村上和隆所バックナンバーはISOや経営や管理や人生や田舎暮らしなどについて経営コンサルタントの所感

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村上和隆バックナンバーの所感
(経営コンサルタントの見たまま感じたまま・過去の所感)
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◆9.0所感(3号)【無断転載を禁ず】毎日掲載した過去の掲示板の内容を記録したものです。 最新

常識的な非常識と非常識的な常識の混同

私が転職をして超大手企業A社から零細企業B社を経て、中堅企業C社に入りC社が日本一になった体験から思ったことは、大企業必しも良くない・素晴らしくないということでした。また最近経営コンサルタントを自営してみて、ここでも大手の経営コンサルタント必しも良くない、素晴らしくないということに気づきました。そしてISOの審査機構も同様、またお付き合いする提携先も大手さんより小さい企業のほうが優秀だったり、良い仕事をすることに気づきました。何故か?
      大手企業は、 @仕事のえり好みをするA無駄な経費が多過ぎるB社員のプライドが高い、頭でっかちC営業部隊が別に存在D自分だけの判断・行動ができないE小さい企業ほど必死でない
      というようなことでしょう。
      経営コンサルタントについても、企業さんは、名の有名な大手の経営コンサルタントを選んでしまいます。そういう会社から派遣される経営コンサルタントは、かなりレベルが低い先生が多いのも知らないで。私のお客様から、大手の経営コンサルタントをお使いになった体験をお聞きすると、そういうような失敗は、非常に多いのです。でも大手経営コンサルタントを選ぶ習慣は、簡単には治らないようです。こういう企業さんは、いつか失敗に気づくのですが、その時には遅いのです。本当に実力のある会社さんの場合は、存外、規模や名前や外見にはこだわりません。あくまで、実力のある経営コンサルタントを選び、勇気をもって、使います。力のない企業は、規模や名前や外見で経営コンサルタント会社を選ぶのですが、所詮その程度のものでしかありません。
      日本の企業は、昔からそういう傾向があります。ソニーも京セラもホンダも画期的な新商品を最初に受け入れたのは外国企業でした。今も同じようなことが続いているようです。日本人、日本の企業は、相手が大手、有名、大手と取引がある、立派なオフィスがある・・・・というようなことにこだわり、相手の内容や実質を調べたり、独自に評価し意思決定する能力を持ち合わせません。ほとんどの日本企業が、そういう情報収集分析・能力が極めて貧弱なのです。だから見かけで判断するしかないのです。日本では、見かけ(常識)で判断して失敗しても、何故かその失敗の責任は問われないようになっているのです。
      日本の現在の閉塞感の原因の一つも、この「常識的な非常識の姿勢」にあるのです。これから伸びる会社は「非常識的な常識」を探す・求める企業でないといけません。そういうことができる独自の情報の調査分析能力を『持つことも大切です。そういう点、日本では大企業でも田舎企業みたいな体質を未だに抱えているのです。これでは駄目だ。常識的なことから非常識的(画期的)なものは得られる時代は終わりました。常識をはるかに超えた非常識の中から真のものを勝ち取ることこそ企業を伸ばす重要なカギになりつつあるのです。ところが旧態依然経営者も従業員も全く思考や行動が変革されていないのです。日本では、何故かリストラというと首切りと理解している人が多いのにびっくりします。
      リストラはリストラクチャリング(再構築・変革)なのです。ところが未だに日本の企業では、極めて常識という意味のない行動規範にすがって判断し・命令し・行動しているのです。私は、そういう情景の企業さんを、今もなんと多く見受けることか。「ああーこの国は残念だが、駄目だ」「高齢化した指導者も若い人従業員も、どっぷり常識という非常識にはまっている」「まず常識を捨てなさい(まず服を脱ぎなさい)」「そして非常識の中から常識を取り出すようにしなさい(別の斬新な服を勇気をもって着なさい)」そうすると、ずーっと長い間、非常識と信じていたことが、案外常識であることが理解できるはずです。まず経営者の皆さん、思い切り、その古い服をお脱ぎなさい。

冬は、もっと、どんどん加湿しよう、皆さんは加湿に無関心だ、加湿しないのは身体にすごく悪い

梅雨時の湿気は、嫌ですが、実をいうと梅雨時の湿気は、随分有益な面を持っています。汗が出るのは嫌ですが、私のような老人はむしろ歓迎です。ところで、冬の乾燥は、あまり嫌がられませんが、実は随分人間の身体に悪さをしているのです。
梅雨時は、空調を入れますが、冬は加湿しないどころか空調を暖房で入れますので、ますます乾燥してしまいます。そうなると身体の皮膚や粘膜も著しく乾燥します。人間の身体は、多くの水でできています。そして皮膚や粘膜は、実を言うとそれらの水を貯める容器なのです。その容器は繊細なものですから、湿気がないと、ひからびてしまいます。身体の中は水が一杯外側は、からからとすれば、これはかなり皮膚や粘膜にとってはしんどく、傷み放題傷んでしまいます。その結果、ひび・赤切れ・皮膚のかさつき、風邪引き、目鼻の炎症、肺炎、冷え性になるはで大変な負担になります。それ以外にも静電気まで発生します。痛いし、火事や爆発や電気製品の破壊なども引き起こします。そこで、是非それなりに乾燥対策をやって下さい。
      冬は夜にお風呂を沸かすと部屋のガラスや壁に結露します。結露するということは、逆に言えばそれだけ乾燥していることの裏返しなのです。結露対策も必要ですが、そうだからと言って加湿を怠ることは非常に大きな間違いです。もっと積極的に工夫し障子や吸・排湿する素材を用いて部屋の乾燥を防いで下さい。自分が寒いからという理由だけで、がんがん空調や暖房をかけ、温度を上げることばかり考えないで、湿度計などをおいて湿度を上げ、湿度維持・調整することも忘れないで下さい。
      @加湿器や温水を沸かし、かなり十分に加湿する(昼間に限定、また寒い部屋は結露に注意)
      Aズボンをはき、厚着し、空調を入れない(女だからスカートはくなんて馬鹿がすること)
      B部分暖房にする(コタツ・ストーブ)
      C外断熱、内断熱や太陽光を取り入れる工夫をする
      (・ガラスに断熱シート・厚手のカーテン・二重ガラス・換気の改良)
      D分厚い絨毯を敷く
      E適度にクリームを塗る
      F障子を設置する
      「たかが紫外線」「たかが花粉」「たかが室内汚染」「たかが水道の汚染」「たかがタバコ」「たかが農薬」「たかがダイオキシン」・・・・などと、たかをくくっている人が多いのです。冬の乾燥も「たかが乾燥」と放置していてはいけませ
ん。しかも人為的に更なる乾燥の環境で仕事や生活していることはかなり危険なことですよ。くれぐれも湿気より乾燥は大敵ですよ。冬場の貴方の身体を更に弱くしてしまいますよ。
      昔の日本の家は、外壁は土と木、そして家の中は障子、唐紙、厚着をし、暖房は堀炬燵そして火鉢でお湯を一日中沸かして加湿していたのです。このように冬の加湿対策を考えると、案外大きな省エネにもなることに気づきませんか。このように基本に帰って、良いことを真剣に追求すると、すごい良い結果が伴うものです。「瓢箪から駒」「棚から牡丹餅」

教えられる受身の教育によって人は良くなるとは限らない

昔大学を出て松下電器に入社した当時、3カ月というかなり長い期間、新入社員教育を受け、凄い会社だなーと関心しました。その後も、非常に多くの教育の機会がありました。どちらかというと、これでもか、これでもかと「教育漬け」の状態でた。勉強好きの私にとっては非常にうれしかったのですが、その後転職したローム株式会社では、ほとんど教育はされませんでした。ところがロームでは、何か事が起きると、内容の遺憾を問わず、集中的にその課題について教育だけでなく具体的に抜本改善をしたり、新たなシステムを導入し、経営者の陣頭指揮で部課長から一般社員まで総員参加で活動しながら実学として勉強させられたものです。今思えば、それはすごいダイナミックなやり方でした。なにしろ経営者が怖いほど、一番燃えているのですから、全員やらざるを得ない状況になるのです。
      同じようで、全く違うこの両社の教育の仕方で、どっちが優れてるかというと、私にとっては、明らかに後者でした。無論松下時代の教育も随分役にはたちましたが、本当の意味で身についたのはロームのほうでした。要は、松下電器は、知識主体、ロームはもっとダイナミックな実践重視型だったのです。どちらも大変な金と労力がかかりますが、ローム方式のほうが時間も労力も大変です。ローム時代の思い出はその問題が重要であれば、経営者が陣頭指揮にたち事務局をおき組織体制を構築して総力戦で取り組むことです。
      義務教育も弊害を持っていますが、一般に知識だけを教える教育には次のような欠点があります。

      @理解していない部分がかなり多い
      Aすぐに忘れる
      B行動や実践に結びつかない

      最近の子供は、知識を実践の場で使うことが少なくなっているために、これら知識偏重の教育の弊害は甚大です。盛り沢山の知識を詰め込まれると、単にそれは脳に一時的に記憶されるだけで、その後出番がないと忘れ去られてしまいます。ところが行動したことというのは、生涯忘れられません。「昔とった杵柄」「雀百まで踊り忘れず」なのです。昔日本では、師匠は弟子をとらず、弟子をとっても手取り足取り教えることはしなかった、といいます。これは非常に意味深いことです。教育とは教ええもらうことではなく、学び取ることなのです。ですから今無能な政治家や文部省の小役人どもが企てている教育改革は、多分無意味なこと、又はやらないほうが良いような愚作になる可能性があります。「教える時代」から「学びとる時代」になるのです。知識はいくらでも得られる時代なのです。大事なことは、その人が何をしたいのか、何を求めているのかということなのです。
      従って小・中・高校での従来の教育内容を根本から改めて、できるだけ早期から自分自身がやりたいことを重点に学びとる教育をいかに実現していくかが大事になります。そういう意味でもっと教育も自由化すべきなのでしょうね。レストランやスーパーのように、教育を受ける側が幅広い学校の中から選べるような。しかも教育は、従来の国語・社会・理科・英語みたいに画一的なものでなく、もっと幅を広くし、より実践的な内容、例えば実習を取り入れるようにすべきです。なにしろ定食メニューのように画一的に教えるというやり方は効率が悪くやめるべきです。塾のほう
が得意なことをあまりやっても意味がないと思います。中学からは、例えば、管理技術やパソコンや健康や環境などという学科も選択できるようにすべきでしょうね。
      それにしてももっともひどいのは大学です。あんな役に立たない代物は、止めてもよいくらいです。なにしろ、実社会に出て、大学の勉強で役立ったことは何一つありませんでしたから。

からまわり、からぶり、生兵法は大怪我のもと、日本国民一億愚民化の危機

「働けど働けど楽にならず、じっと手を見る」と石川啄木は呟いたらしいのですが、今の日本も同じように「やれどもやれども、良くならず、じっと株価を見る」みたいなことになっています。「構造改革なくして、成長なし」ところが、改革は抵抗勢力によって阻止され、遅々として進まない。「どうもこりゃ駄目だ」あれだけあった膨大な日本の資産は、いまや日々紙屑と化しているのです。資産は、金利がつくどころか、時々刻々目減りしつつあるのです。一頃の阪神タイガースのように、「頑張れど、頑張れど勝てない」状況になっているのです。応援は凄いのですがね、何でだろう?
      所詮、国や人間というものは、大きな繁栄をすると、その繁栄が大きいほど、後遺症も大きくなってしまうようです。プロ野球でも一度優勝したり、少し調子が良いと、つい油断して、阪神タイガースのように、長期低迷という状況に落ち込むものですね。強いチームは、ジャイアンツのように、これでもかこれでもかと強化しますし、強い会社はトヨタのように、これでもかこれでもかと強化するのです。

      ・油断大敵火がぼうぼう
      ・泥縄式(泥棒に入られてから縄をなう)
      ・奢れるものは久しからず
      ・年寄りの冷や水
      ・雉も鳴かずば撃たれまい
      ・下手な鉄砲は数打ってもあたらない
      ・紺屋の白袴

      どうも今や大病人の老人日本は、幾ら周囲が励まして「まだ老け込むのは早い」「元気出しなさいよ」と言われても、もう高齢と重い病気のために身体も思うように動かない状況ですから、何をやってもうまく行きそうもありません。江戸末期はどうでしたか?正に今の日本の状況に似ていませんか?「何が駄目なのか?」「何が原因で良くならないのか?」といった議論が盛んにされていますし、国民は未だに、良くなることを少しは期待していますが、「期待しているような回復はもう望めませんし、望まないほうが良いでしょう」と名医だったら言うはずです。今の最悪の状況
においてあわてず、うろたえず、養生するしかないのです。大病人の老人に「ジョギングやれの水泳やれの」というようなことと同じことを、性懲りもなくやっているのが今の日本なのです。結果は更に悪化するだけです。金が紙切れになるうちは、まだよいかもしれません。更に舵取りを誤れば、とんでもない状況にもなりかねません。
      地球環境が急速に汚染されています。しかし人類は手をこまねいているだけで、抜本的な対策をとらないし、とれないでいます。同様に、経済や教育、福祉等の問題も悪化することはあっても改善されることは望める状況ではないようです。このように、物事はある限界を超えると、良くするためにやっていることが結果的に悪くなってしまうという「大矛盾問題」という厄介な副作用が加速度的に発生するものなのです。
      今私が憂うことは、良くしようとする個人の意志とは無関係に、「日本国民一億愚民」と化しつつあることです。そして愚民的体質が断ち切れずに、確実に次世代に引き継がれようとしていることです。
      銀行の不良債権が問題になっていますが、これ以外に国も地方も政府系機関も膨大な不良資産・不良債権を抱えているのです。日々、お金が紙切れとなって行ってるのです。昔、日本沈没という小説や映画が脚光を浴びた時期がありましたが、地震大国日本は、実際に地震で沈没する危険以外に経済や教育、福祉の面でも沈没の危機
が迫っているようです。今日本がなすべきことは、物的・精神的な不良債権という過去の負の遺産を思い切り捨て去ることです。過去の栄光・過度の豊かさ・便利さ・快楽追求を少しでも切り捨てることなのではないでしょうか?どうも金の亡者日本はついに肝心要の精神まで失いかけているようです。

