人生コンサルタントで経営コンサルタントの考える人生明るく生きると老後の生き方  (tel:090-6750-7889 事務所:京都市伏見)

人生コンサルタント 

生き方 仕事 愛 家族 人生設計 健康 悩み 仕事 生きがい 睡眠 整理   

MEICO 人生支援のサイトマップ  人生コンサルタントTOP  無断転載禁

関西ISOシニアコンサルタントネットワーク

パンフレット

 人生コンサルタント 会話指導 村上和隆人生塾 村上和隆の人生 社内セミナ41

経営コンサルタントで人生コンサルタントの考えた人生論

悩め・失敗しろ・失え・苦しめ、そして”多くのおかげ”をもらえ
(真に満ちたりた人生を充実したい)
この頁を印刷する
頁の責任者:村上和隆 問合わせ⇒

支援打診

概略見積もり
村上和隆人生塾詳細 会話指導詳細 座右の銘・経営訓 人生1    明るく生きる お勧め事
■会社で社員を褒める場作り
昔日本では、単一人種で狭い島国のせいか知らないが、師弟の間や親子・夫婦の間は相当に厳しかった、その名残でしょうか、日本では未だに、会社でも家庭でもほったらかしの関係で良いような風潮が残っています。しかし現在の世の中は、望むと望まざるに拘わらず、かなり変わってしまったのです。だから昔流でほったらかしにしておくと、ひ弱で閉じ篭りがちな現代人は孤独になったり、存在感が希薄になったり、生きがいが持てなくなってしまうのです。今は江戸時代や明治大正時代や昭和初期の時代ではないのです。
一生懸命やっているのに、怒られるばかりで、仕事や自分の存在すら認められず褒められないと、多くの社員は会社の仕事が楽しくなくなり、会社を辞めるきっかけになるのをご存知ですね。日本では、相手を無視したり、認めない、褒めもしない、場合によっては会話すらないということがありがちなんです。
社長さんや上司がそういうことが苦手な場合は、更に最悪ですが、残念ですが、そういうケースのほうが多いんですよね。同じことが、ご家庭では熟年離婚の原因になり、親子では親子断絶や親殺しの原因になるのです。人間関係が希薄になり満たされない感情を他の物事に求めるようになるのです。現代においては、最悪の場合はそういうものさえ見出せずに、ついに無気力症や引き篭りや鬱病や自殺に追い込まれていくのです。
信じられないことですが、家庭では、一生懸命に縁の下の力持ちで日々健気に家事をやっている奥様に暴力をふるう恐ろしくもお粗末な夫が増えているそうです。このようなとんでもない人間軽視・人間蔑視の風潮が会社にあってはいいわけがありません。社員のやる気がなくなれば、会社の業績や成長にも繋がりません。
厳しいことが悪いとは言いませんが、口煩い又は冷酷な親や社長や上司であればあるほど、社員を思いやる、声をかけてやる、社員の良いことを時々褒めてあげるということが大事なのです。どちらにしろ無関心は絶対にいけません。
ご家庭や会社であまり会話やコミュニケーションがなくなったと嘆く方がおられますが、ベタベタと四六時中対話したりベタベタすることは、それほど大事なことではありません。むしろ「うっとおしい」なんてことにもなりかねません。
それよりも適時適切に僅かでもいいから一言声をかける、そして励ましてあげたり、些細なことでも褒めてあげることが大事なのです。例え瞬間的であっても、むしろ相手の心に心地よく深く刻みこまれるのが望ましいのです。
声のかけ方は、それぞれ何でも良いのですが、効果的な褒め言葉は
@優れた点について
Aやった仕事について
B自信のない点について(あくまで本人にプラスの話し方を)
また定期的という言葉は大事です。定期的に何かをきちんとやっていくということは企業でも家庭でも大事なことです。社員に1年も2年も何も言ってあげたことがないなんてのは最悪です。会社で社長や専務や部長から「村上君最近どうかね?・・・・・・・・」と話しかけてくれたことは、今も鮮明に覚えていますからね。ましてや社長や専務や部長から褒められた場合は、今でも鮮明に思い出せます。忘れず定期的に褒めることが大事な点です。
例えば定期点検・定期会合・定期検査・定期処分・定期的習慣・定期的な行事・・・・は古来からの人間の知恵なんです。忙しいから、つい忘れてしまい、関心が薄れがちです。そういう意味で、誕生日とか結婚記念日なんてのも本来は重要な意味を持っているのです。その時は本人は、主人公・主役になりスポットを浴びられるのです。そういう日に、日頃疎かになっていることを再確認し、必要な対応や処置をすることが大事なんです。
豊かな現代は子供さんや社員さんに頻繁に会話をする時間がとれそうなんですが、現実は全く逆でして、なぜか社員や子供さんとのコミュニケーションは少なくなる一方です。従って1年間話しらしい話しもしたことがないなんてことにもなるのですが、どこかのご夫妻のようですね。そういう点では昔の家庭のほうが、はるかにコミュニケーションが豊かであったというのは驚きですね。理屈からするとそんなはずはないのですがね。
そこで私は、「是非時々でもいいから社員との対話の機会を意識的に持って、その中で社員を褒めてあげて下さい」と社長さんに申し上げています。「そんなこと、とんでもない、内の会社の奴らは駄目な奴らばかりで、褒めるようなのはいません」なんていう社長さんが多いのですが、それはわかりますが、人間育てるのと馬や犬育てるのと同じことで、ほったらかしや鞭打ちだけではいけません。無関心は社員さんの努力や情熱ややる気をますますそぐことに繋がります。家庭でも会社でも時間の長さは問いませんが、声をかけることを忘れてはなりません。
