くれぐれも人真似には注意しましょう。「タバコは健康に害になります。タバコの吸いすぎに注意しましょう」ならば「人真似は精神の破壊をもたらす危険があります、人真似のし過ぎには注意しましょう、年齢には関係なく」ああ、そうか明日から「禁人」しよう。それにしても情けない時代になったものですね。 |
| ■ ISO14001かISO9001どちらを取得するか?(ISOここがわからない:その6) |
・社長「そろそろうちの会社もISOをとらんといかんな、村上君、君はどう思うかね?」 |
| ■ ISO14001は役に立ないが取得しないと商売に差し支えるのか?会社の大小を問わず、個人や役所を含めて必要なツールになってくる(ISOここがわからない:その5) |
ISO14001の認証が、日増しに多くなっていますが、お客様の大半が商売への影響を食い止めるためという消極的なケースが100%に近い状況です。まあ動機は、不純でも、せっかく取得するのですから、ISOのマネジメントシステムを有効に会社に定着して戴きたいと考えています。日本企業では、規模の大小で経営のやり方が違うという観念がまだ根強く残っています。「うちの会社では、ISOマネジメントシステムなんて柄に合わない」なんて具合です。規模の大小により、経営は全く同じではないにしろ、最近では情報ツールの発達によって、ほとんど差はなくなっているように私は思います。 |
| ■ 将来見通しの甘さが致命傷となる時代、危機が通り過ぎるのをひたすら待つという基本姿勢が日本人のアキレス腱。そしてつらさ苦しみを知らぬ日本の若者が日本の身代を潰す |
バブルが破裂することは、実際には、かなり以前にからバブル崩壊を予想している人が多かったようです。しかしほとんどの人は、そういう忠告に耳を傾けずにバブル破裂の被害者になってしまいました。そのひどさは、被害を受けた人には、致命傷になってしまったようです。多分その人達は、今も青息吐息でしょう。そして国家も破滅への道をひたすら歩むことになってしまいました。日出る国から日没する国になってしまいました。気づいて、事前に又は、すぐに早めに対策していればこんなひどい事態にはならなかったはずなのです。しかし日本人の更なる甘い見通しがこんな深刻な事態を招くということを誰が予想したでしょう? |
| ■ ISO認証取得するには?(ISOここがわからない:その3) |
最近小さな企業様でISO認証を取得しようとする場合が増加しています。そういう企業様は、いろいろ調査されるのですが、基本的にほとんどわからない状態で調べていますので、調査された企業様でも、かなり理解がいい加減な段階で判断されることが多いように思います。不思議なのは、私の聞く範囲では、最も駄目な会社を選んでしまう企業様が多いことです。何故か、あまりおすすめできない経営コンサルタントを選んでしまうことが多いのです。話巧みなコンサルタント会社の営業さんに難しいことを言われたり、まんまと騙されてしまうのです。私の場合はコンサルタント兼営業をやっていますから、真実のお話を具体的事例を用いて丁寧に説明するのですが、どうもお客様の理解が不十分のために、私のような丁寧な説明より、ことば巧みな営業マンにだまされる方のほうが多いようです。ISOの場合企業様がわからないことを良いことにして、素人をまんまとだますのです。こういことは誠に残念です。医者と患者みたいなもので、よくわからないから、名前や格好や偉そうな話に気をとられて、エイヤーで決めてしまうようです。 |
| ■ 安曇川山中で思うこと、「決められたレールの上を歩く人生でなく、自分自身の道を作ること」 |
| 私は、戦中昭和18年に東京浅草寺の付近に生まれ、埼玉県の山村に疎開し、戦後は、東京の浅草蔵前の近くで育ち、頭がそんなに良くないのに何故か「東京工業大学」などというとんでもない立派な大学に入学できてしまった。当時、父親のなんと喜んだことか?日大・早稲田・東京工業大学総なめであったのですから、親父さんは、自分が合格したようにルンルン、棚からぼた餅、「俺の子供がねー東京工業大学に入学したんだ、早稲田も受かっちゃってね」なんて皆に言うような具合だったらしい。親戚一同もびっくり、「ええー和隆さんが?国立一期校のかの有名な東京工業大学へ入学したか!凄いのねー」てなもんだったらしい。 当時の日本は、高度成長の前夜、子供が有名大学に入ることが、一家の名誉であった時代でした。ちなみに当時の国立大学の授業料は年間2,3万円くらいだったと思います。ところで、そんなとんでもない奇跡が起きてから、修士過程を修了し、かの有名な松下電器産業に入社したので、またまた「えー凄い」てなもん。当時の東京の人にとって大阪に行くというのは、かなり大胆な所業でもあったのですが。そうして大阪に一人赴任、しかし10年目に「この会社は駄目だ」とやめてしまうのです。 この時ばかりは、「あいつは、アホカー!」だったみたいですが。ところが、どっこい凄く良かったのです。これまた当時としては、想像すらしなかった零細企業に就職してしまったのですが、予想外に、この会社は、凄い立派な会社だったのです。事情があって倒産しかかっていたのですが、短期間に収益体質に脱皮できたのです。ここでは、社長さんや息子の専務や弟の技術課長に随分勉強させてもらいました。「ラッキー」ついていましたね。小企業の子息が大企業に就職することは多かったと思いますが、私のような大企業に勤務する者が、わざわざ小企業を選んで転職するなんてことをした人というのはまあ皆無であったように思います。このことは、私にとって他の経営コンサルタントとかなり差別化できている要素の一つになっています。だいたい大企業一筋の人間は、意外と、ひどく世間知らず・井の中の蛙・かたわ者だと気付いたからです。 