健康・便利・快適・豊かさは、世の中を確実に蝕んでいる。もう元には戻らない。馬鹿な政治家がやればやるほど事態は益々加速度的に悪くなるだけ

昔と現代と較べると、非常に健康・便利・快適・豊かになっています。しかし本当に、現代は豊かになっているのでしょうか?皆様も時々そういうことを疑問に感じられるでしょう。例えば、事故が沢山起きると、安全対策と称して、いろいろと事故の起きない算段をします。再発防止ですから結構な話なのですが、一方で人々は、安全な世界に慣れてしまい、それが当たり前になって、危険というものの認識が極めて甘くなってしまいます。「暑さ過ぎれば、暑さ忘れる」「喉元過ぎれば、熱さ忘れる」「災害は、忘れた頃にやって来る」という諺が示すように、危機意識がなくなった頃に、かえって大きな危機によって大きな事故に遭遇してしまうのです。物事左様に、良かれと思ってやっていることが、結果的に人間により大きな害を及ぼし、人類の衰退や破滅にまで行くようになってしまうのです。「世の中が進歩する」ということは、「人類の免疫力・対抗力を弱める」ことになってしまうのです。抗生物質多用によって、益々厄介な病原菌が生まれてしまうことと同じなのです。
      最近の子供は刃物も使えません、危険な遊びもしません、よその小父さんとも遊びません、あまり外に出ず、家でゲームをやっています。そういうことは、我々が必要に迫られて、必然的にやって来たことなのですが、その結果子供は元気なく、危険を犯さず、努力もしなくなって意欲のない子ばかりになってしまったのです。むしろ危険な状況は、ある程度放置しておいたほうが結果的には良いのです。ところが、事故が起きるとマスコミも親どもも大騒ぎします。そうすると金にまかせて、「これも危ない、あれも危ない」と安全な無菌室みたいな環境を次々に作り出してしまうのです。安全にはなりますが、子供は物凄い勢いで無力化していきます。
      こんな話を聞きます。田舎の子のほうが、かえって体力も弱くなっているということです。田舎の子は、どこに行くのも自動車で、それ以外は家の中でテレビにゲーム三昧らしいのです。安易な考えや行動が蔓延し、ついには、人類が滅ぶことにもつながっていくのです。進歩というのは、諸刃の剣なのです。物事は、ほどほどやバランス維持が大切です。学校破壊・教室破壊で、子供達が無気力化・我まま化するという恐ろしい時代になっているらしいのです。何をやっても改善されるどころか、政治家や文部省が下手な事を、やればやるほど、かえって事態は悪化して行くように思います。というのは、一方で社会は恐ろしいほど、更に便利・豊か・快適・豊かになっていくのですから。人を怠惰で臆病で横柄なものにして行くのです。
      今の最悪の経済状況も同様で、一方で凄い金をつぎ込んでも、もう直せる力が失せているのですから、事態が良くはなることはありません。現状維持さえ困難なおぞましい時代になっているのです。我々は、そういう社会にしてしまったのです。その上、利権の代表者であり・無能な政治家どもが、次から次に「あいつは駄目だ、私だったら、良くすることができる」なんて言い出すものですから、益々事態は悪化するばかりなのです。むしろ現代に、必要なことは、こういう恵まれすぎた社会を一度ご破算にして、捨て去る勇気こそが求められているのです。現代の問題解決は、極めて厄介なのです。今の恵まれた状況を誰が喜んで捨てるものですか。事態は益々悪化して当然なのです。絶対に普通の人が考えるようなことをいくらやってもよくなりません。神様は「いい加減にしなさいよ」と言われているのですから「もっとがんばりなさい」なんて言ってはいないのですよ。「脚下を看よ」子供だけでなく、豊かで便利な世の中に暮らす自分自身のことを考えてみても、随分と弱体化・無力化していますよね。
      自分だけでも、原点に帰りましょう。どうしてもうこれ以上の健康・便利・快適・豊かさが必要なのですか?やればやるほど、人は益々無力化する。頑張れば頑張るほど益々世の中が悪くなりますよ。経済問題でも、何か新たにやることばかり考えますが、猛反省の上にたって、無用なことや行き過ぎたことを止めようという発想がないのですから良くなるわけがありません。

まだまだ無駄が多い。「全てが無駄」「賃金水準が低いからではなく、ムダが多いから中国に負けるのだ」に気づけ。

大手企業が未だに赤字や低い収益で苦しんでいます。やっとのことで、人員削減や組織改革を始めたらしいのですが、過去に取り込んだ多くのムダが放置されています。なんでそんなに多くのムダがそのまま居座っているのか信じられません。多分、大企業の使っている物差しが違うのでしょう。私達が、当然ムダと考えることが無駄と認識できていないのです。というよりも、あまりにムダが多過ぎるために、選り好みしているのでしょうか?私には、「あれもこれも皆捨ててしまえ」と言いたいものばかりです。なぜ後生大事に抱え込んでいるのでしょうか?癌が全身に廻ってし
まった患者みたいな状況なのです。そしてムダを排除するのに、またまた小難しい手法や推進組織やセミナーなどにこだわるのです。大号令をかけて、もっと自由闊達に一人一人がどんどんムダを除去していけばよいのですが。豊臣秀吉みたいな人間が沢山出てくるようにしないといけません。
      ムダをとるのにも、きちんとレールを敷き、いちいち上司や幹部の意見を確認しながらやっているように思えるのです。そうでなければ、あんなにムダが平然と放置されているわけがないのです。多分「ムダ」と思っているのでしょうが、こんなムダを省くのは、俺の仕事ではないと思ってしまってるはずです。先日もテレビで大手企業が現場の効率化をやっている場面を見ましたが、何かというと、会社が手厚くいろいろお膳立てをしてくれるのです。コンサルタントの言うことを、おろおろしながら、そのまま鵜呑みにしてやっているのです。「こうやれ、こうすればこうなるはずだ」もっと各自自由にやらせれば良いのです。何かというと全社、同じにやろうとする、同じことをやらせるという風潮自身がいかにも大企業的なのです。何故か、多くのいい歳の人がごそごそ集まって悠長にセミナーや会議や会合なんかをやっているのです。従って、相変わらず、もたもたし・動きが遅いものでした。またもう一つびっくりしたのは、高齢者が多いことです。そういう高給とりが昼間にセミナーなんかで教えてもらっている。「そんなこと、長年企業で働いているプロだったら自宅で自分で勉強し、自分で工夫しろよ」と言いたくなります。そして現場でも相変わらず、やらせる人とやらされる人みたいな関係で仕事をしているような雰囲気が漂っているのです。大企業は未だにまだ大きな勘違いをしたままのようです。もっともそう簡単に、しつこい長年の垢は落ちないものではありますが。

      ムダ取りで大切なことは、@トップのやる気だA手法より熱意だBスピードが
大事(中国や他社との100m競争だ)C部分的でなく聖域なく全てやることだ

      トップが陣頭指揮にたって、強い方針、目標や指示を出すことが必要ですが、それよりも、もっと一人一人が、猛烈な勢いで、目の色変えて、ムダ排除をすることが大切です。ブルドーザーを思い出して下さい。夕方「あーしんどい、ムダ取りで今日もヘトヘトに疲れた。」「それにしても今日も、よくぞこんなに多くのムダ取りをしたもんだ」ちょうどゴミ屋敷のうず高いごみの山を必死に片付けたようなものです。そういうしんどさがないとムダの山は、無くなりません。なにしろ全てがムダなのです。またのろのろやっていると効果が出ても実際の効果としては、現状維持にしかなりません。大事なことはムダ取りのスピードです。ですから小出しにせず、思い切って新しい設備や製造方式などを導入することも大事です。今生産販売している製品自体が仕事自体が従業員自体が何から何まで全て、ムダなのですよ。
      「何がムダですか?」という質問に対して、貴方は頭をかしげて考え込んでいませんか?→正解:「全部が無駄です」。いいですか、思い切って「ムダをばっさり切る」「現状を180°も360°も520°もどんどん変える」のですよ。「中国の賃金水準が低いから、日本企業は負けるのが当然」とういのは完全な間違いなのですよ。ところが大半の大企業の社員はこんな簡単な間違い・大きな感違いをしているのです。「中国に負けるのは、ムダが多いからだ」ということに是非に気づいて下さい。

死ぬ時は、かくありたい
今年60歳になりますと、だんだんと、事あるごとに、いよいよあの世が近づいて来たような気がして来ますね。
      人生あと少しとなると、人間は少し、そわそわし出して、あれこれ考え始めるものですね。若い頃は、「死」などというものは、無縁のように思っていたのですが、試験が明日に迫って来るようなもので、「死ぬ時どうなるか?どうしよう?」「あとの人生をどう生きようか?」などと考えるようになって来るものですね。そこで私なりに、死に際して、残った子供達に、親である私のことを、どう言って欲しいかと考えてみました。そこで思いついたことが、

      「お父さんは、尊敬すべき、かつ愛すべき人であった」「しっかりしていたが優しく明るく元気だった」などという言葉でした。

      偉い人の場合ですと「惜しい人を亡くした」とか「二度とあんな偉大な人は現れない」とかになるのでしょうか?それに比べ私の場合は、なんとも平凡ではありますが、一般人にとっては、それでよいと思います。子供にはむしろ社会的に立派だった等ということは言って欲しくないというのが私の思いです。むしろ子供達の親としてどうであったかということが気になります。
      神様に「さあ貴方はそろそろ、あの世に行きますよ」と言われる間際に「すみませんでした、悔いの残る人生でした」とは言いたくありませんし、少なくとも子供達には「やれやれ父も死んだなー」などと言われてしまっては、なんとも情けない人生だとは思いませんか?自分自身も「良い人生でした、本当にありがとうございました」と言って静かに手をあわせて永遠の眠りにつきたいものです。
      @精一杯、一生懸命生きた     A自力でがんばっていた    Bつらさにも耐えていた
      C困難に遭遇しても、前向きに努力した  D泣き言を言わなかった  Eいつも明るかった
      Fきちんと生活していた     G悪いことはしなかった     H人に迷惑をかけなかった
      I元気だった     J人を愛し人に好かれた      K世の中に貢献した仕事をやった