そこで私の提案していることは「会社でそういう場を作って下さい」ということです。1年2年とやってみると凄く雰囲気が変わったり良くなりますよ。場の作り方やその運営の仕方はおまかせしますが、幾つか例を紹介しましょう。くれぐれも私が紹介するやり方にこだわる必要はありません。大事なことは社員さんとの対話・コミュニケションの場、仕事や本人を認める・褒める場作りです。
■「対話・コミュニケションの場の幾つかの例」
 @個人ノート方式
  まず社員さん各自毎に個人別のノートを作ってあげます。
  そこに社員さんの提案・成果・工夫などを随時記録させ、
  それを会社の部屋のどこかに設置して誰でも読めるようにしておく。皆が読んで、
  それに対して褒め言葉を記載してもらう。悪いということは絶対に言わない。
  もし言う場合は参考意見として乗せる、くれぐれも相手を批判してはなりません。
 Aお誕生日会での褒め会
  誕生日会なんか今はあまりやられていないのですが、職場毎に誕生日会を実施し
  その日は本人を中心に仕事ぶりを褒める会みたいな感じでやってあげることです。
 Bメイルで社長あての仕事の成果報告
  今はEメイルという便利なものがありますから多くの会社がやっています。
 C各自の仕事の工夫展示会
  しかしあまり会社本位・競争みたいにならないように注意が必要です。
 D社内個人相談員制度
   昔からのお決まりのやりかたですが、あまりやっている会社が少ないですね。
     「skypeによる悩み相談」
 E社外専門家によるカウンセラー導入
  会社を退職した人で、良いカウンセラーを探すことですね。しかしふさわしい相談員はなかなかいません。
  それほどカウンセラーは非常に難しいのです。お説教にならないこと・聞き役になることがポイントなんです。
  ご要望があれば是非村上和隆に声かけて下さい。
 F創意工夫研究会
  定期的に各自がやっている創意工夫を報告し皆で良い点を褒め、もし不具合があれば意見を出しあう
 G改善案の合同検討会
  各自が改善提案をしたものについて、皆でその実現について知恵を出し合う
 H先輩と部下の4人組会合(先輩1、後輩3)
  1年毎にメンバーを変えることをお勧めします
 ISKYPEを利用した個別相談
  これだと会社終わってからでも自宅からでも無料で顔みて悩みの相談や会話ができます。
  当社のskype相談
 J働き涯いを高めることを重視した飲み会
 K各自の得意な仕事や分野について交替で先生になって1年計画を組み社内講習会をやる
いづれにしろ社長さんか専務さんがきめ細かく熱心に対応することが大事でそういう場を作っても、一時的になったり、いい加減になっては本も子もありません。
また社員の会社に対する満足度の定期申告調査を是非やって下さい。
人事考課は業績評価をやっている会社は多いですが、会社の評価はやられていないのは片手落ちというか、大事な戦力を殺すことにもなりかねないので非常にまずいですよ。ある学校では、生徒が先生を評価しているところがあります。
以下のことの満足度アンケート調査を実施する。できれば公式のものというより、無記名okにするとかして、あまり深刻にならないように注意することも大切です。
 @給与
 A地位
 B仕事の成果
 C人間関係・好きな人の存在
 D明るい職場
 E自己成長
 F良き先輩
 G社会貢献
 H働くことそのものの楽しさ
 I売り上げ貢献
 J生活水準の向上
 K仕事が認められる
くれごれも形式的にならないように、心が通ったことをやってみて下さい。形式的にやるとむしろ弊害になりますよ。あせらず気長に心を通わせる取り組みの一つとしてやってみて下さい。
また最近鬱病になる社員が潜在又は顕在し、社会問題にもなっていますが、そういう場合こそ、本人をきちんとケアーしてあげることが、本人にとっても会社にとってもすこぶる大事です。というのは会社や社長さんや幹部さん自身や組織や仕事の進め方等・・・・・何らかの問題点が会社として潜在しているからです。鬱病の本人だけの問題ではないのです。もし、そんな社員ばかりになったら会社の業績や発展にも多大な影響があるのです。人口減少時代に、若い人をうまく育てる工夫や努力がますます大事になっていくことでしょう。
■歯磨きをしている人は一人もいないように、現代は全てのことが誤魔化しの生き方化
ごくごく身近な話しですが、次は歯磨きについての問答です
問い:貴方は歯を磨いていますか?
答え:はい磨いています
問い:ということは、貴方は虫歯がないのですね
答え:いやあります
問い:おかしいじゃないですか磨いているのに虫歯があるはずがないでしょう
答え:歯ブラシに歯磨きつけて一日3回ちゃんと磨いています
問い:ひょっとして磨いているのではなく、磨いている真似をしているんじゃありませんか?
答え:歯を磨いても虫歯はできますよ。ちゃんと磨いていない人なんか虫歯だらけですが、その点私は虫歯が少ないです。
問い:歯を磨くとはどういうことですか?虫歯ができないように磨くのではありませんか?