その後、仕事がきつくて体重が減り、腰痛をこじらしたために、やむなく退職し、半年養生後、またまた偶然にも京都のローム株式会社に転職するのです。ロームも私が入社当時は、業績は業界ビリでしたが、苦労の末、数年後日本一の座に上り詰めることになるのです。そして私の所属する製造部も長年の大赤字を脱し、生産管理課長としての役割を修了した頃、急に地球環境管理の責任者を命じられました。生産管理課長でへとへとの時期を終わりやっと一息の時期でしたから、「いよいよ俺の活躍する場が来た」と地球環境管理に取り組み、一生懸命がんばりました。孤軍奮闘大きな成果と能力アップと人脈も沢山作りました。 ところが、元気で明るい、有能な妻が予想だにしない大病だったことが判明したのです。妻が脳腫瘍、仕事と看病でひっくりかえり、東京出身の私には、京都には、一人も身寄りはなく、子供は知らん顔で、孤軍奮闘大変でした。ISO審査員の資格や国家試験の資格を取得して、退職し、妻の看病に専念しましたが、1年ぐらいして、いい加減な薮医者にさんざやりたい放題やられて、他界してしました。仕事(収入)はない、妻もいない、それならばいっそのこと、介護の仕事をしようと、介護の仕事に就こうという矢先、経営コンサルタント会社への就職の話が急遽舞い込み、思い切って先生になることを決断しました。 しかし経営コンサルタント会社のあまりのひどさに驚き、半年もしないうちに独立してしまいました。大手コンサルタント会社というのは、ろくな先生がいないのにかなり多額の報酬を得ていました。その後、どこの大手経営コンサルタント会社も同様に、ひどいのだということを知ることになりました。ちなみに独立当時ISOの指導費は、1本500〜850万円くらいでした。随分良い収入でした。ところが、ISOコンサル参入者が急増し、どんどん値下がりが続き、今は相場が180万円以下となっています。これでは、日本には優れた経営コンサルタントは、育ちませんね。こういう役立つことにこそ、国や県などがもっと支援すべきだと思うのですが、というのは、それによって日本企業の体質が飛躍的に改善されることは明らかなのですから。病気の医者は高額所得なのに、経済の医者である経営コンサルタントの収入が少ないのでは、日本の凋落はいたしかたないことでしょう。マイナスのことに幾ら金をかけても良くはなりませんからね。 そうこうするうちに、ある日安曇川に来て、中古の安いログハスを急遽購入することになってしまいました。今迄5年を自然の豊かな山で一人静かに住む(落ち着く)ようになったのです。これも「地球環境や人間性豊かな生活を体験せよ」という神様の啓示に思えたのです。インターネットやEメイルは一生すまいと思っていましたが、仕事上やむを得ず勉強し、Eメイルを始め、すぐに自分のホームペイジも作りました。ホームペイジによって人里離れた山中に住む者でも、充分に営業活動ができるようになったことを実感しました。京都伏見を事務所にして滋賀を支所にして事業をやっています。 今、滋賀県高島郡安曇川町大字長尾字の山中で一人、仕事と生活を両立させている自分を振り替えると何と不思議な人生なんだろうと思わざるを得ません。「随分他人と違った人生になったなー」というのが実感です。戦後の日本では、「決められたレールの上を着実に歩く時代」だったのに、自分も一度は、そのレールに乗ったのに、数々の偶然が重なりあう結果として、東京の浅草に生まれ育った何の変哲もない人間が滋賀の山の中に一人で暮していることは、妙な結末ではありますが、私には何か必然性があってこうなったように思えてしまうのです。 今若者は、社会の大きな変革について行けず又はついて行こうとせずに、フリーターや此れ迄に考えられもしない生活様式・行動様式を実行しています。良い悪いは別にして、私のように5回も転職し、8回も引っ越しをした者としては、他人と違う考え方や行動をどんどんトライしてみることを日本人に大いにお勧めしたいのです。 今、60歳になって安曇川で静かに日々過ごしていると、私に特別何か課せられた仕事や使命があるんではないかなんて考えてしまうのです。それとも、たまたま少し変った者に過ぎないのでしょうか?でもあれこれやって来た自分の人生を悔やんではいません。それどころか、自分としては、楽しい人生でもあったし、今も楽しい人生でもあります。今後も、人間の新しい生き方に関して、何かが起こってくれることを期待しています。 安曇川は、今日は一日中小雨、木々にとっては恵みの雨となりました。来週以降は、急速に春めき、美しい、可憐な野のスミレや野の花々が一面咲くでしょう。ここ2週間くらいが山では、草花が一斉に咲き出す時期なのです。本当に静かですよ。鳥達も今は、あまり囀りもせず、まだ静かです。夜はまだかなり冷えますので、虫も生き物もまだ眠っているようです。 「戦争反対・平和を」と声高に喚く人々は、都会である種の戦争を日々やっている又は仕掛けているような気がします。あの方達にとって平和とは?物や騒音や人で溢れる都会でのいわゆる豊かさや便利さが満ち溢れた生活が平和のシンボルなのでしょうか?私にとっては、都会には平和のかけらすら無いように思うのですが?都会は平和のシンボルではないのです。きな臭い戦争の火種がくすぶるのが都会であるような気がしています。「平和」をと言うなら、自分自身の生活や周囲からもっと積極的に根源的な平和を追求すべきだと考えています。 |
| ■ ISO14001で文書や記録は、「電子文書」でも良いのか?(ISOここがわからない:その2) |
| ISO認証取得をした企業では、膨大なファイルがあるという印象がありますが、今は日本でもパソコンで仕事をする会社がほとんどになっていますから、ISOもパソコンに文書や記録を保存するのが、主流になりつつあります。ISOでは、電子文書でも良いことが規定されています。どしどし電子文書化して下さい。以前から高額な専用のソフトもありますが、最初から完璧 |