      などというようなことを含めて、「お父さんは、尊敬すべき、かつ愛すべき人であった」「強いが優しかった」と言われたい又は思って欲しいものだと思いました。そういう意味であと残された20年〜30年を過去の反省をし、子孫に有益なものを残し、ゆったり、真面目に、元気で明るく過そうと思います。
イラク問題で日本は態度をはっきりさせられないし、はっきりしないほうが良い。今の日本は金も力もないのです
イラク問題や北朝鮮問題については、日本の態度がはっきりしないとか二枚舌だとか騒いでいますが、日本のマスコミというのは、政治家のちょっとした発言など、枝葉末節なことを膨らませて面白おかしくする報道や議論が多いので閉口しますね。イラク紛争には、今あまり日本が深入りしないほうが良いと思いませんか?なにしろ日本国内自身が問題だらけなのですから、そういう意味から考えると、私がもし総理大臣であったとしても、同様な選択「平和を基本とし、国連決議を優先し、アメリカにもある程度強調するしかない」をすると思います。民主党の菅さんという私の
後輩も、もう少し与党的などっしりした態度や発言をしないと、昔の社会党のような安物の薄っぺらで下品な感じでは困りますね。民主党を応援しているのですが、どうも党首に恵まれていないようですね。北朝鮮に対しても、いかに相手が悪かろうと、あまり相手を刺激するのはいかがなものかと思います。日本も、拉致問題以後、急に北朝鮮をいじめにかかっているのは、非力なのに、怖い暴力団の兄さんに素手でかかって行くようになっていませんか?そんなことをしても相手に見くびられるだけです。
      暴力団は、警察によって逮捕も可能ですが、北朝鮮はそう簡単にはいきませんからね。下手すれば日本人の多くの命を落とすことにもなりかねません。人質・拉致事件は重要ですが、それを引き換えに日本に細菌を播かれたり、ミサイルを打ち込まれるのはご免です。そんなもの播かれても今の日本は戦争できないのですから、アメリカのようには防ぐ手立てはありませんよ。いかに平和に問題を解決していくかという従来の路線を独自に維持し確立すべきではないでしょうか?難しいことではありますが、日本という国には、なんとかできるような気がしているのですが?「日本の常識は世界の非常識路線」は、一見最悪のようで、使い方次第では案外、素晴らしい一
面もあると思っているのですが?戦争や防衛強化のように対立の図式で解決するというのは一見確実で、格好良く見えますが、ここは、日本流又は、和の精神を発揮し、のらりくらり相手と協議し妥協していく「太陽政策」のほうが危険が少ないのではないかと思うのですが?
      即ち、今あせって、あまりはっきりしたことや独自の見解を言わないほうが良いと思います。日本は唯一、平和国家ですから、どちらかに賛成というような態度を軽々しく口にすると、平和の維持さえ困難な事態になるのではないでしょうか?その以前に、世界から何の尊敬も得られていない最近の日本が元の力を取りもどすことのほうが大事なのではありませんか?所詮日本は、技術や経済で貢献する又は指導力を持ち、平和的に世界と付き合うしかないのですから。そういうことで発言権を回復しないで、ずるずると更に紛争の当事者に巻き込まれ、もう一つお荷物を抱えるのはいかがなものかと考えます。なにしろ紛争どころでない大病人なのですから、病人の口を出す時期ではないので、「お前さんは戦争のことより、早く自分自身の元気を回復しなよ」「それこそ今、日本がやることなんだよ」「紛争のことは任しておきな」なんて言われそうですね。
      つまらん意見を申し上げてすみません。まあいろいろな意見があっても良いと思います。
マンションも企業も、管理で買えNo. :196
「マンションは管理で買え」と言います。何故ならばマンションは、通常一生住むことを前提に買うはずだからです。85歳まで生きるとして30歳で買えば、55年は維持されないといけないわけです。買う時で、良い状態であること以上に、55年きちんと持つかが重大な条件なのです。55年もたすには当然きちんと管理されることが必要になるわけです。私の京都伏見の事務所は、京都でも最も古いマンションの一つですが、管理が良いために未だにきちんと機能・性能・外観が保たれています。もう30年経過していますから、あと25年もてば無事任務完了ということであり、立派な管理状態なわけです。水道も排水管も外観も床も購入した当時と同じくらいに維持されています。280戸なので、大きさも適当であるとともに財源も豊富なことや委員の方々が熱心なことがその根拠でしょう。
      皆さんがマンションを購入するために下見に行く場合、往々にして、目の前のマンションや部屋そのものに目を奪われてしまいます。管理に目が向かないのです。
結婚でも同じことが言えます。高学歴・背が高い・給与が高い・顔形・感じの良さ等に目を奪われ、お相手と50年も60年も一緒に仲良く暮らすことなど眼中にないのです。そして「こんなはずじゃなかった」と失敗のあげく、あっさり離婚してしまうのです。離婚しなくても、一生、不幸な結婚生活を耐え忍ぶだけになってしまうのです。
      さて、戸数が少ないマンションや不便な場所のマンションでは、その内十分な資金がなく改修が遅れ遅れになってスラム化してしまうものです。一度スラム化すると一挙に進行し、ついに資産価値どころか、住むのにも困難が伴うことにもなってしまうのです。逆に何年経っても良い状態が保たれると、人に貸すにも売るにも有利ですし、もちろん住むのに快適な状況が維持されるのです。
      さて企業も、入社した時に優良企業でも55年そういう状況が維持できるとは限りません。バブル以降急速に赤字や倒産に追い込まれた大手企業が多いことが何よりの証拠です。企業というものも、概してあまり管理の重要性を感じないものなのですが、困難な状況になると、管理の良し悪しは大きく効いて来ます。世の中に、日常、あまり必要性を感じないが、いざとなると重要なものが沢山あるのです。管理は企業にとって、いざと言う時に物を言うのです。営業力だけや技術力だけで、いつもうまく苦境を乗り越えられるかというと、そんな生易しいものではありません。国の危機管理をはじめ各種の管理の必要性が叫ばれているのと同様です。ひと昔前は、政治というのは、なんとなく政治をしていれば良かったのですが、結果はご覧のような有様です。家庭でも管理の重要性が再認識されています。野球などのスポーツでも、大分以前から管理の重大性が叫ばれていますね。良い選手をとり、練習し、高い報酬を払ってさえいれば、勝てる時代は終わったのです。
      さて当然、企業経営にとっては、経営(マネジメント)や管理は基本です。
「管理の良い会社ですね」「管理の行き届いた家庭ですね」「貴方はきちんと管理していますね」と言われるようにして下さい。私がまだ大学生の頃、会社を選んだ根拠というのは外見だけでした。そのおかげで、3度も転職しましたが、やはり企業もマンション同様に、管理の良さを十分調査・確認しておくことが大切だと実感しています。その会社に勤務している先輩から経営や管理状況を確認することがなによりも大切です。結婚する場合、お相手の家や両親を見ておいたり、相手の方の友人に確認しておくことが良いと言われますが、そのとおりだと思います。その家の管理レベルからお相手の結婚後の姿がわかりますからね。管理レベルが低いと判断される場合は、要注意です。多分お相手は、確実にすごくだらしないはずです。       銀行や保険会社やその他多くの会社を選ぶ場合に、「大きい会社だから」「有名だから」ということだけで貴方は決めていませんか?
もういい加減にしてくれ!国民一億「今年は更に金使わないぞー」宣言
もう日本は、どう逆立ちしても簡単かつ早急には、良くなりそうもないですね。でも日本は、よろよろはしているけれど、まだ寝たきり老人状態にはなっていません。医療費の3割負担や、生命保険の予定利率の引き下げ、酒等の増税、勤務先の倒産、昇給停止、減給、病気の不安、介護者をかかえ、・・・・「今のうちに自己防衛しておこう」というのが、今年、多くの日本人が当然考えることになるのでしょうか?健康保険や医療保険や税金や光熱費、通信費等の固定的な部分は、すでに対策済んでおられるでしょうが、その他の生活費で、贅沢な部分は半分以下に押さえないとやっていけませんよね。あくまで例にしか過ぎませんが、例えば変動部分合計420万円を294万円(月約24万円)に抑えるとしますと、次のようになります。
      ・昨年→光熱費:15通信費15住居費20医療費10食費200消耗品40家具等30交通費20雑費50交際20万円合計420万円を       ・今年→光熱費:12通信費8住居費20医療費10食費170消耗品20家具等10交通費10雑費24交際10万円合計294万円に
      この例では、30%の削減です。企業も経費削減して必死にデフレスパイラルに対応しているのですから、もはや甘く、金を使うのは止めないと、個人もやっていけません。もういくらなんでも、甘いことを期待できる状況ではなくなって来ました。私自身も今年は、意を決して、更なる節約質素な生活に努めようと考えています。俳句:「これからも、いつまで続く、質素な生活」、しかし考えようによっては、それって本来正解かもしれませんね。
      そのために今年のスローガンは、次のようなものになりはしませんか?
      @贅沢を一切排除
      A物中心から心やゆとり中心
      B衝動買いをしない
      C毎月引き落とし以外の必要費用例えば21万円を現金で準備しその範囲内で使う
      Dあまった金額は貯金箱に入れる
      そこで皆様、是非金を使わずに楽しむことを大いに工夫しませんか?4月以降は、是非、山にでも行って、山菜や魚をとったり、野良仕事やボケーとうまい空気や涼しさや緑や小川のせせらぎや鳥の声に親しみ、田舎の人達とハイキングや交流を楽しんだりなんかしたらいかがでしょうか?金はなくとも、明るくいきましょう。ところでいつから、世界一だったはずの日本人がこんなことを真剣に考えるようになったのでしょうね?不思議といえば不思議ですね。
役立たない政治家や役人に、なぜ大枚の金を払っているのか?不思議な国だ、即刻リストラしたいのは彼奴らだ
おーい、あの国会とかいう立派な御殿で、大金をもらい、朝から晩まで役立たん無意味な餓鬼の喧嘩や居眠りをやっているあの馬鹿野郎ども、あれら一体何故、金バッチなんかつけて、立派な自動車に乗って、秘書や警護をつけて威張っていやがるんだ?あんな奴らに俺らの財産や安全をまかせているのがどう考えても理解できねー。だってあいつらここ20年くらい、ろくなことやっていないぜー。そして今後もまだ俺らに悪さをし続けようって言うのに、俺らの資産を激減させ、多額の借金を残し、仕事を奪い、会社をつぶし、自分達だけは甘い汁を吸い続ている、その上に、税金や保険や医療費の負担を増やし、給与や年金を減らしやがった。なんでそれでも、おめーら文句の一つも言わずに、そんな奴らをわざわざ雇い、金払っているんだねー?普通の会社だったら即刻、首だぜ。おかしな国だねー。北朝鮮も信じられないが、日本も同じくらい信じられない国だぜー。泥棒に金とられて、その上に、財布を預けているようなものでねーの?今度の選挙でも、自民党のあの馬鹿野郎どもを当選させるようだったら、国民も馬鹿野郎だ。もうこの国もおしまいだね。もう、そろそろ政治自身を根本から変革をしないと、これがラストチャンスになりかねないぜ。どうも最近、ぼやくことが多くていけねー。一体なんでこんなにひどくなっているのに、金縛りみたいに、どうもならんのか不思議だねー。おーい今度の選挙は、必ず投票所に行き、真面目に真剣に投票しような。大袈裟に言えば、ひょっとして、北朝鮮なんかより先に行ってしまうぜ。そのくらいの悲壮感を持たんといけないのではないかなー?
企業にも活火山・休火山・死火山がある

私は昔、大学卒業後、大阪の有名な大手家電メーカーA社に勤めていました。
まだ転職が珍しい当時、私が10年して退職に踏み切った理由は、主に次の3つです。
      @組織がピラミッド式のために、自分の意志や創意で仕事がダイナミックにできない。係長・課長・部長・事業部長と何段階も上がって初めて承認されてやっと仕事が動く、遅く・がちがちしている。反面、日常の経営層との直接のコミュニケーションが全くない
      A仕事が面白くない。仕事をやるのに、恐ろしく手間がかかる。結果的に一つの仕事を完遂させるのに凄い時間がかかる
      B事業が他社の物真似であり、その上、競争も厳しいために、利益が横ばいから下げに転じていた
      そして総合的に私が判断したのは、この会社自身も自分自身も、このままでは、成長性がないと考えたからです。しかし親・兄弟・友人には、皆から「アホなやっちゃ」というふうに言われてしまいました。その後職を何回かやり、私は自分の判断の正しさを強く認識するようになりました。2度目の京都の零細企業B社でも随分貴重な体験をし、会社の業績を短期間で大幅に向上させることができ、自分自身の独自の意思・判断・行動・血と汗によって、会社が自分の力で変わって行く実感を味わえたことが最も大きな成果でした。その後京都の半導体のローム株式会社C社に入り更に同様な体験をすることができ、かつ日本一の番付の会社になったことが、何にも増して幸福なことでした。大手企業A社は、休火山から死火山に入る頃であり、2番目の零細企業B社は、死火山から活火山に変わり、3番目のC社にいたっては、生まれて間もない火山が活火山になって大噴火していったのです。
      A社では、私が入社する以前は、町工場に毛が生える程度の会社であったらしいのです。従業員の主流は、中学卒や高校卒だったらしいのです。ところでそういう人達というのは、私の目から見ても大卒とは比らべられないほど優秀かつ有能でした。しかしA社も急拡大する中で、有名大学の大卒が沢山入社して来たのです。そしてそういう人が松下生え抜きの優秀・有能な人達の上に立ち、苦労知らずで頭でっかちの大卒従業員の割合が多くなるにつれ、A社は、文字通り、急速に大企業になり、一見成長しているようで、実際にはみるみる活力が失われて行ったのです。私にも直感的にそういうことが理解できました。
      C社は違いました。有名大学の人は、極めて少ないのですが、私の印象ではA社の中卒や高卒の有能社員のような仕事ぶりなのです。仕事は速く・てきぱきしており・謙虚で・働きもの、多くのトラブルも平然と処理していく。企業というものは、有名大学や頭の良い人が伸ばすのでなく、創業時代に昼夜を分かたず苦労をともにした連中こそが、企業を伸ばすのだと実感しました。そうこうするうちに、入社当初業界ビリケツのC社は、なんと日本一になり、今だに30%近い驚異的な経常利益率を上げているのです。
      京都には、以前からベンチャーで凄い厳しい会社D社がありました。その会社は、高い成長と、高い利益率を確保していました。その社員の厳しさというのは、京都だけでなく全国にとどろいていたのです。しかし最近、著名なそのオーナーが社長を退き創業期に苦労をともにした子飼いの社員達も高齢化し、事業分野の拡大・売り上げの増大にともない、さすがのD社もA社のような様相を呈して来たらしいのです。
まだかなりの利益をあげてはいますが、利益率は横ばいから下降ぎみになっていることが、それを物語っているようにも思えます。「奢れるものも久しからず」ということなのでしょう。そろそろ死火山かな?休火山かな?
      企業を常に創業当初の状態に維持するということがない限り、どの企業も休火山から死火山の道を確実に歩んで行きます。単なる大企業病でなく、火山同様にマグマだまりが減少していくのです。言いかえれば、ハングリー精神・初心・闘争心というか、山の天辺から溶岩を噴出すだけのマグマがだんだん枯渇していくのです。ベンチャー魂・創業精神をいかに持続するか、そのためには、つねに創業時のような高いハードルを設定し、チャレンジさせることを怠ってはいけません。
      またある意味では、創業当初の人を早めに、リターアーさせる早く引き継いで行くことも大事なのです。若い人に早め、早めに仕事をまかせていく仕組みが必要です。創業当初の人と苦労知らずの人間の混在は、あまり長くなると、一見良いようで多くの弊害を生むものなのです。手取り足取り、何かあれば助けてやるという親心が仇になるのです。またあまりに凄い会社で、「ものすごい勢いで、厳しく仕事をやってばかりいる」という創業期の企業にありがちな無理な頑張りだけでも、かえってそれが仇になることがあります。従業員一人一人が、自らを厳しい環境にさらし、自ら創意・工夫・努力して常に創業者のような感覚で一人立ちさせていくことが大切です。常に、同業他社が考えないような新製品や新サービス、新管理方式を厳しく開発していかないといけません。忙しいからとか、会社が大きくなったからとかで、手綱を緩めたり、放置しておいてはいけません。創業期のごたごたした時期は、むしろ良いのです、成長期へそして安定期に入る頃早めに、いかに創業精神を維持する仕組みを導入するかがポイントになります。この対応が遅れるをもう手遅れで死火山の道を確実に歩むことになります。三代目は家業をつぶすものなのです。こういう思いが、A社〜C社、更には、経営コンサルタントで多くの企業様とお付き合い戴いている私の実感です。