答え:完全には磨けないから、少しは虫歯ができてもしかたないですよ
問い:正しい歯磨きの方法を教えて下さい
答え:正しい磨き方なんて特に考えたり、決めてはいません、ただ普通に磨いているだけです
問い:それならば、例えばどのくらいの時間かけて磨いていますか
答え:かなりきっちり1分くらい磨いていますよ
問い:1分で磨けるはずがありません、食べたものや磨く時期によりますが、3分〜5分は必要なはずですよ
答え:えー、そんな時間かけて磨くなんてそんなの嫌ですよ、できっこありませんよ
問い:ということは、歯磨きをしているのでなく今後は「歯磨きをしているように見せかけている」と言って下さい
答え:そんな言い方できませよ
問い:でも念仏のようにして「自分は嘘つき」だと唱え続けないと、貴方の誤魔化しの癖は永遠に治りませんよ
答え:すごく厳しいですね、でも、まあーそういうことだったら、何か少し、わかったような気がします。ありがとうございました。
言いたいことは、人間は自分のいい加減さを本心から十分認識していないということなんですが、こういうことは多くの人に非常に沢山あることでして、出鱈目歯磨きが典型的な一例に過ぎません。かく言う私は実は「私は人一倍かなりきちんと歯磨きしている」と信じていたのです、昨年末医者で歯に色をつける検査してもらったところ、ひどい磨き残しが一目瞭然明らかになったのです。
私は思いあがりも良いところで、90点くらいに思っていましたが、冷静に考え直すと0点なのです。なぜかというと歯槽膿漏や虫歯になる可能性があるからです。いい加減な磨き方の良し悪しは程度問題ではなく、駄目なものは一律0点でしかないことに気付いたのです。少しでもいい加減であれば、60点でも90点でもなく全部0点でしかないのです。もしいい加減なのに「自分はきちんとやっている」と本人が思い上がりをしているのであれば、0点より低いマイナス点でしょうかね。歯磨きにかぎらず次の例のように、実態は皆かなり出鱈目なんですね。
                            戻る
■正しい行動をしましょう
@正しい食事
A正しい挨拶
B正しい掃除
C正しい片付け
D正しい教育
E正しい遊び
F正しい運動
G正しい睡眠
H正しい徒歩
I正しい付き合い
J正しい愛情
K正しい管理

私は人様を指導する立場の経営コンサルタントですから、人よりかなりきちんと管理していると自負していますが、昨年末の歯磨き事件で「まだまだ全然いい加減だ」と自分の不完全さを改めて認識したのです。人間は、他の生き物に比べて知恵がある分、かえって、いい加減になりやすい生き物です。注意しないと奈落の底まで落ちていく危険性のある生き物なんです。何によらず正しいルールを定め、日々きちんと守ることが物事の一歩なんですが、まあそういうことができていないですね。経営管理の世界でも正しいルールを作り守るということは基本中の基本なんですよ。仏教の世界なんかも基本は同じですよ。基本ができていなければ、何事も成すことはできません。大方の人間は、まず正しいルールどころかとりあえずのルールさえできていなんです、だからルールを守るなんてことは当然できていないのです。恐ろしいことです。『ルール』ということを何だと思っているんでしょうか?「ルール無視」以前に「ルール無し」なんて本来あってはならないこと、信じられないことなんですよ。昔は日本中に、今の何百倍も厳格できっちんとした作法や日々の暮らし方が朝夕、徹底していました。食事も掃除も寝起きも挨拶も部屋の片付け衣服の扱いなんかも・・・皆かなり厳格でした。その典型が小笠原流やお茶・お花・武道などでしょうが、そういった日本の伝統文化や習慣の土台の上に、万事しっかりやられていたのです。暮らしが豊かで便利になり、だらだらと欧米化することによって、日本の良き伝統は大きな音をたてて一挙に崩れていったのです。


まあ今の人は、大人も若者も楽な生き方をするようになり、作法や日々の暮らしが出鱈目・誤魔化しになってしまいましたし、今後も確実に更にどんどんひどくなっていく恐れがあります。世の中進歩でなく、むしろズルズルと退化を続けているのです。現代人類は、進化論の時代でなく、退化論の時代になりつつあるのです。
今となっては、難しいのでしょうが、小笠原流なんかのように物事を完璧にきちんとやる習慣をもう一度取り戻さないと、地球環境問題だけでなく、そういう面からも人類は崩壊していくことでしょう。
良い習慣や良い文化は百年・千年かかってやっとこさっと形造られていきますが、いざ壊すとなればアッという間に壊われてしまうのです。(覆水盆に戻らず)
良い状況から悪い状況は行き易い、悪い状況から良い状況へは行き難い不可逆なものなのであります。(奢る平家は久しからず)
「完璧さ、清く・正しく・美しく」なんてのは現代では、ウザイ・ダサイなんてことになってしまって、困ったことに、今の若者は「いい加減・汚く・誤魔化し・醜悪」を格好いいと勘違いするもんなんですね。しかもテレビなどで、そういういい加減な生き方や適当な作法が大目に見られ、むしろもてはやすような雰囲気にさえなっているのです。「汚いのがなぜ悪いんだ、いい加減がなぜ悪いんだ、うるせー」みたいな感じになっているのですね。現代は悪が善を駆逐しているのです。(悪貨が良貨を駆逐する)
■いい加減で真面目にやらない多くの人の言い訳は
 @大したことない
 A意味ない
 Bしんどいだけじゃ、面倒臭い
 Cなったらなったまでじゃ
 D手間ばかり喰う
 E忙しいんじゃ
 F真面目なんて大嫌いじゃ
 G格好悪い
 Hそんなことしてなんぼのもんじゃ
 I誰もやっていない
 J暗くなる
 K神経疲れる
少しくらいなら兎も角、人間は万事において、自分はきちんとやっていると言うんですが、実はやっている格好をして誤魔化しているだけなんです。
要するに全てがきちんとやっている振りしているだけなんです。子供の頃、ゴッコ遊びというのをやっていましたね。お母さんごっことかお医者さんごっこのように、正にあれなんです。現代は、大人になっても、子供のとき以上に、多くのゴッコ遊びをしている自分に気付かないのです。
食事ごっこ・睡眠ごっこ・教育ごっこ・家庭ごっこ・管理ごっこ・仕事ごっこ・政治ごっこ・人生ごっこ・・・をやっているんです。食事なんかも昔に比較して過食・偏食・油過剰・食べ残し・柔らかい食事・・・・・相当に崩壊しています。ところが人間はきちんと食事をし、睡眠をとり、教育を受け、管理し、仕事し、政治をし、人生を送っていると信じ込んでいるんですが、実態は恐ろしくひどくて真っ当にやれていないのです、やっているように見せかけている・思い込んでいるだけなのです。人間のやることは所詮その程度のものなのです。ほとんどのものは、いい加減ですから、その証拠に頻繁にいろいろな問題や事件や事故が噴出するのです。歯を磨いているはずが、虫歯になり歯槽膿漏になり、歯が抜けて入れ歯になってしまうのです。本人が何と言おうと、その原因は手抜き歯磨き・誤魔化し歯磨きをしているからに他なりません。急いで粗雑なことをやっているが、嘘で固まった生き方が、かえって遠回りになったり大きな損失や事故に結びついていることを自覚しなくてはなりません。
身近な小さいことから大きなこと迄、自分の人生や暮らしのほとんどが、嘘で埋まっているというわけです。
ところがひどく嘘の暮らしをしているのに、自分は一人前に真っ当な生き方をしていると信じ込んでいることに、本質的な問題が潜在化しているのです。嘘の中にどっぷり浸かっていましから、本人は、自分が嘘をついていることさえ冷静かつ客観的に認識できなくなってしまっているのです。
一見健康そうな人が、大腸や肺に深刻な癌を抱えているのですが、自分は健康そのものだと信じきていることなんです。この結果は言わなくてもわかりますが、間もなく、悲惨な結果が待ち受けているのです。ある日突然「癌です、余命3カ月です」と医者から宣告を受けることになるのです。
昨年は食の賞味期限や内容の表示に関する偽装が問題になり、「偽」が昨年を象徴する字に選ばれましたが、あんなのは大して珍しいことではなく、政治をはじめ学校・警察・役所・企業・家庭、世の中は嘘ばかりなんです。別世界のこと、他人ごとのように考えてはならないのです。
”嘘つき・出鱈目・いい加減”は他人事ではありません、自分自身も例外なくひどいということを強く認識しない人間は、生きている時点ですでに地獄に落ちているのです。お粗末な人間のことですから、嘘をつくことはある程度しょうがないとして「自分は全く嘘をついてないという誤った自覚」のほうが、大きな問題なんです。「自分は日々嘘をついている・嘘まみれだ」と自覚していれば嘘をついていることもある程度許されてもいいのです。
「嘘をつかないようにしよう」と思っている人は、更に非常に素晴らしい人なんです。嘘にまみれた暮らしや生き方を努力して治そうとしている人なんかは、かなり立派な人なんです。
タバコの禁煙みたいなもんですから、いきなりやめるのは難しいのですが、大事なことは、嘘まみれ(糞まみれ)の生き方を根本から猛反省し、治す努力をしているかどうかなんです。政治家や役人は、過去とてつもなく大きな嘘をつき国民に多大な迷惑や損害をかけているのに、未だに平気で大嘘をつき続けているのです。長期政権の自民党を選挙で選ぶ国民にも大きな問題があるのです。国民もなぜか政治家や役人の嘘を受け入れ、間接的に嘘つきを手助けし続けているというわけですね。そこらへんの若いアンチャンだったらいざ知らず、国をひっぱる政治家が嘘だらけ糞まみれではどうしよもないですね。嘘をつき続けてきたということを真剣に自覚し反省すべき時期にきているんです。タバコの禁煙と同様に悪いにもかかわらず、なかなか容易には治らないですね。豊かで便利で平和にどっぷり浸かってきたせいか、人間の浅ましき・愚かしき悪しき面が益々増殖しているようです。そしてそのウイルス細菌は、グローバル化によって、世界各国に撒き散らされ、蔓延していくのです。
 歯磨きの例でおわかりのように、
  1)誤魔化しは、得策ではない
  2)誤魔化しは、早道でもない
  3)誤魔化しは、格好よくもない
そういう発想転換をしないと、貴方は堕落する世の中とともに一緒になって堕落していく運命です。「糞真面目な奴は嫌いだ」なんて知ったようなこと言う奴がいますが、糞真面目なんていう人でも、まだまだかなりの不真面目なレベル程度なんです。もし本物の真面目な人なんてのがいたら是非紹介下さい。多分その人に遭って私は言うでしょうね「この人をしてもまだまだ不真面目です」とね。(百戦戦って百戦勝つとも、いまだ武勇の名は定めがたし)
私の場合、私を含めて、いい加減な多くの人には出遭たことはありますが、真面目な人なんか、これまで一度も出遭ったことはないですよ。皆さん大きな勘違いをしているのです。糞真面目でなく、真面目っぽい人や一見真面目に見える人はいても、心底真面目な人は1億人に1人いるかいないかでしょうね。
そういうことですから、まず自分だけは嘘の生き方を改めたいものです。最初はつらいですが、そういう生き方が身に着くと、素晴らしいと想像しています。
「一体なぜ山なんかに登るんだ」という問いに対して、ある登山家が「そこに山があるから登るんだ」と言ったらしいのですが、人間として生まれたのであれば駄目人間で甘んじるのではなく
   「本物の真面目な人間になるために生きるんだ」
みたいな心構え・気構えを常に持ちたいものです。
学校で長いこと勉強し、実社会でも日々合理的な考え方や科学的な知識や経験を積み上げても、この一心がなければ糞の役にも立ちませんよ。「真面目な生き方って一体何だろう」と深く考えてみて下さい。テレビでコメンテーターなんてのが偉そうなこと言っていますが、多分彼らの実態なんかびっくりするほど相当ひどいもんです
■昔戦後の日本、親から普段言われていたこと。今は?