積極的妥協のすすめ
最近私は、世界や日本国内の数々の混乱を見るにつけ、聖徳太子が「和をもって尊しとなす」ということが、すごく気になってしかたないのです。昔学校で習ったように、格別偉い方だったということですが、現代になってまたまた存在感が出て来るのではないでしょうか。今世界は、新しいというか根元的な指導原理を待ち望んでいるように思います。しかし現代には、そういう指導原理を打ち出せる立派な人は出現しそうにありませんから、太古の偉い人に学ぶのが手っ取り早いように思います。
余談ですが、母も兄弟も「和」の一字が入っているのも何かの因縁でしょうか?(村上和隆)
      幸いなことに日本には、聖徳太子という偉大な先人がおられるのです。またそ
の背景に仏教というもう一つの普遍的な根本原理があるようです。私も詳しいことはわかりませんが、21世紀にこそ欲しいような原理原則を果敢に実行されているように思っています。和ということは少し馴染みにくいので、私流にもっと下世話な「妥協」という言葉で自分なりに自己の生活や生き方を戒める今日この頃です。格好良く言えばそれが「和をもって尊しとなす」なのですが長いし、言い難いので妥協という言葉を敢えて使うことをお許し下さい。妥協という言葉のほうが私は好きです。
      「人間は安易に妥協をしてはいけない」などと言う知識人が沢山おられますが、はたして、人間ってそんなに偉いものなのでしょうか?地震でも自然災害でも一度起きれば、妥協せざるを得ないのですし、作物を作るのも、自然の多くの恵みを享受できるのも、自然の意志に妥協することしかないのではありますまいか?否、人間は、自然の意志を発見するまで、ひたすら一生懸命に工夫・努力するしかないのです。自然の前には人間なんて虫けらかゴミみたいなものに過ぎません。「自然は言うことを聴かない奴だ、いいか私は絶対に妥協しないぞ、俺の言う通りに従え」と言ったところで絶対人間の思うようになるわけがありません。自然には文句は言えず、ひれ伏すだけで、妥協するしかないのです。
      ところが人間同士、国同士になると「やれ俺が正しい、俺の言うことに従え、俺の言うことを聞かない奴はただじゃおかない」と横暴・凶暴になってしまい、妥協(和を尊ぶ)を忘れてしまうのです。日本は、イラクの問題でも優柔不断ですが、むしろそういう生き方のほうが本来は正しいのだと思います。簡単に制裁を加えるなんて、奢り以外の何物でもありません。もっとお互いに真剣に妥協すべきです。相手が自然であれば、どんなひどい仕打ちを受けても、自分のほうで合わすでしょう。人や国に対しても、そういう心の半分でも持つことが和の精神だ思います。しかし今は欧米主体の闘争的な原理が支配していますから、日本は蚊帳の外におかれています。そして日本はかつて、食文化を欧米化して失敗したように、和を尊ぶ姿勢から戦い重視の姿勢転換の芽が出つつあります。これは誠に残念ですし、和の国として阻止しないと、大袈裟に言うと、世界が滅ぶことにもなりかねません。原爆や都市の大空襲を体
験した国民として是非、再度の本格的軍国化だけは思いとどまって欲しいものです。
      あれだけ毛嫌いされた寿司や豆腐や納豆など日本の伝統的食文化が、世界に一挙に広まったように、日本の精神文化もそのうち見直され、注目を浴びることがきっと来るはずです。「和をもって尊しとなす」という張り紙をして世界のトラブルを処理すべきところを、「争いをもってねじ伏せる、問題解決する」という張り紙をして議論が進んでいるのです。最近はそれが正しいというようになっています。というのは圧倒的な力持っているアメリカがそういう流儀を振りかざしているからです。世界はそのアメリカのやり方を苦々しく思っているのですが。
      「朱(人)に交われば、赤(傲慢)になる」「自然に交われば無垢(謙虚)になる」人に交わるのが運命ですからしょっちゅう喧嘩するのは避けて通れないのですが、是非もっと自然と交わって謙虚な自分を取り戻し、積極的な妥協を学んで下さい。
      「積極的妥協」こそ、言い変えれば聖徳太子の「和をもって尊しとなす」が21世紀の指導原理でなくてはならないのです。日本は、否日本国がしないのであれば、聖徳太子という偉大な先人を持つ民族の一人として「積極的妥協」ということを、もっと実行して行こうと思う今日この頃です。自分や利己的なものを殺す・捨てることこそがまず第一歩です。一回でも力づくでやれば、更なる力づくでというようにスパイラル現象が起きますよ。貴方がもし力づくで従わされたとして、それで満足しますか?
      多分貴方は仕返し・報復を考えるか下手すると実行されるはずです。逆の場合には、貴方は、満足するどころか、相手に何かしてあげたいと思うはずです。当然のことなのですが、当然のことができない、おかしな「豊かな時代」なのです。なにかが狂っているのです。というか人間は、進歩したと言っても、まだまだそんな次元の低い程度の生き物でしかないのでしょう。人間は尊大になってはいけないのです。自然に対する如く、謙虚で・素直でなくてはいけないのではないでしょうか?日本人が、そういうことを本当に理解した上で、謙虚に、いつも頭を下げ、手を合わせ、ありがたい、よろしくお願いします、粗末なものですが、おはずかしい次第です、すみません、頑張って下さい等ということを日常言い交わすのが大好きであり、誇りです。
指示待ち(仕事待ち)失業者の皆さん、もっと自分で仕事を作り、起業をしませんか?
失業者が町に溢れています。私も過去自分の意志で5回転職していますから、今でも、時々懐かしく、職安に行くのです。随分様がわりしていています。昔私達が職安に通っていた頃には、人数は少なく、どちらかというとおじさんやおばちゃんや兄ちゃんみたいな人が多く、大企業出身者やホワイトカラーは、かなり少なかったのです。ところが最近は、職安は沢山の雑多な人で玄関まで溢れています。ホワイトカラーの人や年齢性別も雑多になっています。「皆で行こう職業安定所」「今日も行こう職業安定所」というような状況です。
      そこで思うのですが、多分、うまみのある仕事は見つかりません。特別な能力や資格を持たない人や40歳以上の人にとっては、格別厳しいものです。なにしろ、企業自身が失業者同様に又はそれ以上に青息吐息なのですから。むしろ「まだまだやるよリストラと賃下げ」状態なのですから。そこで自分又は自分達で仕事をやったら良いのですよ。資金やノウハウは高齢者が出し、力仕事は若い人にで、何人かで起業したほうが早道であり、結果も良いはずです。「皆で行こう職業安定所」でなく「皆で考えよう新たな仕事」「皆でやろう新規事業」なのです。そういう時代になったのです。今、世の中は従来なかったような新しいサービスを要求しています。そういうことを仕事にして行けば良いのです。ごろごろ、そういうネタはあります。会社でも指示待ちのサラリーマンが最近増えています。求職についても「何か仕事がないかな?」でなく「自分で仕事を作ろう」なのです。「ドウ・イット・ユアセルフ」の時代なのです。何カ月も職安で仕事を探しているのは無駄です。むしろそういう新規事業の企画書を持参した上で会社訪問し、雇ってもらうくらいの迫力や能力がないといけません。指示待ち族のような人が雇ってもらえる時代は終わりました。「こういうことができます」「誰にも負けないこういう能力を持っています」「こういう企画があります」「こういうようにして会社を良くしたいと思います」みたいなことが必要な時代なのです。そうでないと、もし幸いに雇ってもらっても長続きしませんよ。
     新規事業をやって思うことは、早く参入した者が勝つことです。是非早急に新規事業を考えて行動に移すことをお勧めします。だけど、沢山の資金を最初から無駄に使うのは危険ですよ。また3〜5年くらいは地道に工夫し、努力しないといけませんよ。また安易な方策ややり方は失敗しますよ。
人は考える葦なのだが、考えるとは諸刃の剣、現代人は「下手な考え肥満症」になっている

パスカルさんだったでしょうか、「人は考える葦」だと言われたそうです、確かに「そうだなー」起きている間中、ひっきりなしに考えていますね。多分動物も考えているんでしょうが、人間ほど考えてはいないでしょうね。特に喜怒哀楽なんてのはそれほど深くないでしょうね。なにしろ、良かれ悪しかれ、人間のコンピューターはフル稼動なのです。一説によると頭(コンピューター)をフルに使う人の方がぼけないということらしいのです。
      「一方で下手な考え休むに似たり」とも言います。地球環境問題やあれこれ困難な問題は、人間がやらんでもよいことを次々に考え、実行した結果らしいのです。
役所が次々に箱物を作り、沢山の事務員を天下りさせ、お客が来なくても赤字を垂れ流し我関せず、ついに1件:何百億円という巨大な建物を取り壊し、残ったのは膨大な借金だけということは、葦が下手な考えをした悲しむべき結果なのです。最近、特に自民党の利権体質の政治家は、下手に考えず、家で寝ていてくれたほうが国民にとって、幸せだという状況を国民全員が感じている始末なのです。このように考える葦は一歩間違えるととんでもないことをしでかすのです。考えるとは諸刃の剣。
      最近思うのですが、人間は21世紀少し考えることを止めませんか?それより過去の反省・清算をし、金や物の無駄使いを止め、基本にもどることが必要に思うのです。要するに人間が自分達は有益なことを考えているという、「謙虚さを忘れた、うぬぼれや傲慢さ」が世界をますます悪化させているのです。山登りでも、峠の茶屋で饅頭とお茶を飲みゆっくり疲れをとることが必要なようにたまには休むことが大切です。考え過ぎています。
      こんなに豊かでゆとりのある時代なのですから、人は、「ほどほどにゆったり考える葦」へと成長したいものです。「まあゆっくりなされ、まず粗茶など一杯」「あおよ、ドウー・ドウー」ということですね。

いろいろな会社で支援をして感じること、自社の体質・風土・タイプは?

私は5回転職していますから大〜中〜零細企業までを体験しています。また最近は、仕事がら沢山の会社を訪問し、直接ご支援をさせて戴いています。そこで感じることは、規模による差は当然ですが、業種によるレベル差が明確に存在することです。当然と言えば当然ですが、かなり有能な経営コンサルタントでもこの厚い壁(特に悪性の壁)は容易につき崩すことはできないほどです。それぞれの体質が長年染みついているのですから。赤に染まった布を白に変えるようなしんどさがあります。経営コンサルタントが、もし、そういう会社を白に染められたとしたら経営コンサルタント自身も立派ですが、それ以上にそういう変革ができる企業の経営者や社員は立派です。
      私は電子部品という業種に、長いことおりましたから、技術力、製造技術力、経営管理力、全てにわたって技術者的なはりつめた雰囲気が満ちていました。技術革新は日進月歩、顧客の品質・納期・コスト・サービス等の要求は非常に厳しい業界です。その結果、仕事も複雑・高度・ダイナミックでかなり大変です。そして最近では、トヨタ方式などの更に厳しい管理手法を導入し、高度な経営管理も当然のようにやられるようになっています。人事面でも給与は低く、仕事はきつく、人事移動や降格・昇格も頻繁で、会議やお喋りなどで油を売り、うかうかしている暇はありません。自動車や械等も同様な業界でしょうから、しんどさも同じ程度と想像します。一方それ以外の業種の多くの企業様を訪問すると、かなり甘い感じがします。もちろん別の面で大変なこともあるのでしょうが、やはり精密で高機能・高性能の部品や装置を短い納期で、しかも高品質で、厳しいコストで作る企業と家具、消費財、食品、日曜品、雑貨などの比較的ローテクの企業とは大きくレベルや能力に差があります。企業を大別すると、次のようになります。
      @ 凄く厳しい企業 → トヨタみたいな企業(3%)
      A 差別化された他に真似ができない困難な製品を生産販売している企業 → マイクロソフト、ローム等独占的な企業(7%)
      B あまり厳しさがない世間一般的レベルの企業 → ほとんどの大手・中堅企業が該当する(20%)
      C 差別化された製品でない製品を生産販売している企業 → ほとんどの大手・中堅企業が該当する(20%)
      D BとCが同居している企業 → ごく一般的な企業で、保護されているか、景気が悪くなるとやっとのことで利益を確保できているような企業(50%)
      @が最も厳しい企業で、会社は張り詰めた雰囲気が充満していますし、経営管理が高度に確立されており、少しのムダや問題放置も見逃しません。経営コンサルタントでも発見するのが困難です。
      Aは、@同様に厳しさはありますが、あくまで他社が真似できないその企業独自の技術主体の企業です。差別的技術が全てで利益率が高いのも特徴で、堂々としており、技術面の自負心や余裕があります。
      B〜Dは、経営コンサルタントが活躍する対象です。 ところが、@やAの感覚で診断し、提言しても「ほいそれ」とは実現できません。バブル後の銀行・建設・鉄鋼・大手家電などがその例です。ローテク企業などや企業の数が多い業界は競争が厳しかったかというと、さにあらず、横並びで甘い体質を持ったままです。従来通り同じものを作り、同じやり方で売ったり、商売し続けています。一見技術の会社のようで、技術は他社とあまり差を広げられてはいません。ドングリの背比べです。というのは、戦後一貫して、同業各社が同じことをやり続けるという習慣が根付いているからです。あらゆる面で、他社には負けまいとするばかりで、「ある製品では、負けてもよいから、俺はお前らのやらん製品をやるんだ」ということが少なすぎました。
      また大企業や中堅企業は右肩上がりの時代の中で厳しさを失って行きます。特に東京・大阪は、そういう風土があり、そういう企業が多かったようです。一方バブル以前の京都は繊維産業や観光産業が中心でしたから、あまり右肩上がりという状況ではなく、また千年の古都の風土や潜在的技術力もあって、独自のベンチャー企業が続々を生まれて行ったのです。そういう企業は厳しさと差別化という二本柱を企業の中心に据えていてように思います。
      昔私が働いていた大手家電メーカーの友人に聞いた給料やボーナスがローム株式会社の倍くらいでびっくりし、オフィスのゆったりしたのを見てびっくりし、高給の高齢者があまりに多いのにびっくりし、社員のゆとりや優雅さにびっくりしたことがありました。そういう企業の中にいると、そういう贅沢さが当たり前というか、自分の会社は凄い、だからこんな給料でも安いくらいだ、部屋も狭いくらいだ、歳とっても高給もらって勤めて当たり前ということになってしまうのです。そしていつしかそれがその企業の風土になり経営者も従業員もその蟻地獄から抜け出せなくなるので
す。
      当然ですが、@A型の企業・個人・政治が21世紀に残り、BCDの半分は退場して行く運命ですよ。さて貴方の企業はどういう風土で、どのタイプですか?そろそろ会社をたたむか、転職か、リターイアーか、起業でも考えたほうが良いのではありませんか?

民主主義という名の力づく腕づくの危険なやり方
民主主義は、多数決だというのが根本理念のようですが、実を言うと、こんな非民主的なやり方はないのです。だって人数が多いほうが、優先するだけですから。
私は自民党を嫌っているわけではありませんが、自民党が長いこと政権を維持して来たことが大きな弊害になったことが立証され、バブルを引き起こす原因やバブル以降の対立は正しくその典型で、どちらにせよ良い結果が出ず、国民や自民党そのものも含めて全員が大きく苦しんでいるのです。一方はこういう認識だ、他方はこういう認識だ、その差はこうだ。差の大きさ、差の重要性、そしてそれらが大きい場合に双方の認識の妥当性を各々データー等で十分検証することが大事です。エイヤーや丁半博打みたいなもの(民主主義と称するもの)で「賛成」と言って手をあげたり、起立したり、投票するだけで決めてはいけません。こんなことでは、民主主義という手段は凶器と化すのです。徒党を組み一方の意見主張を通そうとする、そして甘い汁を吸う。民主主義は、いつしか、こういうやり方へと変身してしまったのです。
      こんな出鱈目なことでは21世紀の困難な課題は適切に対応できないはずです。国民からいい加減かつ出鱈目な選挙という方法で選ばれたろくでなし、能無しの政治家と称する素人はだしの御人が賛成・反対で決めていく時代はもう終わったのです。おっさん、おばちゃん、坊ちゃんや俳優やプロスポーツマンのど素人の政治家集団に出来ることではないのです。私は国民から選挙で選ばれたから私の意見は神様の意見を思えみたいなかつての戦時中の「天皇陛下の言うことは絶対みたいな」ことと全く同じ、又はもっと危険なことなのです。
      小泉さんが丸投げしていると批判されていますが、むしろ各分野の本物の専門家集団が単なる喧嘩や利権を越えて情報収集・分析・シュミレーション・議論をすることでなくてはならないのです。あんな馬鹿・無能集団にやり放題、かってにやられたら、それこそ今の事態に対して100%日本という国が滅ぶのはもうそう遠いことではありません。日本人は優秀でも、あの腐った利権の親玉みたいな政治家や役人は、いつまでたっても世界一最低のままです。
      できれば双方の案を試験的にやって見る又はシュミレーションしてみてどちらがどういう結果になるか見極め、何度も議論をすることが大事です。そうすることでどちらかの認識の間違いが出て来るでしょう。国会はその種の議論でなく「やれ何党はけしからん、全然良くならない責任をとれ、少数意見を尊重しろ、なんのかんの」とやっていますが、あんな議論をやれと言っているのではないのです。ところがどうも日本の政党政治は相手の党の悪いことをつつきあうでけで肝心の検証や調査解析はやられていません。むしろ最初に結論ありきで、こじつけで無理やり「俺の意見が正しい」ことにしようとする極めてお粗末、お寒い、幼稚な論議だけなのです。認識の違いを冷静に検証するのでなく、他方の認識をいかに打ち砕くか打ち負かすかが政治家の手腕なのです。ああーこの国に未来はない。
      神よ願わくば、無能な日本の政治家や役人のいない国があったら、そこに脱国又は亡命したい、そこで生きたい、そこで死にたい。アーメン。
日本の常識は世界の非常識でなく、日本こそ世界一常識的な誇るべき民族、自信を持とう

ある有名な評論家が、かなり以前から「日本の常識は世界の非常識」とテレビで言い、本にまで書いています。こんな自国の悪口を執拗に言う人がいることを、非常に残念かつ恥ずかしいことだと思います。そういう一面も確かに無いことはないでしょう。しかし非常識は、何も日本だけではありませんし、むしろ日本は一部の無能な指導層を除けば、世界にも珍しいすごく常識的な国民なのです。この暴言の薬が効き過ぎて、日本人は、徒に、「我々は世界一非常識だそうだ」と信じ込んで自信を失い、何でもかんでも、世界の意見に合わせるような主体性のない風潮が目につくようになっているのです。
      戦後50年以上もたち、戦争をしかけた世代が高齢化し第一線を離てしまい、戦争を知らない人が圧倒的多数になっている時代であり、戦後世界に多大の貢献をしているのにも関わらず、未だに周囲に気兼ねして、堂々と意見を主張をせず、こせこせと他国の尻追いに終始しているのは残念です。個人として靖国神社を参拝した、日本の教科書に一々文句を言われて、中国や韓国に対して、必要以上に卑屈な態度をとり続けています。こういう卑屈な態度は、もういい加減に止めにしませんか。日本のマスコミも中国や韓国の一部の文句言いの人が何を言ったかなど、そんなことを報道する必要はないんですがね。マスコミも日本の尊厳をもっと大事にして欲しいですね。戦争を知らない若い人までも自信を失うような偏った報道姿勢は是非止めて欲しいですね。もしそんなことで日本を徒に非難し続ける人であれば、嫌な思いまでして、自分の尊厳を放棄してまで、そんな国の人と付き合う必要はないと思いますよ。
テロや戦争、貧困、病気、災害、地球環境破壊の時代に、真に日本人が第一線に出て主体的に意見を主張し行動し世界に貢献する時代が到来しているような気がするのです。第二次大戦の戦争犯罪者は、70歳以上の高齢者だけなのに、戦争責任に関係ない若い世代までもそういう重い十字架を必要以上に背負い、ペコペコ謝っているだけ
で、常に卑屈な様態度でいるのを悲しいことだと思いますし、世界のためにも重大な損失だと思います。もともと日本は、平和を重んじ、質素で、勤勉で、我慢強く、思いやりのある、潔癖で誇り高い人達であるはずです。
      地理的な条件によって、日本はある意味世界でも珍しく熟成した歴史・文化を保有する民族なのです。その歴史を紐解いて、先人が残した貴重な業績を今こそ世界のために役立てるべきではないかと思うのです。むしろ外国人のほうが、日本の歴史や文化及びその特異性を研究をしているような気がしています。日本人は非常識なんかじゃない、日本人であることに、謙虚さとともに、もっと自信を持ちませんか?何か、わかったような・わからないような「国際化という主体性の乏しい言葉」も大嫌いです。国際化=日本の主体性喪失ではないか?何かというと「日本のやり方は間違っている、非常識だ」というのはいかがなものでしょうか?第二次大戦やバブル崩壊は、一部の無能な政治家や指導者によっておこされた不幸な出来事であって、それをもって日本人全体が駄目、非常識というような誤った観念をテレビで植え付けるのはいかがなものでしょうか?
      どんな国でも非常識な人や状況はあり得るのです。否むしろ外国のほうが日本よりもっと非常識なことをやっている状況を多く見受けます。「日本の常識は、世界の非常識」ではなく「日本の一部の指導者の行動が異常なのだ」というこでしかないのです。例えば政治家(鈴木宗男や自民党長老・・・)・役所(外務省・厚生省・農務省・警察・・・)・銀行や建設業等一部の企業経営者が日本の非常識を浮き立たせてしまったのです。豊田・本田・井深・キャノン・ロームの佐藤・京セラの稲盛・・・・をはじめ歴史上の人物でも数え切れないほど沢山の偉人を輩出しているのです。
そういう意味では、極めて素晴らしく常識的な人が豊富にいる国なのですよ。沢山の誇るべき先人がおられますが、私が特に誇りに思う人の中の一人は聖徳太子です。
「和をもって尊しとなす」をはじめ、政治家であるとともに、仏教を広め、新しい諸制度を構築された業績は、現代及び21世紀の対処法としても十分に通用するものであると誇りに思う次第です。それにひきかえイラクや北朝鮮、テロ、地球環境問題等に見られる世界の指導者達は、情けないポリシーや戦略、謀略を振り回すだけで、なんらの根本的解決策を提示すらできていないのです。「歯には歯を目には目を」みたいな欧米流の手法は、結果的に世界を混乱に導く何ものでもないのではないでしょうか?世界にも珍しい常識的かつ温和な日本人こそ、これらの難問解決の指導的な役割を果たす国民に戻って欲しいと信じ願っています。

国債なんて絶対買ってはいけない。日本の将軍様達が喜ぶだけ、自分達の腹を肥やすだけ、贅沢をし続けさせるだけ、いい加減、国民もこの将軍様達をどうにかしなくては?

日本という国は、国民は金持ちですが、利権に群がる自民党議員や役人によって、国家としては、米支援を受けている北朝鮮より貧乏な世界一お粗末な国にされてしまったのです。実は、日本にも金正日より極悪な将軍様が沢山いまして、湯水のように税金を使い、私腹を肥やし続け、未だに金正日顔負けの想像を絶する着服・横領・無駄使い・使いこみを堂々とし続けているのです。そういう使い込みの金額や日本の借金の万分の一くらいの金で北朝鮮への食料支援ができるのですから、金正日などまだかわいいほうかもしれません?公共事業や補助金対策や経済対策や無意味な箱物作りと称するものの実態は、ご存知の人にとっては、それはひどいものです。「おーいおめーたち集まれー、何か予算が出たらしいべ、さあ何に使うべー、ウヒッヒッ」てなもんなのです。単に金を着服し、形だけで実質何の効果もないことに無駄使いしているだけで、成果はどうでもよいという実態を知っていますか?節分の豆まきのように「鬼は外」とか大声で言って豆(金)を撒き散らすのです。それを一生懸命拾える一部の人だけが、甘い汁をたっぷり吸い、良い思いをするだけの話なのです。それはお粗末でお話になりません。政治家が予算をつける、そうすると無責任な役人はその予算を使わないと怒られますから、なにしろ予算をいかに使うかを真剣に考え、ここにあそこに金を使う算段だけを考えます。「金を使わなくてもできないか?」などということは考えません。また効果があるかなんて考えません。そんなことはどうでも良いのです。使うことが唯一の目的なのです。血のにじむような努力で稼いでいる皆さんには、当然信じられませんよね。ところが実態は、そうなのですよ。膨大な借金があるのに未だにその悪習慣は残っているのです。
      財政逼迫などというのは真っ赤な嘘、金正日やサラ金にのめりこんだドラ息子同様、自分達の私腹を肥やす金が足りないだけなのです。
      北朝鮮の将軍様が容易に崩せないように日本でもそれ以上にひどい将軍様やそれに群がり甘い蜜を吸う人々によって何十年も自民党という政党が堂々今だに居座っているのです。未だに多くの国民は支持し、それらの横暴を放置しているのです。北朝鮮同様に国民は国家体制を変えようとしないのは不思議です。まんまと騙され続けているのです。日本はその点北朝鮮よりひどいかも知れませんね。変えることができるのに国民自身が平和ボケで「そんなことやるのしんどいで、国がつぶれても知ったことじゃねー。選挙行くくらいならパチンコ、競馬、テレビのほうがええやんか」ですからね。そしてそれを良いことに、日本の将軍様(自民党長老)や取巻き達も、不景気で、金のない時期の今もなお「もっと、もっと私腹を肥やさせて、道路作りたいよー、箱物作りたいよー」と堂々とまことしやかにテレビで演説までする始末なのです。北朝鮮も信じられませんが、日本の今の政治家はそれ以上に信じられない狂気の存在です。ナンヤラパーテイーと称して「N将軍様万歳、K将軍様万歳」「みんな将軍さまのお陰です」「将軍様今後もよろしくお願い申し上げます」と北朝鮮と同じようなお祭り騒ぎが毎夜のように盛んに行われているのですよ。それは滑稽というか異常というか一度見学に行って下さい。北朝鮮や金正日そのものですよ。       北朝鮮や金正日を非難するのでしたら、日本の将軍様達はその2倍も3倍も非難されないといけないのです。「やりもやったり無駄使い」「まだまだやるよ無駄使い」というスローガンで今の政治家(自民党長老=将軍様)は動いています。もし北朝鮮で国債が発行されたら誰が買いますか?何回も言いますが、日本国家はそれ以上に惨憺たる状況なのですよ。「北朝鮮の人々はかわいそう」なんて言っている場合ではないんですよ。北朝鮮は何かやれば立ち直れますが、逆に日本は、何かあれば、その日に一挙に崩壊する危険すらあるのですから。そしてその状況は更に確実に悪化しているのです。それでも一般向け国債が売れるというのは、将軍様の一味の陰謀で一味が「俺も買ったよ」とサクラになって買いあさっているのではないかと思うほどです。国債はサラ金なのです。なにしろ借りた額が半端ではありませんからね。でもまだ借りようなんて信じられますか?このドラ息子達は、とおの昔、勘当なはずですよ。泥棒に、盗まれた金に加えて、わざわざ金くれてやるようなものですよ。
      国債を買うくらいなら日本の優良企業の株式を是非買って下さい。そのほうが国家としては良くなり子孫達にも罪滅ぼしになろうと言うもの。一方、国債を買うと、将軍様の飲み食いに費やされ、確実に子孫に更に大きなつけを残すことになります。日本はかつて人道支援と称して、北朝鮮に米支援をしたのです。ところがその米は、将軍様や取り巻き連中の食料になって、餓死者は増加し、事態をむしろ悪化させてしまったのです。日本の国債も一見良いことのようですが、コメ支援と全く同じことで結果として事態は悪化するのです。なにしろ無能な将軍様達のやることですから。もう騙されてはいけませんよ。信用してはいけませんよ。そしてできれば小泉さんが、かつて言われたように、自民党をつぶさないといけないのではありませんか?
ところで、こういう夢も希望もない状況下で、今一般国民にとって一番確実で良い方法は、金の現物買いです。これしかありません。だってお金というのは本来金のことなのですから。当然のことですが、更に良いことは金価格は目下値上がり傾向にあることです。
      当然ですが、多かれ少なかれ円や国債は紙切れになるはずです。というのは、十年くらいを考えると、猛烈なインフレがやって来る可能性が極めて大きいからです。「冬来たりなば春夏遠からず」。一般国民にとって、目下資産運用は、@国債/A円/B優良株式/C外貨預金/D家などの現物資産(但し地震被害等リスクのある地域や物件を除く、そういう物件はむしろ即売却)/E金の順序なのです。これらをうまくミックスされることをお勧めします。
      なにしろ日本国民の認識は今大いに混乱しています。もっと整理して下さい。
これからの時代は儲けることより安全第一、リスクヘッジです。もっとも、じっと預金をしていれば良いという意味ではありませんよ。老人にとって体力アップは年寄りの冷や水になり、健康の維持が第一なのと似ています。国債は安全のようでようは金正日や成長性のない倒産したも同然の会社に金をくれてやるようなものなのです。またはねずみ講のようなものなのです。買ってしまった場合は、早目に手放すことを念頭においておくことです。