戦後昭和18年生まれの私の子供時代は、今では想像できないぐらい日本は非常に貧しい時代でした。私の家などましなほうでしたが、それでも子供心にも家の生活の苦しさがいつも気にかかっていました。そういう中で両親特に母親は、身を削って、沢山の子供を食べさし、学校に行かせ、衣服も着せていたのですね。電気製品は全くありませんから、掃除・洗濯・炊事・繕いは皆手仕事、買い物は遠くまで歩いて、・・・・想像を絶する大変さだったのです。母親は朝は4時起き、ご飯は最後の残り物で、ご飯がない時は自分は食べない、朝から晩まで仕事仕事、夫や姑からはどなられ、夜も夜なべというのが当時の母親の姿でした。
そういう当時の親や先生や先輩の言うことはやはり重みがありましたね。
しかし現代は全く正反対で、楽にどっぷり浸かった、だらしない母親がいつも文句ばかり言う、父親は会社で働き蜂、たまの休みは家でごろごろ、こんな親を誰が尊敬しますか?現代の親の言うことの重みなんて全然ありません。
親に限らず先生も政治家も経営者も皆重みがなくなりました。何だかんだ言っても効き目はゼロかむしろマイナスや反発に作用してしまうのです。世も末ですね。
世の中が豊かで便利になると、生み出された膨大な暇を無駄使いすることになるのです。人間は、暇ができると、ブクブクと太り、見かけもだらしなくなります。そんな現代の人の言うことに重みがあるはずがありませんね。むしろ親や先生や政治家や経営者に説教しなくてはならないそういう時代なんです。
「暇ができても、暇を有効に使うなんてことはなく、その暇をつぶす」なんて無駄なことをやり始める、一体全体なんのために、必死になって暇を追い求めてきたのか?暇が人間を堕落させてきたのですね。その堕落が子供や孫に伝承されていく。「親やご先祖様が有難い」なんて時代は、過去のものになりつつあるのです。今の親がすべきことは、【強く・清く・貧しく・美しく・真剣に・真面目に】生きることですよ。そうしないと親であって親ではなくなってしまう運命です。先生も政治家も社長も同様ですね。
■昔、親からよく言われたことは
 @きちんとお座りなさい
 Aご飯つぶ残したら目がつぶれますよ
 B人様に恥ずかしいことしたらいけませんよ
 C人様の迷惑になるようなことしたらいけませんよ
 D弱い者苛めしたらいけませんよ
 E無駄使いをしたらいけませんよ
 F食べてすぐ寝たら牛になりますよ
 G遊びに行く前に宿題やっておくんですよ
 H悪いことしたら罰が当たりますよ
 I嘘は泥棒の始まりですよよ
 J汚い言葉使ったらいけませんよ
 K上向いたらきりがない、世の中、下には下がいるんですよ
 L負けるが勝ちですよ
 Mお小遣い貯金しなさいよ
 N夜は早く寝なさいよ
 O人が嫌がることをしてはいけませんよ
 Pご先祖様に申し訳できないことしたらいけませんよ
 Q先生のいうことよく聴くんですよ
 R悪いことしたら、きちんと謝るんですよ
 S誰が見ていなくても、お天道(てんとう)様がみていますよ
 21悪いことばかりしていると、地獄の閻魔様に舌切られますよ
 22油断大敵、火がぼうぼう
 23もったいないことしてはいけませんよ
 24きちんとご挨拶するんですよ
 25兄弟喧嘩するんじゃありませんよ
 26我がまま言ってはいけませんよ
 27よく噛んで食べるんですよ
 28ご飯は最後お茶で洗いながら飲むんですよ
 29お父さんが座るまで食べてはいけませんよ
 30寝る時、服は枕元にきちんとたたむんですよ
このような昔の親の言葉は今でも有意義なことばかりですが、このような親の言葉は、主に貧しい不便な時代のものであって、貧しく不便な時代であったために、大事なものが欠けていたのですね。
それは「足るを知る」「欲張ってはいけない」「楽してはいけない」等ですかね。それらも含めて現代の親が自らも心がけ、子供にも言うべき言葉は、次のようなことになりますかね。昔は、こんなこと言う必要が全くなかったですからね。しかし現代は豊かで便利すぎますから、親自身が心がけ、親が子に言う言葉も少し変える必要がありそうです。
■親が実践し子供に言い続けるべきこと
 @欲ばってはいけませんよ
 A足るを知るのですよ
 B楽してはいけませんよ
 C豊かさや便利さを遠ざけなさいよ
 Dわが道を行きなさいよ
 E汗流しなさいよ
 F自分でやるんですよ
 G皆仲良くするんですよ
 Hごみ減らしなさいよ
 I物を節約しなさいよ
 J食べ物大事にするんですよ
 K贅沢するんじゃありませんよ
大事なことは、こういうことを言う親がまずこういうことをきちんとできて、模範的であることですね。躾とは自らしつけることが先です。
貧しい・不便な時代の親のあるべき姿がある一方、豊かで便利な時代の親のあるべき姿があるのです。
「豊かで便利だからだらしない親でよい」は大間違い大いに反省して下さい。親の役目は
 1) 子供を作ること
 2) 正しい親の生き様を子供に伝えること
ところがどうですか?現代はこの重要な2つが全くできていません。
                            戻る
■子供から尊敬されていないことを親は重大なこと、危機と受け止めているか?