人は双方の認識違いで喧嘩する、大事なことは認識の違いを冷静・慎重に検証すること、「和をもって尊しとなす」とは、対立をしないことではない
人間は対立、更には喧嘩が始まります。例えば、アメリカとイラク、日米と北朝鮮、世界各地の紛争をはじめ、皆様方も日々何がしかの対立や喧嘩をしておられますよね。平和主義を唱える人さえ、否むしろそういう人にかぎって対立好き、喧嘩好きなのです。私も、対立自身は否定しませんし、むしろ好ましいことでさえあると思っています。問題は、その対処方法です。対立の原因は一言で言うと、「認識の相違」「見解の相違」というものです。幸か不幸か、人間は全員認識の相違という池の中を一緒に泳いでいるものなのです。対立というのは、どちらが勝つか負けるかとい
うことより、双方の認識がどう違うかをまず冷静に把握・分析し、認識の差の理解を深め、共有して行くことが大事なのです。子供の喧嘩を見ると相手の認識がどうで自分の認識がどうだ等とは全く考えません。自分の立場を主張するだけのものです。物事には白と赤の相反する立場があるのですが、ほとんどの場合は、「白勝て、赤勝て」と運動会みたいなことをやってしまうものです。勝ったほうは良いですが、負けたほうはたまったもんではありません。「負けるが勝ち」ということを言いますが、長いものには巻かれろでなく、泣く泣く負けるのでなく、積極的に負けるのです。負けることをもっと真剣に勉強しませんか?負けるという言葉がふさわしくないのであれば、「和を尊ぶ」とでも言いましょうか。情けをかけるとでも言いましょうか。勝つこと自身は、真に勝ったことにはならないということなのです。負けるというのは勝つことより数倍難しいのです、数倍崇高なことなのです。実は、本物の人間の大人というのは、いかに負けるを考えるものなのですね。「喫煙はけしからん」ということで禁煙キャンペーンが盛んですが、もし喫煙の人が非常に多ければ「禁煙はけしからん」となりかねないのです。「善人がいて、悪人がいる、俺こそ善人だ」と頭から思い込むことは、子供以下なのです。幸か不幸か欧米や日本の教育では、どちらかというと、白黒を分ける、一方が正しいというような教育がされて来たように思います。
      むしろ、こういう考え方は非常に危険です。暴力反対、戦争反対というのは、死者や負傷者が出たり家が焼かれるといった悲惨な目に見える直接被害が生じるからいけないだけでなく、冷静な検証や検討がなく一方が他方を力でねじ伏せてしまうことからおきる不幸な結果自体にこそ重大な問題があるのです。一方が勝利した結果、幸いにも良いほうに行けば良いのですが、悪い結果になってしまう場合が半分以上あり得るのです。第二次大戦などは、戦争自身は、さまざまな直接の悲惨な結果はありましたが、戦争後は幸いにも悪い結果でなく、むしろ良い結果が出た珍しい例でしょう。
      「盗人にさえも三分の理がある場合がある」なのです。むりやり相手を丸め込むのは、勝者にとっても重大な結果を招きかねません。テロなどはその典型的な例です。やればやり返されるだけなのです。問題が数倍拡大するだけのことなのです。バブルやその後の対応は、正しくそのようなものでしたし、労使紛争などというのもその典型です。アメリカがイラクがけしからん、言うことを聞かないので制裁を課すと息巻いています。戦争(暴力)でけりをつける民主主義というのは、いかがなもんでしょうか?民主主義という看板をあげているのであれば、あくまで、最後まで民主主義を貫き通すことが正義ではないでしょうか?そんな民主主義は暴力団や北朝鮮のようなものといささかも違うものではありません。
      フランスとドイツが戦争でけりをつけてはならない・戦争は最後の手段だと反対していますが、和の国=日本もフランスやドイツ以上にそう主張して欲しいものです。「戦争は、人間であれば、守る以外に絶対にやってはならない手段だ:銃砲が正当防衛にしか使えないように」とでも言ってもらえば、和の国日本の面目約如なのですがね。聖徳太子の国であることを誇りにする国民であって欲しいですね。機会あるごとに、地道に聖徳太子の精神をもっと世界に広めて欲しいですね。アメリカ(組長か将軍様)の後ろから、こそこそ付き従う卑しい国民にだけはなって欲しくないですね。@認識の差は当然あるA一方が他方をねじ伏せるのは危険B双方の認識の差をどうするか対処法をクールに話し会うことが大事であって、お前が悪い、俺が正しいというような子供の喧嘩をしているのでは何も解決できず、無理を押し通すか取組み合いの喧嘩になってしまいます。
      むしろ反対の認識を持つ人がいることは、万事においてすごく大切で幸なことなのです。反対の認識を持つ人こそ真の友人なのです。聖徳太子が「和をもって尊しとなす」と言われていますが、和というのは、対立をしないことではありません、むしろ大いに冷静で誠実な対立を行い、その結果妥協をすることなのです。意見対立するともうその人と付き合わないというような人が多いですが、全く逆なのです。むしろ意見対立をいかに有意義にするか成長に結びつけるかが大切なのです。どうぞ勘違いしないで下さい、そうしないと本当の友人を失うことになり、くだらん友ばかりが自分のまわりに残ってしまうものです。夫婦対立や兄弟対立は良いのです。そういう対立は一般的に実り多い結果をもたらします。相手の立場を尊重さえできれば対立ほど素晴らしいものはありません。対立から結論を出す、出なければ出るまで待つ。是非双方が意義ある対立にするように意識改革をして下さい。

弊害の多い認証取得に対して、当社はISO9001、14001の自己宣言支援を近々立ち上げます。

ISO9001、14001等の認証取得は、良い面もありますが、一方で非常に悪い方向に行っています。むしろ認証取得のために益々悪くなって行くばかりです。特に最近、建設業をはじめ数人の小さな会社が点数を上げるためだけに無理してISO9001、14001の認証取得に取り組んでいるのですが、コンサルタント諸兄の感想を総合するとそれはひどいもののようです。そんな小さい建設屋さんにISO9001、14001の認証をとらせるのは、多大な弊害を垂れ流しているようなものです。そういうことをISOの審査機関も政治家も役人達もわざと見て見ぬふりをしています。勇気がないし、知恵もないのです。実は、審査機関は、あわてています。「こんなにゆがんだISO審査になってしまって、この先当社の従業員を養っていけるだろうか?」と。そうです、こんな荒唐無稽なものを蔓延らせるのは到底許しがたい暴挙と化しているのです。かつてのデミング賞と同じ位、欠陥の多い制度になりつつあります。まあ、だいたいこういう審査制度や認証制度というものは、一見良さそうで、ひどい欠陥を内在しているものなのです。
      ISO規格を読むと、ISOのマネジメントシステムというのは、本来自己宣言でよいのです。否むしろ自己宣言のほうが良いくらいです。一部の大企業では大半取得を終わっていますが、この大きな弊害に気づき、すでにそういう動きを開始しています。確かに当初2,3年は外部審査を受けても良いでしょう、しかしその場合でも信頼のおける我々のような第三者であればよいので、なにも高い金と手間をかけてまで、正式の認証を取得する必要などありません。今そういう動きが急速に高まっています。是非、当社が立ち上げましたら、システム構築から自己宣言、毎年のフォローのためのかなり格安で自由度の高く効果的なコンサルテイションと第三者監査制度をご利用下さい。企業様は、無意味な一夜漬けの準備も不要になり、すごく伸び伸びとコンサルテイションと第三者監査を受け、有意義なアドバイスを沢山もらえるはずです。ちなみに認証取得審査では、コンサルテイションをしてはならないことになって
おりますので、そういう点では企業様の受ける実質のメリットは大きくありません。
3月には当社が得意とする「格安で良心的な自己宣言支援」を立上げますので、ご期待下さい。審査員の大半は審査しかできません。審査員とコンサルタントの違いはここにあるのです。優れたコンサルテイションができるものではありません。ですから企業様が大したメリットを得られないのは当然なのです。是非一度ISO規格を勉強し直して認識を新たにして下さい。
認識をするとはどういうことでしょうか?
問い「貴方は、日々認識をしていますか?答え「毎日、朝から晩まで認識しぱなしです」そうですか?問い「そんなに認識しておられたらさぞかし、自分なりに、真理や自己発見できたりしているのでしょうね」「さあー?????」そうなのです。認識=認識すること(単に五感:見る・聞く・触る・味わう・嗅ぐを働かすこと)だけではないのです。ただ認識するだけでは、犬畜生と同じなのです。実は、認識=認識を改めること、言い換えると昨日の認識(汚れ)を今日洗うことなのです。
そして夜までに認識はまた汚れ、また翌朝洗うということを繰り返すことなのです。言い換えると洗顔(洗認識)なのです。認識とは、顔(汚れのついた)でもあり、同時に汚れを落とす洗剤石鹸でもあるのです。人間は、自分の認識を毎日丹念に洗うべきなのです。認識を認識で洗うのです。認識のこういう側面を理解することがすごく大事なのことなのです。そして目的は、汚れを完全に落とし切ることなのです。一生かけて、仏さんのような一点の曇りのない顔(心と身体)を取り戻すことなのです。
洗顔と同じことは、洗い方が下手だと汚れがひどくなることであり、一方、洗顔と違うことは、正しく洗うと一枚、ぼろっと汚れが剥がれることなのです。目から鱗(うろこ)が落ちるというやつです。貴方は人間の五感というものの正しい、より有効な使い方に心をくだくべきです。なぜ味わうのか?何故匂いを嗅ぐのか?何故見るのか?・・・・・神が与えてくれた鼻・眼・耳・舌・皮膚・脳などの意味や重要性を認識することです。貴方が生きながらえ、遊び、華美や快楽を得る、争いに勝つためだけについていると考えるのでは、あまりにも情けないかぎりです。
      動物でも赤ちゃんの時に「刷り込み」という現象があるそうです。一度自分の親と認識すると鳥でも猫や犬や人間を親と思ってしまうようです。動物達は、そのまま認識を換えることはないようです。同様に人間は、赤ん坊から成人するまでに長い時間をかけて刷り込まれ続けます。良いことも刷り込まれますが、大半は悪い側面を刷り込まれるのです。厳しい世の中を生きて行くには、実は、奇麗事を刷り込まれても困るのです。その結果、悪知恵や悪癖をこれでもかこれでもかと叩き込まれます。
でもこれも、必要悪なので、世間はあまり文句も言いませんし、むしろそうでない人を付き合いづらい、面倒な人、融通のきかない人として遠ざけるものです。
      しかし歳を重ね、老い先短くなって、人生を振り返る時大半の人が、なんと情けない・お粗末な人生を送って来たものだと感づくのです。むしろ歳をとってからでも、そういうことに気づく人はまだ良いほうです。案外、人間なんてものはそんなものかも知れません。寿命が長くなってもそういうことに気づくのが遅くなるだけのことで、寿命が延びても大半を犬畜生同様に無駄に過すだけで、むしろ地球環境に弊害こそあれ、あまり大した意味はないわけです。試験や会社の仕事でも、やはり間際にならないと、本気にならないのと似ています。結果はご存知のように惨憺たるものになります。一夜漬けで試験勉強をするのと同じように、あの世の入り口に、いよいよ近くなってはじめて、いままでの堕落し退廃した人生に見切りをつけ真剣に人生の猛勉強を一夜漬けでするのです。「俺の私の人生なんて、いつも所詮一夜漬けさ」なんて言っておらずに、試験準備を早くやって試験までをゆとりをもって暮らすようにしたほうが良いと思う今日この頃です。かく言う私も60歳を迎えようとするこの時期にやっと重い腰をあげ、そろそろ地獄か天国かわかりませんが、人生大学の卒業試験勉強を始めようとしています。あと1/3の年月を、「ゴミ集め老人で更に、認識を日々汚す」のでなく、この人生ゴミ屋敷に住む自分を、日々「洗認識」に努め、人間的・主体的・創造的な自分だけの人生をじっくり送ろうと考えています。先輩諸兄よ良きアドバイスをお待ちしております。
ISO14001認証取得後のフォローを安く提供します
ISO14001の認証はやっとのことで取得したが、あとのフォローができていない。テーマーがねた切れになって来た。管理も当初のままである。マネジメントシステムが有効な成果をあげたり、企業に根付いていない。むしろお荷物だ。というような企業さんが多いようです。そこで当社は、取得前の支援以上に取得後の支援の重要性を認識し、次のような格安なサービスを平成14年10月からすでに開始しております。
      @当社で支援をした企業様:取得後毎年4回を限度に、かなり格安でフォロー致します。(個別に連絡しております)
      A当社をご利用でなく取得した企業様:格安4万円/日+交通費で環境ISOに関する支援をさせて戴きます。
請求の方に環境資料提供します。「スタッフ環境側面洗い出しのためのプロセス分析」
環境ISO14001を運用して行きますと廃棄物のリサイクルや省エネ、汚染防止等の改善活動は3年もするとネタ切れになって来ます。そこで審査機構もスタッフ業務自体の業務で前向きに環境改善を図る活動にもっと取り組むように推奨しています。ところがそういう場合「そういうスタッフ業務のプロセスや環境側面をどのように分析したらよいのか?どんな課題があるのか」とうご質問を多く戴きます。
そこで今回私なりに考えた資料をエクセル(EXCEL)で提供致しますメイルでご請求下さい。murakami@meico.org
      1)背景:最近は直接環境側面や現場中心の側面だけでなくスタッフ部門の環境側面や間接影響側面への対応が必要になっています。
      2)範囲:スタッフ業務に関して環境に関わるもののみを洗い出しました      どういうやり方がよいか検討の一助にお使い戴ければ幸いです。
ISO14001認証取得支援について
最近ISO14001認証取得支援のご要望が急速に増えています。お客さんから取得を要請されているためというのが大半のきっかけです。従って小規模、人数も少ない、環境負荷は少ないというサイトがほとんどです。というのは環境負荷の大きなサイトはほとんど取得完了しているからです。さてそういう企業さまの場合、99%が、人数に余裕がない、文書作成は苦手、環境問題について業務経験も知識もないという状況です。そこでポイントは次のとおりです。

      @文書は極めて少ないこと
      Aあまり高度なことや難しいことは最初やらないこと
      B文書は、無駄なものを排除し、図表等を用い簡潔で、わかり易いこと
      C自分の会社にあったコンサルタントを選ぶこと
      Dほとんどの文書は、コンサルタントに作らせること
      Eコンサルタント費用は安いほうが良いが、数十万円の金より、納得の行くコンサルタントを選ぶことのほうが重要
      Fシステム構築はコンサルタントに任せ、情報収集や勉強、条件整備、管理運用に専念すること
      G期間は8カ月(〜10カ月)、費用はコンサルと初年度審査登録費用合計で200万円未満とすること
      H経営者をはじめ全員協力して取り組むこと
      I事務局員1、環境管理責任者1、内部監査責任者1計3名を軸にして取り組むこと
      J取得後1年間は、3カ月に1度くらいコンサルタントに指導してもらうこと
      K国際的に通用するマネジメントシステムを習得することも大切だということを認識しておくこと

      当社のISO14001支援http://www.meico.org/p02.html#ISO      このどの一つが欠けても失敗します。くれぐれも、「とれさえすれば良い」という投げやりな考えだけは絶対にしないで下さい。もしそうであれば止めたほうが良
いですよ。21世紀において、そういういい加減な姿勢で何かやろうとする会社に将来はありません。主体性のない取り組みは、過去の実績が示すように90%無駄を増やすだけで会社を良くすることにはならないのです。「会社をよくするためという大目的」をどうぞお忘れなきように。日本の経営者のウイークポイントは、規模の大小を問わず、主体性のない姿勢なのです。反対に優良企業の経営者は主体性で溢れているのですから。社員は自ら真剣に取り組む経営者を見て育つものなのです。トヨタ、京セラ、ローム、日本電産等の経営者は、何事においても、すさまじい迫力を常日頃、社員達に見せているのです。ISOにおいても社長さん又は経営者が真剣に関与しないのであれば、過去の例では、無意味なものになってしまっています。
      参考:ロームの今期予想売り上げ3500億円、経常利益970億円、利益率28%ttp://www.rohm.co.jp/index-j.html ローム株式会社 
お金をどう持つべきなのか?日本人は教育不足のせいで、とにかく金儲け(資産運用)が下手です。
個人は一部の方を除くと、合理性のないでたらめな資産運用を平気でやっています。ところが一方で金融のプロ顔負けで、自ら資産運用をやっておられる方もおられます。例えばテレビの影響でやっと最近、貯蓄性の生命保険を医療保険や掛捨てタイプに切り替える人が少しづつ現われて来ましたが、私は25年前にすでに生命保険の解約を断行しています。そして郵便局の定額預金に切り替えているのです。また50歳の時に、70歳まで対応可能な医療保険に入りました。
      寿命が長くなり豊かになれば、死後のことより生きているうちのほうが大事になって来るのです。高齢化に伴い生命より、医療のほうが大事になっています。「命より健康のほうが大事」なのです。また生命保険会社の破綻などもかなり以前から予想されていたことですし、私達の世代が70、80歳になるまでに必ずそういう事態になる確率は100%だったのです。ところが未だに貯蓄型の生命保険にしがみついている人が沢山います。銀行に預金し、利子より多くの手数料を支払い、平気で銀行の売上げに協力している方、その他にもお粗末な主体性のない旧態依然の資産運用をしている人が目立ちます。何もしないで、「やってくれない」と駄々っ子のように文句ばかり言っているのです。
      例えば貴金属の金は、昨年から急騰し続け、今も毎日すごい勢いで上がり続けています。年末に金1gが1340円が今1480円と1月で140円という驚異的な値上がりなのです。ご存知でしたか?商品先物相場をやっている人は、信じられないような莫大な利益をあげているのです。白金や銀も上がっています。多分皆さんは金や銀の価格のトレンドはと聞いても90%以上の人が知らないでしょう。紙幣が危険であれば金がだぶだぶあれば、一番確実なのは貴金属なのです。そのようにして皆が金属を買うとうまいことに金属の価格が値上がりするのです。そうするとダブルに利益が得られそれも、スパイラルで上昇するのです。それもとめどもなく上がる可能性があります。怖いくらい。今一番よいのは金の現物を保有することでしょうね。お金は所詮紙切れですから。金こそ本来のお金なのです。少々重いのと買い物が面倒だということぐらいです。http://www.moneyjoho.co.jp/invest/tocom.htm 相場表
      http://www.dai-ichi.co.jp/jouhou/jouhou.asp?a5 日足チャート       今この低金利時代・株価低迷の時代に、毎日何十万円、何百万円という利益をあげている人達が一方でいるのです。「デフレだから利子所得が減った、政府よなんとかしてくれ」と未だにお上依存の方がおられますが。もうそういう甘い共産主義的な時代は終わったのです。事業経営同様に自らリスクをとり、自ら利益をゲットするのです。ちなみに貴金属の中で、銀だけが理由がありますが若干出遅れています。
(銀1gは年末180円が今190円と1月で10円とまだ値上がりは出遅れ)      株式でもこの値下がり時期に上がっている企業が案外あるのですよ。また近い将来必ず値上がりしそうな株式もあります。また配当利回りが5,6%のものもあるのです。ところが銀行預金や生命保険をそのまま放置している人が多いのです。無論投資に危険・リスクはつきものですが、今後は      じっとしていること自体が、すごいリスクであることを忘れてはいませんか?
日本人はじっとしていれば安心・安全という神話がまだ根強く生きています。企業も大胆な経営革新をせず、そこそこのリストラでお茶を濁してじっとしている経営者が多いのです。最近さんざ株式の値下がりで多額の損失を出した個人は「もう投資は懲り懲り」になってしまったのです。「羹に懲りてなますを吹く」になっているのです。
      最近40歳代の人に「貴方は外貨預金をしていますか?」と質問したら「やっていません」とのことでした。金を日本の円で持つのが当たり前で、疑いすらしない人が多いのです。少なくとも1/3の資産は外貨で持つべきですよ。これは、儲けるのなんのでなく、リスク回避なのです。またこんな時に金があるのに借家住まいの人がいるのです。若者よ借家で10年間家賃を払う金で今は1ルームマンションが手に入るのですよ、人様に金を上げるなんて馬鹿なことをやってはいけません。絶対に新品の高額マンションなど買ってはいけませんよ。10年償却を目処にして購入することですよ。また近々大地震の起きると言われている東海地方では、持ち家を売って地震に強い家に移る、山の手に引っ越す。又は安い中古のマンションに変えるなどということも立派な資産運用なのですよ。
      なにしろ勉強です。当初は失敗します。大損します。でもやらないと資産運用が下手なためにもっと大きな損をすることもある時代であることをお忘れなくパソコンや資格をとるのも良いですが、稼いだ金をどう運用するかもものすごく大切なことですよ。日本は金持ちだということをお忘れなく。でも資産運用の勉強は大変なことは大変ですよ。慎重にやって下さいね。あた先輩の助言も大切ですよ。
デフレは本当にそんなに悪いことなの?何故物の値段を高くしようと願っている。何故またバブルや浪費生活を目指すのか
デフレをとめるためにインフレターゲットを導入しようなどと訳のわからないことを言う有識者や政治家が出現しています。私の体験では、急速かつ長期間のデフレが進む場合には、無理やりそれを止めることは不可能に近いし、危険きわまりないやり方です。長年かけて上げて来たのですから。だから皆さんのもらう給料も世界一くらい、ものすごく上がって来たのですよ。皆が努力して、じっくり時期を待つしかないのです。これを強引にやるともっと悲惨な結果になってしまいます。所謂、自然の成り行きにまかせるしかないのです。「インフレにしろ」てのは、買占め→値上が
り→大儲けという江戸時代の越後屋のウフッフッてな感じがしませんか?さんざいじめられた国民が今度は物価高でいじめられる。時代劇のように、何か筋書き通り国民がいじめられるのではないかと思ってしまいます。
      昔はインフレで確かに物価高で困った一面がありましたが、一方で値打ちがどんどん上がるので得をしたように思っていたわけです。しかしインフレも行き過ぎれば、実際のところ、国家崩壊を招くものになっていたのです。インフレも良い面・悪い面両面を合わせ持っているのです。あまりにインフレ時代が長かったので、インフレよもう一度みたいな馬鹿なことを言うようになっているように思います。ちょうど喫煙に慣れた人が健康的な生活になったのにもかかわらず急に太って来たので、やはりタバコを飲まないといけないと考えているようなものです。
      デフレスパイラルといったところで物の値段が無料になるわけではありません。適度にブレーキをかけることは必要ですが、インフレよもう一度というのは、アブノーマル、素直に受け入れがたいことのように思います。失業しようが、収入が減ろうが、戦後のように人が飢餓や寒さや家に困っているわけでなし、松下幸之助ではありませんがコストを徹底して下げることで「水道哲学:泉のごとくコンコンと」であれば究極人間が求めていることではなかったのでしょうか?単純に考えても、あまりあくせく稼がなくても物が安く買えるのですよ。皆さんは、今、何故、物の値段を上げて欲しいのですか?
      ともかくすごくおかしいのです。実は、皆様またまた私利私欲の権化のあの悪名高い政治家どもに騙され・誤魔化されているのですよ。政治家の尻拭いのために巧妙な手品に翻弄されているだけなのです。なにしろ無能政治家達の言うことは全く信用してはいけません。日本の政治家は、国民より数段経験・能力が乏しいお坊ちゃんやお爺ん集団ですから、全取替えしても良いくらいのものなのです。高い物=贅沢は止めて安いほうにシフトするほうがむしろ望ましいし、日本でもここ10年節約・倹約が進んでいます。地球環境保全にとっても素晴らしい姿だと思いませんか?地球環境のためには、序々に経済発展をマイナスにすることのほうが求められていることではないのですか?今の日本は確かに一時的には苦しい状況ではありますが、それでも世界一クラスの生活をしていることは紛れもない事実です。そうであれば、なんで「もっと、もっと!ギブミーマネー!」と叫ぶのでしょうか?むしろ今の人間の痛みより、将来に子孫がもっと大きな痛みを味わうことのないようにあまり経済発展せずに、むしろもう少しデフレが進んでも、耐えて、一生懸命いろいろ対策をすることのほうが良いのではありませんか?今の人間の苦しみを避けるだけのために何をやるかでなく、地球や子孫のために今どうすべきなのか?と考えるべきなのに、どうも全く逆に地球を破壊し子孫に更なるつけを増やす方向へ行こうとする有識者達の考えが信じられません。神様やお坊さん達は、どちらに賛成されますかね?日本だけは、21世紀の新しい対処法を考えるべきではありませんか?
      デフレだって良い面・悪い面両面を合わせ持っているはずです。インフレに慣れっこになっているからデフレへの対処方法がわからなくなっているだけで、暑い所に長年住んで人が極寒の地に来て戸惑っているのと同じ理屈で、無意味なのですが、極寒の地で一生懸命暑くするにはどうするかと日々苦悩しているのです。それよりも極寒の地に慣れるべきなのです。人間は熱くなれば秋冬が恋しくなり、寒くなれば、春夏を恋うものなのです。夏には夏の冬には冬の良いところもあるのです。デフレも困った困ったとばかり言っていないで、このデフレをうまく使う方策を考えるほうが早道であるはずですね。住めば都デフレも慣れれば捨てたものではないのでは。円高は困るけれど良い面もあるのです。一度そういう目で考え直して見ませんか。株式は値下がりでも儲けられます。物事両面があるのですから、デフレも良い面がかなりあるのではありませんか?デフレ脱却したら、多分またまた「困った困った」と言うのに決まっているのです。またぞろデフレ待望論が持ち上がりかねません。
      私の考えがおかしいと言う方は是非反論して下さい。
文書化(マニュアル化やルール化)は固定化ではない。大きな誤解だ