「貴方は尊敬する人がいますか?」という問いに、貴方は即答できますか?
しかし多分尊敬する人が誰かを言う前に、尊敬する人の全体が見えず、尊敬する人をそれほど知らないから、とりあえず自分の知っている僅かな偉そうな人から選ぶしかないですね。
まあ人にもよりますが、イチローとか星野監督とかマザーテレサとか野口英世とか坂本龍馬とか二ノ宮尊徳とか・・・・・思いつくまま出てくるんでしょう。
しかし、まず、一体全体、尊敬する人とはどんな人なんでしょうか?
 ・歴史上の偉人でしょうか?
 ・偉大な芸術家や技術者でしょうか?
 ・いろいろな分野で素晴らしい業績を残した人でしょうか?
 ・スポーツなどで上り詰めた人でしょうか?
 ・多くの人を助けた人でしょうか?
多分普通の人の感覚では、世界一や日本で一みたいなヒーロー的な人を選んでしまうのではないでしょう。しかし私は違うと思います。ある時期に尊敬された人でも時代が変わり、状況が変われば歴史は厳しいもので、極悪人になる可能性すらあるし、時代とともに忘れ去られていく人も多いのです。またそういう人は、案外根性が曲がった嫌な人や妙な癖のある人であったり、成し遂げた業績は偉大であっても、はたして人間として尊敬できるかというと疑問の人も多いのです。なにしろそういう人とは、直接、話したことも触れ合ったこともなく、小説やテレビなんかで人伝に知るしかないのです。
例えば、織田信長にしろ、豊臣秀吉にしろ徳川家康にしろ、尊敬できることは多くてもそれと同じかそれより多い悪の部分があれば、うかつに尊敬なんかでません。尊敬ということを正確に言うのは、意外にかなり厄介なもんですね。
よくありますよねテレビの画面では、いかにも良さそう人が、実生活ではかなりひどい鼻つまみな人間であるなんてことが。また人前や会社ではいかにも素晴らしい最高の上司や先輩でも、家に帰ったら奥様やお子さんからは最低の夫であり、親だったなんてことが。そうなると簡単に「誰それを尊敬します」なんて言わないほうが良いようですね。また尊敬して結婚した夫や妻がいざ結婚したら最低の人であったから、すぐに離婚したなんて話は、掃いて棄てるほどありますよね。ああー怖い、尊敬するなんてことそう簡単にはできませんね。
ところで、私流の尊敬すべき人は、「明るく真面目に人間として生きた人」であり、有名人でなくても、有能な人でなくても、お金や芸術品や技術品や建物やシステムなどを作った人でなくても、立派なことを言う人でなくても、世界一でも日本一でなくてもよいと思うのです。
まず尊敬する人を自分なりに定義しないと、自分の人生の目指す方向が見えないばかりか、人生を無駄に過ごすことになってしまいます。正しい目的地がわからないのに自動車で速度上げて走ったところで、当然のことですが、目的地には行き着けません。
私の昔(厳しい大正〜昭和の戦後を生きた)の母親は、自分の目で直に見、日々身近に触れた唯一の尊敬すべき人でしたし、今もその思いは変わりません、私が目指す人の重要な一人であるのです。母親自身でも「多分大正〜昭和の時代を生き延びてきた私はすごかった、よくあんなことできた」と思っているに違いありません。
当時の母親以外に尊敬する人を言えと言われても、そう簡単には思いつきません。マザコンではなく、身近にそういう具体的に心底尊敬できる人と触れ合った体験がないからです。
尊敬する人とは、身近な存在であり、当り前の生き方をし、真面目で真剣にしかも明るく生きている人の中から選ばれるべきでしょう。
不幸にもそういう人が身近にいない場合は、しかたがないから本やテレビや昔の偉人などから探すしかないのですが、えてしてそういうやり方をしますと、かなり偉い人になってしまいがちです。そんな偉い人を尊敬し目指すとなると、かなりしんどくなってしまいます。二ノ宮尊徳や聖徳太子に直接触れたわけではありませんから、そんな人になれるわけもありません。
なんで私が、尊敬する人なんかテーマに取り上げたかというと、豊かで便利な時代に、人間は馬鹿殿様のような人ばかりになってしまい、しまりのない、重みのない、だらしない人が多くなって、しかも「それでいいんだ」みたいな風潮が蔓延しているからです。特に最近は安倍首相やその後の福田首相、アメリカのブッシュ大統領や最近の不祥事の会社の社長さんや破廉恥な役人どもを見るにつけ「尊敬の昔は、遠くなりにけり」「尊敬はこの世から絶滅の危機」と思うからです。子供達が可哀想です。駄目な時代、駄目な親、駄目な先生、駄目な政治家・役人、駄目な社長・・・・・・ですからね。どうしたらいいんでしょうね?
ホームレスや引き篭もりや、NEETや偽装社長や破廉恥役人などのブラックバスみたいな人ばかり増えてしまい、日本古来の尊敬する人(鮎や鮒)を追いやる時代なんですね。
 ・「政治家が国民に尊敬されないばかりか軽蔑されている」なんと嘆かわしいことか、希望すら見出せない
 ・「親が子供に尊敬されず、親殺しが頻発している」なんて情けない恐ろしいことか
 ・「学校の先生が生徒や親から尊敬されず、こき下ろされ馬鹿にされている」なんとお粗末なことか
こういう中でも、最も恐ろしい・情けないことは、親が自分の子どもに尊敬されないこと、逆に軽蔑されていることですね。子供は親を見ていないようで細かいことまでよく見ているものですよ。
これだけは避けないといけません、最も許し難いですね。
文化というのは、特に精神文化は、日々の暮らしを通じて、否応なしに目や耳に触れ、親から子に伝わるのです。
 会社では、社長や上司から社員へ
 学校では、先生から生徒へ伝わりますが、
一番大きいのは親です。少々先生や社長が悪くても家に帰って尊敬すべき親を持っていればどうにかなります。
しかし、現代においては、子供達は、「親を尊敬する」とは言わないでしょうし、100点満点ではないかもしれませんが、多少なりとも尊敬する点があればいいのです。
私が昔の母親を尊敬していたように心の底から「親を尊敬しています」と子供に言わせないと親として人間として失格なんです。
しかし尊敬というと「俺は会社で業績あげている皆から尊敬されている」「俺の仕事ぶりは優秀だ」「俺は家族に良い暮らしをさせている」・・・・なんてことではいけないのです。そんなものは、もし子どもが「尊敬しないよ」と言えばそれまでのことなんです。もっと本質的なことで自分を振り返ってみて下さい。もっと人間として、明るく、生き生きと、暖かくかつ真面目にやっているかを振り返って下さい。その上で自分は子供に人間として尊敬される資格があるかを反省してみて下さい。
そして、いつか自分の子供に「親を尊敬しているか?」と訊く勇気ができたら、一度是非確認してみて下さい。多分世の中の大半の親は訊く勇気すらないし、多分「尊敬しています」という答えはもらえないでしょうね。まあ1000人に1人いるか、いないかでしょう。(昔は尊敬されない親のほうが少なかったのですがね)
しかし、現代が、もしそうだとしたら、そういう事実を悲しいと思いませんか?悲しい以前に情けなくありませんか?
■人間の大事な役割は
 1)子どもを作る
 2)子どもに正しい人間としての行き方を伝える
 3)そのために自分自身を厳しく磨く
ことなんです。
ところが豊かで便利になったにも拘わらず、
 ・結婚しない、
 ・結婚してもすぐに離婚する、
 ・子どもは作らないか一人だけ
なんて人が多い
結婚しない人、子ども作らない人というのは、いいですか、
  永遠に貴方の存在が途切れ、宇宙から完全消滅(貴方という種が絶滅)することなんですよ。それとも絶滅しても良いほど無価値な人間なんですか?
  貴方という人がこの世に存在しなかったことになるんですよ。
 ・30歳までに結婚しなさい
 ・子供を作りなさい
 ・立派な親になりなさい
 ・そして子供に尊敬される人間になりなさい
 ・そして安心して死ねるようになりなさい
子供にとって【尊敬する親が、身近にいないということは、子供にとって最大の不幸なこと】です。
まあもう一度、人間とは、親子とは、人生とは、この世に生まれたとは、・・・・・・自分なりに考えてみたいものです。
■本物の豊かさとは『見かけの豊かさ=堕落』→人間の原点に戻り、物事の本質を見極めましょう
戦後日本は、ほとんどが焼土と化し、貧乏のどん底から「豊かさ」を追求して右肩上がりの経済成長をし、一時とは言え「世界一」なんて世界中から大絶賛されたこともありました。そして他国も羨むほどの豊かな国になったはずでしたが、しかしその後の流れは、ゆっくり豊かさを味わうこともできないうちに、アッという間に、今やあれもこれも不安を抱えるだらしない国になってしまったのです。まさに「奢れる者も久しからず」そのものだったのです。見かけの豊かさは、いつか自分自身をも裏切る、不安定なもの:幻(まぼろし)でしかないのですから。でもある意味良かったと思います。もしあのまま日本が世界一であり続けたとしたら、傲慢になり、日本人の堕落は、目を覆うばかりになったことでしょう。危ない・危ない、ダアッーと冷や汗が出ますねー。
第二次世界大戦後の日本は、食料や物質的には、とてつもなく貧しかったのですが、しかし反対に、心は随分豊かであったのを思い出します、一体何なんでしょうね、貧しいほうが心が豊かだなんて?そこで流石の日本人も、真剣に考え始めました「本当の豊かさって何なんだろう?」と。しかし一度手に入れた見せ掛けの豊かさを手放すだけの結論は出なかったようです。世界は、争い・エゴ・自堕落で満ちあふれています。本物の豊かさを目の前にぶる下ても一向に食いつかないが、一方、偽者の豊かさには目の色変えて飛びつくのです。
「目の色変えて、高額な本物の宝石や高価なスーツを買う人が、豊かさにおいては偽ものの豊かさのほうをより好む」のは不思議なことだが、要するにしんどい思いをするのはご免だ・嫌だということらしい。しんどい思いをしてまで、本物の豊かさなんか求めたくないということらしい。