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自民党お爺んがまたまた、「サラ金で金借りて使うみたいな」根拠のない幼稚で時代錯誤なたわことを言っている。
      最近、自民党長老のお爺んがわざわざ頼みもしないのに、アメリカに行って「小泉の改革は最悪だ、この未曾有の不景気に対して、景気回復のために50兆円を投入しろ」みたいな10歳未満の子供でも考えるような幼稚な施策、信じられない暴言を世界にむけてはいたとか。行政改革とか公団や行政法人改革、政治改革とか、新しい政治改革の方針や理念の話は一切ないのです。日本国民として、こんな低脳な政治家しかいないことを誠に恥ずかしいと思う次第です。状況が悪化すると政治家や経営者や人間は安易な方法にすがろうとするのです。多大な借金をしている人がサラ金に手を出し、競馬で儲けようとして更に穴を広げるようなものです。
      例えば、一家5人、年老いた父母がいる、借金が5000万円、失業後で所得は20万円そこそこだとして、一生懸命がんばっているが、どうもあまり良くなってはいない、この事態を一挙に打開するために、「新たに2000万円の借金をして一から勉強してラーメン屋をやろう、そうしたら合計7000万円の借金は簡単に返せる」などということでうまく行くと考えますか?絶対に返せないような超莫大な借金を返したなんて話は過去聞いたことも見たこともない。もしあったという方がおられたら是非教えて下さい。そんな不可能なことを何の根拠もないのに、まことしやかに、可能のような無責任な発言をするのが自民党お爺んなのです。こういうようなことを自民党お爺んは、大した裏づけや確証もなく、「今の事態が最悪だから」と言うだけの理由で、偉そうに言っているのです。真っ当に努力しようとせずに、姑息な方法に頼ろうとするのです。「溺れる者は、藁(50兆円)にもすがる」というやつです。
      [安易・姑息・・実態の伴わない・一時しのぎのやり方]は,絶対に成功しないばかりか,事態を更に悪化させるだけです。小泉さんが言うように国民全員がこの先10、20年は「欲しがりません回復するまでは」で耐え忍ばなければいけないのです。そしてがんばらなければならないのです。失業したなんて不平不満ばかり言っていないで、新規事業を発案し、自営することです。誰に言われなくとも、国や県の借金を削減する努力を役人は必死にやるべきです。国民が「誰かがなんとかしてくれるだろう」という甘いことを期待し考えているから、馬鹿な政治家がまたぞろ借金をしようなんてことをまことしやかに口に出すのです。
      デフレと言って騒いでいますが、資源のない日本にとっては良いことなのですよ。またインフレになって資材が高騰したら、それこそもう日本は生命線を絶たれることになるのです。要するに考え方さえ変えれば、今の状況は悪いことばかりとは言えないのです。むしろ能力のある企業や人にとっては絶好のチャンスの時期なのですよ。ちょうど戦後の日本のような場合を想像して見て下さい。当時も大変でしたが、その後日本は未曾有の発展をしたのですよ。なにか今の状況を歴史の悪い時期にばっかり例える傾向がありますが。歴史の良い時期に例える前向きの姿勢のほうが良いのではありませんかね?ところで石油も金属もどんどん上昇していることをご存知でしょうね。円が高いからその影響はすくなくて済んでいますが、万一円が急激に下がれば資材の高騰によって日本で物を製造することが更に困難になる事態も考えられることですよね。
      我々国民は、政治家や役人に「苦しい」「助けてくれ」と言うのはやめませんか?なにしろ国民一人当たり600万円とも1000万円ともいう借金を更に増やすなどということは、絶対にしてはいけません。どう考えても、そんな額を返すことは今の私達には不可能なのですから。せめても増やすのだけは、頼むから、やめてちょうだい。これ以上の借金は禁じ手。そんな姑息なことをしても、良くなることなど絶対にあり得ないからです。博打や宝くじみたいなものです。当たればよいですが、その確率はほぼゼロなのです。だって借金をすれば、増税と同じことで一時しのぎの誤魔化しをしても、もう日本がかつてのような薔薇色の好況になることはありえないのですから、将来的は、増税→不況の悪循環は断ち切れないのです。借金は、すぐにでも実現可能な成果や裏づけがない場合には確実に失敗します。
      金に頼る、金というのは、一種の魔術、マジックなのです。うまく行けば拍手喝さいですが、幸か不幸か、国民はもう金のマジックに騙されるほど、馬鹿ではなくなってしまったのです。金でなく実態を良くすることが最優先なのです。企業経営でもそうですが、会社の業績が悪くなると出来そうなことをまずやるんです。そうして状況が良くならなくても、相変わらず出来そうなことをあれこれ探してやり続けるのです。最初から厳しいことをやれる企業は、数少ないのです。国も企業も個人も実態のない金に頼らず実質的なことに改善の手段を求めようではありませんか。
      ところで個人的な提案ですが、人が死んだら残した金は、預金・生命保険を含めて一切を国に没収としたらどうでしょうかね?そうでもしないと、一体、一人当たり600万円の借金を誰が返すのですか?子孫に返させるなんてのはあまりにも気の毒だし、そんなことでは日本は永遠に再生できないかもしれません。罪滅ぼしのために、せめても私が死んだら子孫につけだけは、残さないようにしてあげたいですね。
いろいろ工夫が必要ですが、大雑把に言うと、国に遺産を全額残すという誓約をした人の遺族には、額に応じて10〜20%増しの1年間有効で、1件:100万円以上の買い物にしか使えない商品券を発行するんです。
共産主義と民主主義どちらも利点・欠点あり、日本企業は内在する共産主義的な部分を一掃すべきだ
      最近、「共産主義というのは駄目だった」というレッテルが貼られてしまったようですが、日本をはじめ民主主義・自由主義もそれ以上に大変な局面や混乱にみまわれています。また民主主義・自由主義の深刻な問題や限界も見えて来ています。私なりに大雑把に言うと、共産主義というのは「私利私欲を捨て争いをせず、もし衣食に困っても我慢し、争いや貧富の差があってはならない」というようなことでしょう。一方、民主主義や自由主義というのは、「私利私欲を満たすために自己の立場を最優先に徒党を組み、より多くの利益を獲得する。競争や貧富の差を肯定する」というようなことでしょう。どちらも弊害が出て来ますから、司法・立法・行政、政治家・役人・警官・法律などによって、方向付け・調整し・抑制し・裁くなど機能を持っているわけです。この方向付けや調整の機能が悪くなると、どちらにしろ多くの弊害が噴出し破滅するのです。
      共産主義がうまく行かなかったのは、国民が働く意欲を失ったことです。仕事は無駄だらけ、効率や作業者のやる気は低い、経営者や管理者自身も責任感や働く意欲がないのですから、当然の結果です。貧富の差を否定するのですから、個人にとっては、当然働くほど不利益になります。身体をこわしても、時間や家庭を犠牲にしても努力しようという意識は出るわけがありません。こんな簡単な理屈さえもわからず、「共産主義は、理想の体制」というようなことを信じたのは、それこそ信じられない話ですね。まず、皆が一生懸命働くシステムを作って、その上で貧富の差の解消やエゴの解消、過当競争を防止する仕組みを考えれば共産主義は大いに成功したはずです。ところで日本の実態は、今むしろ共産主義化している面も多いのです。地球環境問題や介護保険などというのは、その典型であって、少なくとも部分的に共産主義的なのかもしれません。共産主義の全面否定でなく自由主義と共産主義を微妙にミックスすることこそ大事なポイントです。
      日本の会社は、良かれ悪しかれ案外、共産主義的な部分をかなり潜在させて来ました。温情(共産)主義的なこういうやり方これまでは、結構素晴らしい成果をあげて来たのです。しかしそのやり方も、バブル崩壊後、急速にマイナスに作用し出したのです。、デフレスパイラルがまだ今後5年は続きそうだという厳しいご時世においては、あまり評価もせずに中途半端に共産主義的な発想で会社運営をやっていることは極めて危険です。例えば、過剰な手当て・福利厚生・業績評価・給与システム・組織などは、案外自由主義的というより、かなりいい加減であったり、共産主義的なのです。無駄をしても、仕事をしなくても、責任を果たさなくても自分の給与や処遇に影響を及ぼさないシステムやルールや慣習は、この際かなり思い切って見直す必要があります。
      例えば残業手当は、スタッフについては、結果としてボーナスに反映すべきで、いくら残業しても会社がよくならないのであれば、むしろ形式的に残業して残業費を稼ぐ意識が形成されてしまいます。一応残業時間実績はつけても良いのですが、半年毎に、会社の業績が上がった場合のみ、ボーナスとして支給されるべきでしょう。私達自営者も場合いくら残業しても収益に結びつかなければ報酬はないのですよ。サラリーマンに対して会社の儲けに無関係に報酬が支払われるなどというの不可思議なルールは正しく共産主義そのものなのですよ。各自の残業時間実績もそのままの数値を用いるのでなく、調整することが必要です。各自の残業の価値を職場単位や個人別に評価することが大切です。残業などというのは、その人の仕事の仕方が下手だから残業している場合もありますし、誰がやっても、残業しなくてはならないほど大変な職場や仕事もあります。そういうことも確認せず。一律に残業時間実績で払うなんて全く共産主義的発想です。会社は良くはならず、むしろ確実に悪い方向に行くのです。その他にも会議や出張、コピーでもやり放題ですが、くだらん会議や出張をしていても給与が支払われることも共産主義的な部分です。自由主義でありながら共産主義的な仕事やルールや組織が存在していることが今の赤字企業の実態であり原因です。大企業病や役人仕事というのがまさしく共産主義そのものなのです。日本は自由主義だなんて威張っていっていると共産主義でさんざ懲りて急速に自由主義化している中国に負けますよ。もっと真の自由主義的な厳しい経営に目覚め真剣に見直ししましょう。
      政治も同様です。福祉も良いですが、その結果共産主義的な部分を巨大にしてしまうと自由主義でなく、共産国家になって国民はやる気を失い、国は滅亡するのです。良い悪いでなく、巧みなバランス(妥協)こそ大事な時代なのです。
素晴らしい楽しい「おばたりあん文化」を真似よう
   先日京都河原町四条で前の会社の人と日曜日に新年会をやりました。何故か、若いのに皆離職しているのです。4人しか集まらなっかたのですが、1時〜4時頃まで楽しい話に花が咲きました。おばちゃんのように昼のランチ(定食)で長いことレストランでだべりまくりました。昼間都会では、おばちゃんが集まり1〜2000円くらいのランチで3時間くらい喋りまくりみたいな光景を見ますが、これはすごく楽しい素晴らしい習慣だと思います。普段付き合っていない人がそういう形でだべると情報が得られ、良いイデアも出てくるのです。新しい商売の話なんかも生まれるものです。男も「おばたりあん的な生き方、文化」を批判ばっかりせずに、男ももっと真似るべきだと思うんです。誰でも結構ですから気軽に声かけあって「明日の日曜日おばたりあんせえへ?」とメイルを全員に発信して下さい。時間も昼間で、普通のレストランや喫茶店でランチでよいのです。またいつも同じメンバーでなく時には変わった人も誘うことが大切下さい。欧米でパーテイーが盛んと聞きますが、あまり形にとらわれず、日本では自宅が狭いですから、なにも自宅でやる必要はありません。高い食事をする必要もありません。おばたりあん文明は案外、かなり先進的な21世紀の過し方なのではないでしょうか?男よ取り残されんなよ。高齢化を向かえ又離職する人が増えています。どしどしミニ交流を盛んにし皆さんの持っている経験知識情報を交換し役立てるとともに日々の生活に潤いをもたらすことをやって見て下さい。私も是、その場に誘って下さい。「汚婆足り案 村上和隆」
日本人は主体性をもっと持て
最近の日本の政治や企業の様子を見ると、どうも相変わらず横並びで独自性や主体性のない行動が目につきます。個人も同様です。特に日本人は、主体性より、控えめに振舞うことや、世間体を気にすることや、危険を冒さないというのが主流です。それはそれで日本的に良い面もあるのですが、世の中が急激に変化するような今日の状況では、悪い結果をもたらす場合が多くなります。日本人の苦手な主体性や独自性を身につけないといけないと思う今日この頃です。経済発展の時期には、なにしろ皆がやることを同じようにやっていれば、それで万事がうまく行ったのです。しかし今は、他人と同じ行動をするとかなり失敗する時代になっているのです。このことに気づかないとずるずると大きな損失や失敗をしてしまいかねません。
      こういう例は今周囲に沢山あります。失業・病気・倒産・幼児虐待・詐欺・離婚・インターネット犯罪・ピッキング・窃盗・株取引失敗・家庭崩壊・学校崩壊・・・・これらの最近の特徴は、主体性が欠けていることが原因になっていったり、そういう弱点につけ込んだものが多いと思いませんか?「鍵かけてある、泥棒が入るわけがないじゃん」「会社でちゃんと仕事しているし倒産や失業するわけないじゃん」「株ここまで下れば、上がって当然じゃん」「こんな格好良い男が最低な男であるわけがないじゃん」ということでしょう。昔はそれでよかったのですが、今日本では、主流となる方向性は、同一化でなく個別化になっているのです。ですから横並びというのは、今や安全でなくむしろ危険なことさえなっているのです。いいですか何辺も言いますが、何事においても、これからは、「横並びをしてはいけませんよ」      例えば、信仰についても主体性がなく何でも手当たり次第受け入れ、拝み倒すというのが日本人の悲しい姿、会社でも偉い人には、何でも従う、皆が大学に行くと我も我もと一流の大学を目指す、どんな先生がいるか、どんなことを教えてくれるかなんてことは全く調べもしない。東京大学が良いと言えばそのまま信じてしまうのがお人好しの日本人の悲しい姿なのです。
      例えば、最近株が値下りし、大きな損を出している日本人は多いようです。株を買う場合、昔は、業績の良い会社の株でありさえすれば、証券会社の言うとおり売り買いしていれば儲かったものです。しかし最近は株価がどんどん下がり続け、投資家の大半は莫大な損失を出しています。そこで最近私がつくづく考えたことは、まず、買おうとする会社の業績や発展性や材料性等を調べ、1、2年の株価の動きを見、配当率その他多くの情報を見て、まず買ってよいかどうかをかなり冷静に判断します。その上に、買おうと決めたその日にすぐには買わずに、当分の間、日々の値動きを見ます。そして10%以上下った時点で再度判断し、買う、買ったらそのまま寝かしておくというやり方をすることにしています。証券会社が「今が買い時です」という言葉をけっして鵜呑みにしないことにしました。他人の巧みな言葉に乗せられてはいけません。この私のやり方の一番の理由は、主に損失のリスクを避けるためです。なにしろ一種の博打なのですから、「多分儲かるはずだ」などとろくろく調べもせず、うかうかと衝動的に株を買うやり方はもう通用しません。自分の主体的な思案によって納得のいく基準やルール(マネジメントルール)を決め、独自の方針・ルールにのっとって行動しないといけません。他人がどう言おうと自分が納得しないことは、安易に受け入れたり、乗ってはいけないのです。そういう主体性の欠けた判断や行動そのものに問題があるのですから。商品の先物取引でも同じです。素人は怖いですから絶対手を出さないほうが良いですが、このような十分慎重なやり方さえすれば、逆に人が得ることのない莫大な儲けになるのです。
      「危険(リスキー)なものほど慎重にする」「危険(リスク)は慎重にすれば怖くない」という発想です。事業や会社経営などというのは、そもそもリスクをいかにとるか、いかにそのリスクを回避するかそのものなのです。人は、一般に危険なものを本能的に避けます。海山などで、かなり危険な場所を行く場合、
      @やめるAやるB十分過ぎるほど慎重にして行く      の三つの行動パターンがあります。その中で当然ですが、一番良いのはBなのです。今の時代は、危険(リスキー)だからといってやめるというのでは、銀行預金のように、ほとんど利益を得られない時代なのです。リスクをとるというのは、丁半博打みたいにエイヤーでリスクをとるのでなく、あれこれ手を尽くして少なくとも被るリスクを最低又は限りなくゼロにする算段を十分にしておくということなのです。
しかも二重三重にシステムやマネジメントルールを決めておかないといけません。困難なリスク(危険)を完全に避けることは、並大抵でないからです、起きてから考える(泥縄式)式の対応では話になりません。ところがどう感違いしたの