典型的な例は、年々悪化している地球温暖化問題が示すように、豊かさはどんどん、あらぬ方向・進むべきでない方向へと進み続けているのです。奢る平家は今に必ず崩壊することがわかっているのに、人間というのは、しかたがないもので悪いことと知りながら、わかっちゃいるけど止められないのです。神様からなまじ知恵を授かった人間の浅ましい・小ポッケな心がそうさせているのです。
一見凄く豊かのように見えても、真の豊かさとは言えないものを幾つか次に掲げてみました。
現代の大都会で見られる、見せ掛けの豊かさとは幻(まぼろし)か蜃気楼みたいなものに過ぎません。
 @足るを知らない、貪欲さ・強欲さによる豊かさ
 A一代限り又は自分だけの狭い豊かさ
 B心の底から満たされない上辺の豊かさ泡のような豊かさ
 C他人と争い勝ったことによる豊かさ
 Dお金で得ただけの刹那の豊かさ
 E物質的なものに依存する豊かさ
 F些細な部分的な枝葉末節な豊かさ
 G浅はかな人間の考えた不自然な豊かさ
 H何かの犠牲によって得られた豊かさ
 Iあれこれ無理や無駄を生み出した上での豊かさ
 J他人に自慢する見せびらかすような豊かさ
 K人格・人徳からほど遠い下品・下劣な豊かさ
いかにも見かけだけ「これぞ豊かさ」みたいな一見豪華風の豊かさは、99%本物の豊かさなんかではありません。
『そんなもの、さっさと棄てなはれ』  『未練なんか、すすんで断ち切りなはれ』
『華美や贅沢を求めるの、止めなはれ』  『本物の豊かさを、追い求めなはれ』
むしろ質素で日常的なことを日常的に真面目にやって、自然に交わり、ひっそり堅実に暮らしている人の得るもののほうが本当の意味で豊かなんですが、人間はそういう本物の豊かさをむしろ満足しないのです。テレビで貧しい国の暮らしの映像が流れますが、物質的には確かに貧しいですが、心の豊かさは羨むほどです。それに引き換え日本では、安っぽい下品な愚劣な豊かさを有難がっているようです。例えが悪くて恐縮ですが、”糞饅頭””毒饅頭”を有難がって美味しい美味しいと言って食べるているようなもんです。
自分自身が働き、稼ぎ出す豊かさなんかは知れています。多くの人の恩恵や自然の恩恵を受けているからこそ得られたものなんです。ところが有名スポーツ選手や俳優さんや成功した一部の企業家さんは、人の何千倍の豊かさを懐にいれるのです。自分の働きの何千倍のリターンを得ることはいけないのです、理由はともあれ、そんな人は詐欺です。自分だけの働きに見合った豊かさをだけの享受すべきなんであり、余分は社会に還元することです。そうしないと結局そういう人は不幸になるだけです。どうしても不幸になりたい人は、見かけの豊かさを独り占めにしたりいのですい。
昔話しで:舌切り雀の意地悪御婆さんがお化けが沢山詰まった大きなつづらを大喜びで持ち帰ったようなものでしょう。一方御爺さんは小さいつづらを貰って帰るとその中から金銀財宝が出てきたのですが、そういう豊かさこそ本物なんですがね。舌きり雀の昔話が、豊かさの本質を説明しているような気がします。あんな大昔に、すでに本物の豊かさを正しく認識していたというのは、凄いことですね。逆に豊かになった現代人のほうが、全くわかっていないのはなんとも情けない、侘しい・寂しい話です。
私も、若い頃目の色変えて、つまらんものを必死になって集めたことがあり、子供としてはかなりお金をかけたことがあります。しかし大人になって、つくづくそういうものを眺めて見ると、全く見向きもしたくない我楽多であることに気付くのです。まさに意地悪婆さんが家帰る山の中で大きなつづらを空けたような感じがするんですが、皆さんもそういう経験がありませんか?
現代人の求める豊かさや有難がるような幸せなんて所詮そんなもんです。しかしどういう訳か、多くの人間は、麻薬患者やアル中患者みたいに、そういう安物の豊かさを目の色変えて追い求め、そういうことから脱出できないのです。
世の中には「見せかけ」のものがすこぶる多く蔓延り、見せ掛けの豊かさのほうが良いなんてこと思い、安心するのが、悲しいことですが浅はかな人間なのです。
最近アメリカのサブプライムローンの破綻は世界中を混乱させていますが、あんな恐ろしいことを、異常であると断言する人が長年現れなかったということですが、まあこういう事例は事欠くどころか、むしろ世界の歴史を紐解くとどんどん出てくるのであって、見せかけの繁栄を追い求めそのあげく、せいぜい長くても100〜200年、やがて崩壊していってるのです。くだらん誤魔化しの豊かさを求めて戦った兵(つわ者)どもが夢の跡(凄まじき地獄絵)になるのですね。
何が本当の豊かさもわからず、都会のコンクリートジャングルの中で、目の色変えて、つまらん人造物や誤魔化しの楽しみを求めてさ迷い、心はかえって満たされずボロボロになり、生きがいを失い・やる気も薄れ・家族も社会も崩壊し・殺伐とした世の中になってしまったのです。
■例をあげてみます:案外こんなものかもしれません
 @見かけは美しいが、中身は汚い
 A見かけは裕福だが、中身は貧しい
 B見かけは明るいが、中身は暗い
 C見かけは楽しそうだが、中身は悩みいっぱい
 D見かけは良い人だが、中身は悪人
 E見かけはいいこと言うが、中身は最低
 F見かけはきっちりしているが、中身はだらしない
 G見かけは立派だが、中身は最低
 H見かけは進歩しているが、中身は退歩している
 I見かけは構築だが、中身は崩壊